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もう、ごめんなさい、なのだけど。

また、言った。

勉強したって報われない。

今日は定期考査前の最後の三連休。
一日目。
結局、大してやらずに、夜を迎える。
勉強嫌いの娘に、親の私が尻を叩く様な言葉を言ったところで、もう今の娘には響かない、どころか、更に反抗心を煽る結果は目に見えている。
信じて、黙って、見守る。
それしかないらしい。

忍耐強く、言わずに我慢して、恐しい程に勉強しない我が子に、何も言えず。
悶々と考えが頭をグルグル廻る。

結局、自立できている大人になってくれたらいいんだから。
仕事なんて、沢山ある。器用なあの子が活躍出来る、居場所がきっとある。

今、勉強が出来ないのがなんだ。
自分が中学生の時なんか、全くしていなかったぞ。

でも、時代がちがうよね。
高校に行って、新しい出会いがあって、影響しあって、高校卒業する頃にはもう、大人と呼ばれる歳になる。

あの子に、良い出会いがらあるのかな。
自信を持って、次に踏み出せるのかな.

色々な不安が頭をよぎり、何日も眠れない夜があった。

怒ってもだめだ。
根拠はないけど、信じて、心底信じて。

自分に言い聞かせて、そっと家を出て、頭を冷やす為に、家の周りを何周も歩いたり、むやみに神社に行ってお祈りしたりした。

いざお参りをし、手を合わせ、何を願うかと思えば、具体的な事は何も言い出せず、普段の感謝と、これからの無病息災を願っている自分に、結局、今の悩みをたまに行く神様に願うのは、やっぱり違うんだって、誰かや何かを頼ることじゃなく、自分でやらないといけないんだって。
分かっていることに気づく、という。

神聖な気持ちになって、気付かされるのかな。

それこそが、お参りの意味なのかな。

兎にも角にも、そうして私はあの手この手でブルーな気持ちも、熱くなったきもちも、力技でなんとかフラットに戻し、また、日常を送る。

そんな毎日も慣れてくると、まあ、どうにかなるだろ。と楽天的に考えることさえできてくる。自分を徹底的に追い詰めない、危機回避能力が働いているのだろうか。

そんなこんなで、ここの所、穏やかな日々ではあったのです。

でもさっき。
久々に彼女の口から成績の話になり、私もこれはチャンスと、勉強はやればやるだけ成績上がるよ、と言ったら、なんだかんだ話が進み、冒頭の言葉になったのです。

この言葉。
長ーい因縁の言葉なの。

彼女が小学4年から始めた中学受験。
健気に取り組む娘には、私はだいぶスパルタで、難しい問題を朝から昼から夜から、やらせた。合格すれば全て報われる、と思っていたから。
キツイよね。。とわかっていながら、やらせた。
結果、自分は勉強できない、と娘には刷り込んだだけだった。

子育てって、難しい。
想いは、逆の方へ。逆の方へ。

申し訳ない、トラウマを、まさかの母親の自分が与えてしまうなんて!!

後悔先に立たず。

でもね。
だからこそ、私が責任もって、彼女を信じ続ける。
おいおいおい。。。とか
うそーん。。とか
信じられない振り切り方して、危なっかしい非常に危なっかしーいケンケンパしながら綱渡していても。(パーの時点で落ちてるけども)

きっと、大丈夫。って。
信じて、思って、伝えていこう。



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