マジック小説「炎の中の過去」

「ウィザーズは必須カードを人々に与えろ! すべての人間に平等なデッキを!」

 窓の外から聞こえてきた叫び声で、目が覚めた。

 ひどく底冷えのする朝だった。薄い布団から這い出した私は、かじかむ手をさすりながら洗面所に向かい、顔を洗って歯を磨いた。炬燵の電源を入れてから、キッチンでインスタントのコーンスープを入れ、トースターにパンをセットする。

「トップメタデッキを使う権利は全人類にある! ウィザーズはすべてのカードをコモンで収録、再録しろ!」

 リーダーらしき男が声高に叫び、賛同者たちが復唱する。声の大きさからして、五、六人といったところか。反レアリティ制度団体によるデモだろう。こんな寒い日の朝早くからご苦労なことだ、と皮肉ではなく感心する。

 チン、とトースターが音を立てた。バタートーストとマグカップを手に、いそいそと炬燵に入った。年代物だけあって、電源を入れてもすぐには温まらない。窓のサッシから隙間風が吹きこみ、くしゃみが出た。たまらずスープを飲むと、老いた体が、じわっと内側から温まる。

「ウィザーズの横暴を許すな! レアリティ制度、断固反対!」

 トーストをかじりつつ、モニターデバイスのスイッチを押す。炬燵の天板の上に、半透明の画面とキーボードが投影された。朝のニュース番組にアクセスする。

「昨日、第二十五期アリーナプロリーグの最終日が行われ、大ベテランのLSV選手が見事四連勝し、奇跡の逆転残留を決めました。七十歳を過ぎてのリーグ残留はアリーナ史上初の快挙となります」

 興奮もあらわに報じる女子アナに変わって、勝利者インタビューを受けるLSVの映像が流れる。七十とは思えない血色の面立ちは、高度な肉体再生技術の賜物だ。

 LSVのインタビューが終わると、トピックは昨夜行われたサザビーズNFTオークションに切り替わった。目玉のLEA版《Black Lotus》PSA10が、カード史上初の1000BTC(ビットコイン)越えで落札されたらしい。近頃ではオールドカードも高騰しており、エターナルマスターズ版Foil《意志の力》と、メルカディアンマスクス版Foil《渦まく知識》の流通価格が、ついに5BTCを超えたとのことだった。

「……ウィルとブレストが同じ値段、か」

 ふと、かつてSNS上で物議を醸した、カード価格是正を求める主張を思い出した。

 三十年も昔の話だ。当時、マジックはまだただの娯楽だった。ウィザーズもまた、いちゲーム企業に過ぎなかった。そしてあの頃はまだ、世界に希望があった。先進国の大多数の人々は飢えることもなく、社会には成り上がるチャンスが残されていた。

「アリーナのパックシステムは賭博である! 人類を堕落させる悪魔の発明に他ならない! ウィザーズは即刻パックシステムを廃止せよ!」

 デモ隊の抗議の声はやまない。その元気さを羨ましく思いながら、朝食を終え、皿を洗った。サイフォンでコーヒーを煎れる。胃が弱くなった今でも、コーヒーだけは辞められない。妻が生きていたなら、たしなめられていることだろう。

 せめてもの気遣いとしてミルクを入れたコーヒーカップ片手に炬燵に戻ったところ、ニュース番組はスタジオに切り替わっていた。アナウンサーが神妙な面持ちでこう言った。

「今日、二月六日は、『マジックアリーナ記念日』です」

 なるほど、わざわざこんな寒い日にデモを行っているのは、そのためか。

「十三年前の今日、アメリカ大統領によるアリーナのレアリティ制度及びパックシステムへの規制発言をきっかけに、アメリカ全土で史上最大規模の抗議暴動が勃発。アメリカ議会とホワイトハウスが占拠されたことにより、大統領が規制発言を撤回するに至りました」

「アリーナ規制なんて馬鹿げた話ですよ。レアリティ制度とパックシステムこそがマジックの根底なのに」元弁護士のコメンテイターが身を乗り出し、鼻息も荒く語る。「売れば一生遊んで暮らせる高額カードがパックから出るかもしれない。我々一般庶民には夢のような話じゃないですか。まさに生きる希望ですよ」

 なにが我々一般庶民だ。いけしゃあしゃあとのたまう男に、鼻白む。

「昔は国が宝くじを売ってたんですよね」

「その通り。還元率五十パーセントですよ、五十パーセント。半分持ってくなんて詐欺も同然でしょ。その点、マジックのパックは平均で還元率七十七パーセント。マジックこそ人類最大の発明。人類の至宝です」

 この男はウィザーズからいくらもらっているのだろうか。そんなことを考えずにはいられない。

「アリーナ記念日を記念して、本日、特別なシークレットレアーが発売されます。それもなんと、記念すべき一万個目! すごいですね!」

 思わず苦笑いが洩れた。まさに出しも出したり。三十年前、「シークレットレアーは出し過ぎだ!」と批難していた人間は今、どんな気持ちでいるのだろう。

「いやあ、素晴らしいですね。世界にマジックがあって本当によかった」

 腕を組み、ひとり頷くコメンテイター。そのしたり顔を眺めつつ、ミルクでまろやかになったコーヒーを飲みながら、私はかつての世界に思いを馳せた。

 規制に対する抗議暴動と規制撤回。世界一の大国アメリカが、民間企業に敗北した決定的瞬間。

 あの出来事こそ、歴史のターニングポイントだったのだろう。

 ――すべての始まりは、コロナウィルスだった。

 未曾有のパンデミックは人類社会に大打撃をもたらし、世界経済の疲弊に伴う混乱は、国家というシステム自体を弱体化させた。

 入れ替わりに急成長を遂げたのが、かねてより巨大化し続けていた世界的テック企業だ。グーグル、マイクロソフト、ステラ、メタなどが提供する様々な製品やサービスは、人々の生活に不可欠のものとなり、彼らが事実上の国家となって人類を影ながら支配するに至った。

 加えて、ブロックチェーン技術による暗号通貨及びNFTが、通貨と資産の概念を一変させた。特に、あらゆるデジタルデータを唯一無二の資産へと転じさせるNFTは、現実世界の財産を過去のものにした。NFTはゲームと相性抜群だったため、当然の成り行きとして、ゲーム業界から世界的企業が誕生した。

 もっとも成長したゲーム企業が、ウィザーズ・オブ・ザ・コーストである。

 親会社ハスブロのCEOに就任したクリス・コックスの方針により、いち早く暗号通貨及びNFTが導入された新生マジックアリーナは、わずか四年で世界最大のプレイ人口を誇るゲームに成長し、その十二年後にはあらゆるプロスポーツやエンターテインメントをも凌ぐ、文化、産業の頂点の地位にまで登り詰めた。マジックのプロプレイヤーは高額の報酬を得るようになり、誰もが憧れるセレブリティとなった。

 その頃には、世界経済は衰退の一途を辿り、貧富の格差は決定的なものになっていた。すべての先進国で富裕層に富が集中し、大衆には貧困が蔓延した。教育費高騰による教育格差がもたらす階層の固定化も深刻で、貧困から這い上がるための手段も失われた。庶民の子供は生まれながらにして、一生涯に渡る薄給の労働を定められるようになったのだ。

 その唯一の例外とされたのが、マジックだった。

「スマートフォンだけで一攫千金! 目指せ、栄光のプロプレイヤー!」

 迫力満点かつ煌びやかな映像と共に謳われるスローガンを真に受けた大衆は、爪に火を灯して貯めたなけなしの金でジェムを購入し、デッキを組み、競技レベルの大会に参加した。

 だが、スローガンはまやかしに過ぎなかった。

 アリーナ人口が増えるにつれ、ウィザーズは露骨なまでに集金体制を強化したからだ。

 手始めにワイルドカードが廃止され、神話レアより輩出率の低いスーパー神話レアが導入された。続いてより希少なウルトラ神話レアが加わり、ハイパー神話レアが登場して、ワンダーレア、アルティメットレア、ギャラクティカレアがそれに続いた(カードは、それまでの紙製カードを含めすべて個別にNFT化され、暗号通貨での売買が可能となった。カードの時価総額は、ほんの数年で株式のそれを上回った)。

 ギャラクティカレアの輩出率は、「1/4350パック」である。当然ながら、カードパワーはレアリティに比例する。価格も然り。

 例えば、現在のスタンダードのトップメタデッキに八枚積み必須とされているギャラクティカレア《偉大なる祖先の意志の力》。「【マナコスト:UU(PWマナ)or手札から青のカード三枚を追放する】【次元・インスタント】対象の呪文を最大ひとつ、絶対追放領域に送る。あなたの通常ライブラリーからカードを七枚引き、アストラルライブラリーから好きなパワー・インスタント呪文三枚をあなたの手札に創出する。あなたがメガPWをコントロールしているなら、面晶体トークンを十二個生成する。刹那越え刹那。バイラル5。多重フラッシュバックUUU(ニューファイレクシアマナ)」との近年にしては比較的シンプルなテキストを持つこのカードは、一枚約0,04BTCだ。スラム街以外で円やドルといった法定通貨が使われなくなって久しいが、コロナパンデミック以前の貨幣価値に換算すると、1BTC=約1,5億円。つまり、一枚約600万円に相当する。

 デッキ全体ともなればより高額で、1BTCを越えるデッキも少なくない。一般庶民がトップメタデッキを組むことなど到底不可能だ。

 それでもなお、人々はプロプレイヤーへの望みを捨てはしなかった。可能性は限りなくゼロに近いとわかっていながらも、類い希な幸運に一縷の望みを託し、下位互換カードだらけのティア下位デッキで大会に参加し続けているのだ。

 この現状を不平等と言わずして、何を不平等と言おうか。

 だが、かつての私は、これらの格差を当然のことと捉えていた。

 三十年前、私は名の知れたプロプレイヤーだった。アリーナのプロリーグで好成績を残し、アリーナの成長と共に資産を増やして、富裕層の仲間入りを果たした。

 富裕層は驕りと特権意識の塊である。自分たちが富んでいるのは、自分たちが優れているからだという考えを疑いもしない。実際には様々な点で幸運だっただけのこと、という事実を受け入れることは絶対にない。

 若き日の私は、資産を増やすにつれ、彼らが持つ驕りと特権意識に染まっていった。アリーナのシステムに疑問を抱くことすらしなくなった。

 そう、あの日までは……。

 気がつくと、コーヒーカップが空になっていた。窓の外からは、依然としてデモ隊の叫びが聞こえてくる。とびきり濃いコーヒーが飲みたくなり、炬燵を出た。コーヒーを煎れていると、ゴミ収集カレンダーが目に留まった。今日は燃えるゴミの日だ。ゴミが溜まっていたことを思い出し、コートを羽織って、ゴミ袋片手に外に出た。刺すように寒い風が吹き、身が竦んだ。アパートの敷地を出て、ゴミ置き場に向かう。

 ゴミ置き場のすぐ側に、デモ隊はいた。二十代から六十代と思しき男女数人で、全員が「レアリティ制度反対」「すべての人に平等なデッキを!」などと書かれたプラカードを掲げている。

 何とも言えない気分で彼らの側を通り過ぎ、ゴミ置き場にゴミ袋を置いて、アパートに戻ろうとした、そのときだった。

「おい、お前らうっせえんだよ」

 剣呑な声に振り向くと、見るからにガラの悪い若者が、デモ隊に絡んでいた。デモ隊のリーダーらしき男が毅然とした態度で応じる。

「我々はアリーナによる不平等社会を是正し、すべての人に平等な機会を――」

「何が平等だっつーの。お前らなんぞ、人殺しの仲間だろうが」

 人殺し。

 見えざる手で、心臓を鷲掴みにされたようだった。

 私は逃げるようにしてアパートに戻った。

 玄関の扉を閉め、胸に手を当て深呼吸した。コートを脱ぎ、キッチンで淹れ立ての濃いコーヒーを啜ると、少しは冷静さが戻ってきた。

 アリーナの規模拡大に伴い、カード資産格差の問題を訴える声もまた、日増しに大きくなっていった。世界各地で反レアリティ制度を掲げる団体が相次いで生まれ、そのうちの一部は非平和的な手段を行使し始めた。彼らの思想は先鋭化し、アリーナが人類最大の文化、産業になる頃には、ウィザーズ幹部やプロプレイヤーの殺害を行うにまで至った。

 中でも、最も過激で危険だったのが「REB(レブ)」だった。革マル派から派生し、《赤霊破/Red Elemental Blast》を元ネタとするこの共産主義結社は、「カードNFT廃止革命による全プレイヤーのカード共有化」を理想に掲げ、日本中で無差別テロを実行した(余談だが、「REB」による最初のテロ事件の後、《赤霊破》並びにチャンドラ関係の全カードがあらゆるフォーマットで禁止された。チャンドラに関しては、「REB」のメンバーが「チャンドラの息子たち」を自称したことが原因だった)。

 八年前のことだ。私の元に、警察から電話があった。息子の良太が逮捕されたというのだ。罪状は、「REB」による無差別テロの実行犯。

 私は自分の耳を疑った。良太もまた若きプロプレイヤーであり、私と同様、アリーナの素晴らしさを信じていると思っていたからだ。

 だが、それは私の思いこみに過ぎなかった。

「僕の友達の巧巳を覚えてる? 巧巳はマジックが上手かった、僕よりもね。でも、プロにはなれなかった。巧巳の家は裕福じゃなかったから。巧巳には難病の妹がいて、その治療費を稼ぐためには危険な工事現場で働くしかなかった。そして事故で死んだ。トップメタデッキを組むカードさえあれば、巧巳はプロになれたのに。そうすれば死ぬこともなかった。……父さん、これでも今のアリーナが正しいと思う?」

 面会室のガラス越しにそう問いかける息子に、私は何も言い返すことができなかった。

 キッチンで突っ立っていたせいで、くしゃみが出た。慌てて炬燵に入る。つけっぱなしのニュースでは、メガcEDH(四十人で行う最新の競技EDH)の第一回世界大会が行われるとの報道がなされていた。

「……EDHか」

 良太が子供の頃、妻と三人でよくEDHをしたことを思い出す。良太が初めて二ターン目に《タッサの信託者》コンボを決めて喜んでいたのが、昨日のことのようだ。

 ――無期懲役。

 それが良太に下った判決だった。

 我が子の逮捕のショックで寝たきりに近い状態になった妻は、三年前に病でこの世を去った。

 妻の葬式の後、私は資産の大半を、「REB」によるテロ事件の被害者遺族支援団体に寄付した。自宅のタワーマンションも売却し、この築五十年のアパートに引っ越した。

 ふいにパトカーのサイレンの音が聞こえた。デモ隊とあの男との騒ぎに気づいた誰かが、通報したのかもしれない。デモ隊は無事だろうか。彼らが逮捕されなければいいのだが。

 コーヒーを啜る。いつのまにか、すっかり冷え切っていた。口の中に苦さが広がるのと同時に、私の脳裏に、これまで幾度となく繰り返された問いかけが浮かんだ。

 もしコロナウィルスによるパンデミックが起こらなかったら……

 クリス・コックスがウィザーズのCEOに就任しなかったら……

 アリーナに暗号通貨とNFTが導入されなかったら……

 アメリカがアリーナを規制できていたら……

 世界は今より平等だったのだろうか。

 私の息子は、テロリストにならずにすんだのだろうか。

 わからない。わからなかった。

 またくしゃみが出た。今日はあまりに寒すぎる。このままでは風邪を引くかもしれない。ストーブのスイッチを入れるべく、私は立ち上がった。

 パトカーのサイレンの音が、徐々に近づいてくる。


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