走馬燈売りの堕天使-マスティマ- #1 後

-1-

親方と老人は何やら言い争いをしている様だった。年若い親方は今と変わらない大きな身体を揺らして叫んでいる。

「待って下さいよマスター、そんなお身体で何処に行こうって言うんですか!」

「今日は昔からの連れが久々に会おうってな、顔を出さにゃ失礼ってモンだ。まぁ、このなりじゃあいつ会えなくなるかも分からんからな。」

「ですから、もっと安静になさって。家でゆっくりとしてからでもいいじゃあないですか。只でさえマスターはこのレストランで毎日休まず働いてらっしゃるのに…常連のお医者さんもあまり良くない状態だから御自愛なすってと言っていたじゃないですか。」

「ゆっくり、か…。そりゃ駄目だ。例え身体が蝕まれててもな、止めちゃあいけねぇんだよ人間はよ。
なぁお前、俺がいつも言ってる言葉、意味、分かったか?」

「人間生きていく中で1番大切なのはキョウイクとキョウヨウ、ですよね。
…いえ、結局答えは分かりません。自分なりに技術と知識を得なければならないと思って今日迄頑張ってきたつもりではあるんですが。」

「ははは、お前は真面目が過ぎる。料理の腕や地頭の良さはきっと既に俺を越えてるよ。
…なぁ、俺はよ、この店、お前にやろうと思ってるんだわ。」

「そんな!自分なんてまだまだです!
ここはマスターあっての店だと思うし、それにまだその問いの答えも見付かっていない」

「そうか、ならその答え合わせはしとかにゃあならんな。
なぁ、俺達の仕事で料理の腕っていう当たり前の話を除いたとして、1番必要な事はなんだと思う?」

「…お客さんにまた来たいと思って貰う為の努力や心遣い、でしょうか」

「ふむ、お前らしいね、50点だ、良いセンなんだがな。
いいか、世界にゃ食いモン屋なんぞごまんとある。
その中でなんでウチに来るかってのはよ、結局は俺達"人"を求めて来てるんだ。
もっと言やぁ、俺達はよ、魅力的な人間で有る事が大事なんだ。
お前さんはよ、マジメで努力家だ。料理の修行を欠かしたこたぁないし、まぁ、俺も随分と頼れる相方に恵まれたモンだ、と思っているよ。
でもな、其れだけじゃあ駄目なんだ、もう分かるよな?」

「…人として、魅力的で、客を惹きつける何かが、必要ということですか」

「ふはは、その通り。だからキョウイク、キョウヨウが必要なんだ。
良いか、言ってしまうとな、キョウイクってのは"今日行く所がある"、キョウヨウってのは"今日用事がある"の略なのさ。
毎日何かやりてぇ事があって様々なモンに触れていく。
その中でのふとした経験や人との繋がりを増やせば増やす程、自ずと見えて来るんだ。
自分が毎日満たされた日々を送ってるとな、他を見る余裕が出来る。だから初めてお客さんを心からもてなす事が出来るんだ」

「それが人として1番大事な事であるキョウイク、キョウヨウ…ふ、ククク…ハッハッハッハ!成る程、如何にもマスターらしい!
マスター、俺、もっと色々見てみます。色んな場所に出掛けて、色んな人に会って、もっと楽しんでみます。
そうすれば、俺もマスターの景色が少しでも見られるでしょうか、マスターみたいに良い空間の店が出来るでしょうか?」

「カッカッカ!お前がそんなに笑っている顔は久々に見たよ。それで良いんだ、お前はもっと気楽に考えろ。
俺を技術じゃ越えてんだ。後はそこ次第、だ。
…じゃあ、もう行くぞ。」

「やはり、行ってしまうんですか、マスター…」

「老兵死すべし、だ。もうそろそろ店やりながら女を抱くのは文字通り骨が折れるのさ。なんてな、じゃあな、達者でよ!」

親方がずっと離れていく老人を見つめている中、風景がぼやけ出した。

「にゃはー!面白かった。あのお爺さん、中々上手いこと言いますな。
今度ボクも話の種に使おーっと。」

「いやいや、誰にだよ…って、なんか歪んでない?お前」

「…走馬燈の終わりが近い。あの人の本来の寿命は後10年だったからあまり多くは燃やせなかった。」

「そんな…じゃあ、もう…」

「シゴトは終わり。私達はもう行く。二度と会わない事を祈っている…トォル、行くよ」

「ちゃーんと長生きしてね!って言いたいんだヨ!ホント、素直じゃないよね。」

「…10点減点」

「ちょ、ちょっとぉー!あ、置いてかないで!
ん、んじゃね、お兄さん、最期はキミが看取ってあげて!」

「ちょ、おい…」

少女と猫が視界から居なくなり、町並みは消え、戻りたく無い現実が徐々に顕れる。
薄暗い倉庫に未だ生暖かい血溜まりが拡がっていた。少女等が来てからそれ程時間は経過していない様だった。

「やっぱり、こっちも夢…って訳じゃないんだよな…」

「…ぐ…夢、か。今、何だか良い夢を見ていた気がするな…」

「お、親方!喋ると血が…」

「…トビー、よぉ。あの、店、な。お前に、任せようかと、思うんだよ。
そろそろ、よぉ、潮時…みてぇだからよ。
…よぉ、あの問いの答え、見付けたか?」

「ッ…親方…へッ…今日行く所がある、今日用事がある、の略とか?バカみてーな答えかもしれねーけどさ。」

「…フッ、ハッ、ハハ、こいつぁ驚いた…
トビーよぉ、お前、俺より筋が良い、じゃあねぇか…
これで、思い残すこたぁねぇ、や。」

「うっ…グス…アンタのお陰でさ、良いキョウイクとキョウヨウがあったのさ。

親方…まだ逝くなよ…俺はまだ全然恩を返せてないんだよ…」

「へ…何、言って、やがる…良い跡継ぎが見付かった…店としちゃあよ、これ程嬉しいこたぁねぇ。
…恩なら十分過ぎる程貰った。最後の日まで料理を、人生を楽しむ事が出来た。
ありがとよ、トビー…達者でな…」

「親方…ッッッ…俺のせいなのに…恨み言どころか、感謝なんてよ、おかしいだろうよ…ホント…ずりぃよ…クソっ…」

親方、俺、キョウイクとキョウヨウ、さ。バカみてーだけど、大事にするよ。
たまたまでもあんな不思議な出会いがあったりするんだからよ。
俺、頑張るからさ、見守っててよ。その内キョウイク場所になるだろうからさ、待っててよ、親方。

焦げ付いた硝煙が、手向けの線香の様に燻っていた。

-2-
5年後…

トビー=マクガフは毎日の忙しさと笑い声に揉まれながら、軽快に鍋を振るっていた。

彼の働く小さなレストランはいつも常連で賑わう活気に溢れた場所であった。

客は慣れ親しんだ空気の中、何処か懐かしい料理の数々に舌鼓を打ち、豪快な笑い声が響く厨房へ自然と惹き込まれていく。

「はいよー!今日はいつもより元気ないなボウズ、肉、多めにしといたから、それ喰って元気だせよ、な?」
「おいおいじぃさんよ、濃い味は駄目だってばあさんに言われてんだからよ!勘弁してくれよ!」
「ほい、お待たせお嬢さん。特製シチューと鰯のオーブン焼き…ってあんたどこかで会わなかったっけ?」

あまり見慣れない長い白髪の美しい少女は小さな斑猫を連れているとはいえ、下町のレストランにはあまりそぐわなかった。

「…いえ、この店は初見です。
評判だと聞いたので来てみたかったのです。いただきます。」

「そうか?うーん、どっかで会った気がするんだけど…まぁいっか、毎日どっか行ってりゃ、どっかで会ったんだろーな。」

「キョウイクとキョウヨウ…クスクス…鰯美味ー(ふぎゅry」

高い猫なで声が聴こえた気がしたが、とっさに少女は真っ赤な顔で猫を押さえ付けた。

「ん?今、横の猫、喋らなかったか?」

「…き、きのせい…い、今のは、私の声…鰯、おいしー(裏声)」

「そ、そうか?変わった奴…
んー、あの、さ。なんかよく分かんねーけど、ヘンに思わないで欲しいんだがよ。
急に感謝したくなってさ、ありがとよ。ゆっくり味わってってくれよな!」

「ん…それは、よかった。とても、美味しい。(トォル、後で覚えておいて…!)」

店を後にし、ぷんすこと怒るマスティマを宥めつつトォルは話題を逸らすように話し掛けた。

「ごめん!ごめんてマスティマぁ!あんなに美味しい鰯、初めて食べたからつい…

あ、そうそう、なんで彼、ボク達の事覚えてなかったの?」


「本来、私は"シゴト"でしかこの世界には関われないから。余計な事はしないし出来ない。」


「じゃあなんで彼の店にご飯食べに来たのさ、マスティマ?」


「…今日行きたい用事が、そこ、だったから…」


「…ぷっ、あはは!マスティマ、案外ユーモアが利いてきたじゃあないか!

なんだかホントに人間らしくなってきたね、キミ。」

「…私が?人間らしい?」

「きっと、さ。キミは天使としては窮屈な存在過ぎたのさ。
羽がもげて、自分の足で歩く堕天使となったキミは、あのじいさんの言葉を借りると案外魅力が増してるんじゃぁないかな?
んー、仮にシゴトが終わったとして、どう生きていきたいんだい?」

「どう生きる…私は、死なないから…。よく、分からない…」

「キミは生死の狭間を何度も見てきたし、これからも見ていく。
多分、いずれ分かる時が来るんじゃないかな?」

「…私は……どう、したいんだろう、どうなりたいんだろう…
ずっと、そんな事、考えもしなかった。
天使として欠陥品だと分かった時から、私は変わり続けている気がする…
私は…どう…生きる…」

天使として最大の欠陥を持つが故に堕天し、途方も無い年数の命の焔を集め、憐れな眷属に最期の景色を見せる彼女は、ほんの少しずつ、変わろうとしていたのであった…

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