THE FIRST SLAM DUNK

THE FIRST SLAM DUNKの物語の構成の美しさは正しく美術品を見ているかのようだった。

スラムダンクを知らない人も観ることを想定して製作されていると思う。だからこその原作からの引き算、元よりある傑作を削りに削って124分の3Dアニメーションというフォーマットに落とし込む。新たに何かを作ることとは全く別種の、されども決して容易でない作業があったと思う。ある意味ではまた一つの創作である。

主軸となる人物は宮城リョータだ。宮城には父と兄の喪失というバックグラウンドがある。とりわけ兄はバスケを自分に教えた師であり、比べられる対象であり、追い越すべき存在であり、その差を決して埋められない大きな背中であった。彼から見たチームメイトとの回想が、試合を主軸に枝分かれするように描かれる。だが、それらのティーンエイジャーのドラマが一本の試合と撚って一本の、劇的でスリリングで躍動感漲る、力強い糸のように成っているのは印象深い。

試合の所々にそういった回想のようなシーンが挟まれるのだが、湘北VS山王の試合は停滞することなく、寧ろそれらの回想から徐々にエネルギーを得ているかのように熱量は増していく。大事なシーケンスでの静と動、緩急はまさしくその場で試合を目の当たりにしているかのような臨場感であり、その試合にかけるパッションは徐々に当事者のそれへと近づく。緊張感の波が最高潮に達した瞬間に与えられる、手に汗握る静とカタルシスの動。

これは紛れもないスポーツを見ているのだと思い知る。スクリーンの中で繰り広げられる試合に感情を支配されているのだと、この試合に、彼らの躍動に私は心底熱中しており、今この瞬間の喜怒哀楽は目の前で起きてる現象のためにあるのだと感じる。

映画に求める感情の支配が、情緒の全てを捧げるだけの価値のある高揚と激情がこの作品にはあった。

スラムダンクを知らない人だからこそ楽しめる作品でもある。原作を未読だからといってこの劇場体験を逃すのはあまりにも勿体無い。ぜひ鑑賞することをおすすめする。

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