初めて持ち込みをした思い出

一番最初の記事を書いたのは2023年の2月くらいだった。
あれから私は投稿を3度して、賞金の多さや賞の大きさはまばらであるが
出した漫画はどれもなんかしらの賞にひっかかるという
文字だけにしたら「すげーじゃん」という感じだ。
でも私は37歳だし同人誌をコソコソ10年程描いていたのだし別にすごくないと思う。謙遜でなく客観的に。
私より若く結果を出している人も、描く時間が短い人も、上手い人も沢山いる。

結果をいうとたいてい「すごいね才能あったんだね」と言ってもらえるが、いざ賞を取り担当さんがついて
その中で連載とるために戦っていくで~と取り組むと本当の意味で「才能あるんですね」という人たちがなんと多い事か
そしてその人たちでさえまだ足掻き、日の目を見ず、疲弊し、使い倒されていることに絶望的な気持ちにもなる。
私はこの戦いを潜り抜けて、金銭的にも精神的にも安定した生活をしていくことが出来るのだろうか。

現在は見切り発車で仕事を辞めてしまい、働きながら描いていた時の忙しさとのギャップで暇すぎて狂いそうになっている。
私は石橋を叩きまくるくせに判断力が低い。何を選んでも後悔している。
一応最低目標の「連載を始める」にたどり着けそうな状況なので、
今限定の、この余りある時間で色々書いていきたい。

今日は初めてオリジナル漫画を持ち込みした時の事

初めて漫画を持ち込みしたのは、最初の就職がとんでもないブラックで疲弊してしまい
親に高いお金を出してもらいデザインの専門学校に行かせてもらったのに、完全に「もうやだ」になってしまって半年足らずで辞めてしまった。
当時は毎日泣いていたし職場の人にも煙たがられていて世はまさに大暗黒時代。

自分はこれからどうすればいいかわからなくなった時、確かLaLaの毎月やっているマンガスクールの賞に16P描いて持って行った。
結局私は漫画家になりたかったのに、当時は今の様なweb媒体もなければ漫画というコンテンツの地位が低かった。
まぁそういったものを言い訳にして、当時10代だった私は漫画の専門学校に行く勇気が持てなかった。親に言うのも恥ずかしかった。
消去法でデザインを選んだので、過酷な労働環境でそういう選び方をした人間が「向いてなかった」と諦める事になんの同情の余地もないが、
でも当時はそれなりに真剣にやっていたので絶望したものだ。
営業の怖い下ネタ女や、いかついパワハラ先輩男に煙たがられていた。でも優しい人もいて、退職した日泣きながら駅まで歩いていると「あの人は戦力外の出がらし」と馬鹿にされていたおじさんが励ましのメールをくれた。
後日会社が倒産した時も、そのおじさんが報告のメールをくれた。
あの会社で一番尊敬していた。今も元気でいてくれたら嬉しい。


そこから「再就職するにしても、一度、漫画を描こう!」と思い16ページのオリジナル漫画を描きはじめたが、恐ろしいほど大変で
前回も書いたがタチキリや内枠も何もわからないで描いて、ドキドキしながら白泉社に行き
マジでボロクソに言われて、一応賞に出してもらってBクラスだった。

話はミッション系の学校に入学した少女が、学校つまんね~とサボってたら教会にたどり着いて
そこで神父様に恋するんだけど神父様に「現実逃避してないでちゃんと授業受けて友達つくれ」等言われて
馬鹿だと思ってた友達も向き合ってみたら意外といい奴らだった…みたいなものだった。

その時の編集さんに「神父様は天使とか悪魔なのかと思った。漫画だしもっと突飛にしてもいい」と言われたのをすごく覚えている。今でもそれと近い事を言われる。
漫画なんだから演出をもっとしていかないと!と言われる。
でも照れてしまうのか、過度な演出は安く見えてしまうような先入観があり、これがずっと苦手だ。必要な事なので改善していきたい。

質問ありますか?と聞かれて「どういう漫画が売れますか?」と質問したら
「そんなのは誰にもわからない。ウチで一番売れていたのは彼氏彼女の事情で、その次のヒット作はホスト部で傾向がまったく違う。こっちが聞きたいくらいだ。」と言われて「た 確かに…」と思った。
当時の編集さんはこんなクソバカ質問にちゃんと答えてくださって温情がある。見込みゼロだったのに時間を割いて話してくれた。
まだ続けていらっしゃるかもわからないけれど、ありがとうございました。

そんな感じで初めての持ち込みは撃沈して、地下鉄の駅のベンチに座ってボー…として終わった。
でも「一応書き上げることは出来たんだ」という事実だけは残り、この経験があったから私はまた投稿が出来たんだと思う。

その後も継続的に描くつもりだったけど「つもり」で終わった。
再就職が難しく、未経験で学歴もない私がまともな労働環境で正社員で働くのはとても難しい事だった。
それに気づくのはいつだって大人になってからで、学生の時にあれほど勉強をしろ、進学をしろと言われるのになぜ子供は気付けないのか…と思う。
私はナメた学生だったので、嫌いな先生の授業の時、教科書ではなく分厚いハリーポッターの本を机の上に出して堂々と読み先生に「君はもうそれでいいと思う」と見放されていた。
不良ではなかったが、真面目でもなかった。変なオタクだった。
オタクだったけど、クラスから浮かないように最低限身なりに気を配り、隠れて漫研の人と喋った。
ひどいやつみたいに聞こえるけれど当時オタクの市民権は低く、そういう時代だった。

また話がそれたけれど、とにかく「生活に追われて漫画を描かなくなった」になり、
次に漫画を描くのが25歳。あるスポーツ漫画に激ハマリして、ツイッターも流行りだしたタイミングだった。

この時、ジャンルの人達に優しくされ、かつ本にしなくても漫画を描いてネットにあげればある程度読んでもらえる事を知り
私はまた漫画を描き始めた。
同人誌も出した!友達も出来て本当に楽しかった。
プロになりたいとかは本当におこがましく、身の程知らずで、会社員を続けながら細々と描いていければ幸せだった。

私はこの生活を10年くらい送る。

その後、コロナウイルスが大流行して職場の環境が激震、上司がセクハラ事件を起こし労働環境、生活が滅茶苦茶になり
再び漫画を描き始める。次はその話を書く。

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