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SNS 発信する人、発信しない人、発信できない人 受けて側は知っている?

IT化の時代に、あなたはどうしていますか?

あなたは、ブログやSNSを使っていますか。
アメブロやTwitter、Instagram、そして このnoteなど様々ある。
僕が最近になってから利用を始めたのは、Voicyというアプリで、ただ聞いているだけだけど…

Twitterの普及で、つぶやき という、愚痴や自分の考え、様々なPRなどの場ができた。
Instagramの普及で、手軽に私生活を写真という形で披露する場ができた。

さて、本題に入っていこう。
自分を発信する人、発信しない人、発信できない人

まず、発信できない人
そもそもネットの使い方が分からないのか、ツールを知らないのか、理由は定かではない。
次に発信しない人
発信できない人と違って、発信のツールを知った上で、発信しないことを選んでいるのである。
なぜ発信しないのか。僕が考えるに3つある。
① 面倒だから、三日坊主だから
② 発信する意味を見出せないから(見るだけ、聞くだけなど受けるだけで十分だから も含む)
③ インターネットの怖さを知っているから
もちろん、それ以外の理由もあるかもしれないが、大体はこれに分類できると思う。
最後に発信する人
積極的に発信する人と必要に応じて発信をする人など様々なタイプがいる。 積極的に発信する人として、僕の知り合いに、高校時代のクラスメイトでインスタに5000人のフォロワーがいて写真を投稿している人、サークルの後輩でブログを立ち上げ運営もしている人などが、代表的な例だと思う。彼らは、積極的に行動して、自分の感性で感じたことを写真や文字で表現ができる人である。
正直言って、憧れる一面がある一方、情報の受け手への配慮があるか気になる所がある。
趣味でやってんだから、「見たくない奴は見るなよ」という考え方もあるので受け手への配慮は、人次第だと思う。 僕は、必要に応じてSNSという場を利用して発信するのだと思う。 インターネットとリアルの怖さを少し知っているから、バランスを考えながら利用させてもらっています。

また、適当に適当な感じで、自由に投稿をする人もいる。
おそらく、1番多くいるタイプではないか。僕も、このタイプで投稿することもある。

さて受ける側は、これらを知っているのだろうか。
何も考えずに、インスタのストーリーを見ると、僕は少し嫉妬してしまうと思う。

例えば、たった7人が違う曜日に週に1回投稿するとしよう。この7人をフォローしている場合、投稿者は週に1回のキラキラしてる写真だとしても、自分の目には毎日キラキラしてる写真が入ってくる。毎日生活していると、何もない日もある。そんな日に、みんなが良い写真を上げていると、「いいなー」「うらやましいなー」など思ってしまうだろう。
これが7人ではなく、何十人、何百人となると、影響力は更に大きくなってしまう。

ここだけの話だが、僕は一時期、インスタを見るのを止めていた時期がある。
もちろん、上の様に何も考えずに見ていて、嫉妬して、自分の地味な生活と彼らの毎日のキラキラ写真とのギャップに苦しんだからである。僕も週に一回や月に一回は、それなりに生活をしているが…
写真や文章の投稿頻度、何の意味を持つ投稿か、たまに考えるべきだと思う。
ただ僕が心が狭いだけかもしれないが…

手軽に利用できるSNSも、情報の受け方が重要になってくるのだと思う。

結局、TASAYAは何が言いたいのかというと

人は他人から承認されたいという承認欲求がある。
SNSの普及によって、発信の場が広がり、発信の機会が増えた。
しかし、受け手側は見かた次第では嫉妬を抱いてしまう。結果として疲れてしまう。
発信側にも色んなタイプがいることを理解して、SNSを利用するべきなのではないか と思う。
SNS疲れをしないためにも、勝手にオススメしたい!

僕がこの文章を書いているのも、どこかに承認欲求があるからである。

つたない文章ですが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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