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追憶

何が正しいのか
何が大切なのか
分からなくなって
ぐちゃぐちゃになって
何を守っていたのか
何を守るべきなのか
何を守りたかったのか
考えるのを放棄して
もう全部終わりでいいですよ

と言った日があった

そんなこと出来ないよと言われて
逃げ道を塞がれた気持ちになったけど
あれが後出しで本当に良かったな。

辞めたいと一度も思ったことはありませんって
ツイートした時までは本当になかった。
ごめんね、今はあるよ。約一度だけ
だけどそれでもやっぱり辞めたくなかった。
辞めないでほしいし。
始まったものが終わるなんて、なんでだよ。
それが尊いとかまぁ分かるけど分かりたくないな。
終わりなんてなくたって一生懸命生きてるし
十分尊いんじゃないの?それは傲慢かな。

もっと自分は強いと思っていた
全くそんなことはなくて
簡単に壊れてしまった

誰かを思い浮かべる気力も
悔しいと思う気力も失くして
いなくなりますね、と言って
いなくなれたら
全てから解放されるんだと思った

そしたら楽だね、
そのまま感情も一緒に消える場合に限り。

何かわからないけど
その何かを守ろうと
とにかくできる限り抱きしめる腕の中で
容赦なく壊れていくような感覚

相反する二つの事象を
同時にいくら大切に抱きしめたって
壊し合うだけなのかもね

全部エゴだったのかもしれないな
みんな同じ気持ちじゃなかったんだ
それはそうか
十人いたら十通りの考え方があるから仕方ない
ましてや全部自分だけのエゴだったなら
もっと仕方ない。
これは全部私のエゴだったんだね。
仕方ないね。

そんなふうに内向き一直線で狭く狭くなる視界を
なんとかひっくり返すために毎日生きていた
過去現在未来において私は私だけど
でもどこかで死んでしまったような気もする
ぐちゃぐちゃになって死んでしまって
また生き返って、まるでまっしろなあれ。

生き返れたのは
"あなたがいたから"
それ以外の理由は見当たらない。

絵本のスイミーを読んで
わたしもあなたも小さな魚かもしれないけど
一緒にいれば大きな魚になれると思った。
これは近からず遠からずの気持ち。

あの時よりは強くなったかも
どうかな。
優しくなくなったって
そう思うのはずっと優しいからかもね。

大切なものを見失いかけた時
大切にしてきたでしょって
教えてくれる人がそばにいるのって
どれくらいの奇跡なんだろう。

表現したいものがあって
ここに立ち続けたいと願って
恵まれた環境があって
やっと続けることが出来る。

悔しい気持ちや不安な気持ちを噛み締めて
飲み込んでは良薬口に苦し。
きっとよく効く美味くなる。

今日よりも明日
明日よりも明後日
一年後よりも十年後
ちょっと先よりもずっと先
みんなの未来が
美味しくなぁれ、萌え萌えきゅん。

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