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書評「ソーシャルジャスティス」

結論から言うと
めちゃくちゃ面白かった


特に第6章は読んでほしい。

吾輩、正直言ってフェミニズムには眉を顰めるところがあったが
内田舞先生の本は本当に面白かった。

分断を超える


内田舞先生は
フェミニズムによって分断を起こしたいのではなく、分断のその先の議論を見据えている。これがかなり新鮮で刺さった。

分断とは
男vs女の対立だけかと思いきや
同性同士の対立もあるし
子ありvs子なしの戦いもあり
専業主婦(夫)vs共働き
もう争いは尽きない果てしない。
考えるのを止めるのはよくない
と思いながら、思考を停止してしまう。
だって考えるとエネルギーの消費が激しいから。

だけど、分断を超えられるかもしれない
と希望が持てるのなら
この停止した思考をまた再開させようと思えた。

他人に理解されるためには
理解される努力をしなくてはならない

ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る

前頭葉の思考停止

吾輩は脳科学の本を読んでいて
思考を停止する、つまり前頭葉を使わないと
脳の機能は低下すると思ってる

しかし人類は飢餓との歴史であった
だから脳は前頭葉のエネルギー消費を抑えようとする
(参考「ブレイン・マネジメント 脳を自由自在に操る科学的メソッド 」)

現代でももちろん貧困国はあるが
世界はどんどん良くなっている
飢餓も解消されていってるので
エネルギー消費を恐れず前頭葉は使っていきたい。
(参考「FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」)

この本にも
習慣化された思考は定着し
エネルギー消費を抑えるために
前頭葉が活動を抑える旨が書いてあった。

そう、人類は考えを変える事をやりたくない
新しいことを学んで価値観を変えるのはシンドい。だから思考を停止する。

人間には自分が強いとか偉いと思いたくなる時があって、他の人が弱いとか悪いと思うことで自分は強いと錯覚してしまう時がある

ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る

そう、
強い自分が偉いのだと
錯覚する人は絶えない

社会を他者をナナメに批評しては
決して自分が責任を取る立場に立とうとしない
いつも安全なところから石を投げる

善意と称して、弱くあるな
強くあれ、泣くな、立て
受け流せ、水に流せ
そうでなければ社会を生き抜けない
社会は厳しいのだ
俺は教えてやってるだけだ

その言動は
他者からジャッジされることの恐怖の裏返しであり
自己決定の自信のなさ
でも、罪悪感からその信念はより強固になる

DV加害者の古典的思想である。

それこそ弱い人間の行動なのに
そんなことを認められる人なんてほとんどいない

日本でも「同意」教育は広まっており
功罪含めて、boundaryは一般的な思想となると吾輩は踏んでいる

しかし時代の変化を知らない人は
ただ、置いていかれるだけ
と、吾輩は推測する

SNS炎上・叱る依存が止まらない

さて、ビジネスのシーンでは
叱ることは大切だとの意見もある。
それはそうだ。
もしも、部下がとても危険な行動をしてたとしよう。
例えば工事現場でヘルメットを被らないなんて言語道断だ。怒鳴りつけてやりたいくらいだと思う。

次の項目で書く
「ガスライティング」の言葉に馴染みない人のSNS炎上の仕組みを「〈叱る依存〉がとまらない」の本で説明しよう。

叱るとは相手のために注意をしてるわけで
危険な行動を変えさせようとしてるのだが

他罰行為(叱る・正義を下すなど)は
ハッピーな脳内物質がでる。

叱るという行為は
「こうあるべき」を相手に伝える行為です

叱れば相手はヘルメットをつけるかもしれません。
しかし、危ないということを理解して止まったのではなく、大きな音に対するネガティブな反応から、生存本能を司る扁桃体が機能しただけなんだそう。

扁桃体は、古来の人間がクマなどに襲われた時に即座に反応する防衛本能の役割をする脳の部位です。

だから、恐怖体験として理解しただけで
なぜヘルメットをつけなければならないのか
理由背景を理解したわけではありません。

しかし、叱る側からしたら
「こうあるべき」を他者に押し付けて
数秒後にはその効果を実感できるのです。

本来、他者を変えることはできません
なのに叱る(怒鳴るなどを含む)だと
速攻で他人を変えられる。

ですが、前述の通り
なぜヘルメットをつけなければならないのか
意味理解せず、ただの叱られた恐怖体験から学んだのなら
本質的に理解せずに思考停止した状態になり、分かってないのでまた同じ事をするでしょう。

叱る行為は、回数を重ねるほど効果は薄れます。だからもっともっと叱って
いずれは境界線を超えてパワハラをします。
叱るとパワハラは紙一重。


叱る行為の発端は他者のビジネス的な成長を促すことかもしれません
しかし、いつのまにか他罰行為の快感に溺れていき、叱ることでスッキリする瞬間が増える。
これは依存症。
だからSNS炎上はやめられない。

ガスライティング


「あなたはセンシティブすぎる」
「弱いのが悪い」
「あなたのために言ってるんだから」
これは何歳の時も、何人にも言われた

彼らは絶対に謝らない
彼らにとって「弱さ」は悪なのだ

例えば吾輩が「君って背が低いよね」
と言われて傷ついたとしよう。

彼らの論法は
「背が低いのは事実なので
事実を言うのは悪くはない
背が低いなんてことぐらいで
傷つく君の方が悪い」

のだ。
そう、イジリと呼ばれる侮辱行為は
日常茶飯事にあって
そんなことに怒ってたらキリがない。

でも、なんで背が低いってイジられなきゃならないんだろう。
嫌だって言ってるのに、誰も取り合ってくれない。

有害な男らしさ

男たるものウヌンカンヌン言われ
本当にシンドイ。
弱いものが悪いと何度言われたことか。

でも、ビジネスにおいて
たしかに、弱っちいと食われるだけなので
ビジネスサイドの意見としてはわかる。
分かるけど、弱いと悪いになってしまうと
立場が悪い人が悪いみたいな論法になるじゃないかとか思ったりする。
やっぱり変だ。変だと自覚する男性が増えて欲しい。

マイクロアグレッション


とはいえ、吾輩だって聖人ではない
人生でいったい何人の人を深く傷つけ
いったいどれだけの涙を流させてきたのだろうか

悪いことをしたと即座に気がつければ
謝るなりしてどうにかできただろうが
5年後ぐらいにはたと、あの時傷つけてしまった!!と気がついたりしてもう手遅れ。

何かの加害者になった時
それを認めるのは非常に苦しい
だからアクロバティック理論を用意し
いわゆる「逆ギレ」をかましてしまう。

私は悪くないので謝りません
と言うのはなかなかアクロバティックだなと思う(そんな人いっぱいいるけど)

「あなたの言動で私は傷つけられました」
と人から言われた事があるだろうか?
吾輩はある。

受け止められなかった。
だって、相手のためと思ったし
なんで吾輩のせいだなのだ
まったく理解できない。
よくわからないけどとりあえず謝った。
でも時が経つにつれ、だんだんと
なにをどう傷つけたのか分かるような気がした。

あ、これは自分がマズイことをした。
しかし、時間が経っていたならば時すでに遅し
しっかりと自分のしたことを受け止めた上で謝罪する機会はもうない。

その人のなかで、悪魔だのクズだのと思われてても仕方がないなと思う。

内的評価と外的評価


なんのきっかけなのか
急に自分の評判が上がったり
あるいは急に評判が下がったりすると
自己評価と他者評価の乖離に
居心地の悪さを感じる
あれは辛い。

でも自分の内的評価を育ててたので
急激に評価が下がった時も
2日ぐらいで立ち直れた。
ありがとう自分。

再評価


内田舞先生の「再評価」の方法として
「感情」「考え」「行動」の
3つをキーにする考え方を紹介してくれてる
これが実に実践しやすい

認知行動療法は
「環境」「認知」「気分・感情」「身体反応」「行動」の5つで考えるが
(参考:自分でできるスキーマ療法ワークブック)

これ、かなり訓練しないとできるようにならないし、特に「身体反応」に意識を向けるようにするにはマインドフルネスがある程度できないと厳しいように思う。

職場の出来事で想定して考えてみよう

たとえば職場の人が
なんだかいつもと違う反応で嫌な感じがした
とする。これは「感情」

その時の「考え」は
吾輩を大切にしていないからだ
だったとする

「行動」としては、
ちょっとチャットの返事を遅らせてやろう
だったとしよう。

この「考え」を再評価してみよう
職場の人がいつもと感じがちがく
なんだか嫌な感じがしたとして

よくよく様子を見て発言を聞いてたら
どうやら二日酔いでお腹の具合が悪いのを隠していた
ということがあった

つまり誤解である。

簡単なエピソードで紹介したが
もっとヘビーな議題は山ほどあるはずだ

吾輩は敬意を払われていないと感じることはよくある
でも大概は誤解
そして、なぜ敬意が払われていないと思うか振り返ると
大概は表情がよく読めない時だと思う。

表情で相手が何考えてるかなんて
わかるようでわかるわけないし
二日酔いで具合悪くて
冷たい感じの受け答えなのかもしれないし
本当に怒っているのかもしれないし
超重要案件を別に抱えてて
心底心に余裕がないのかもしれないし
真意なんてわかるわけがない

しかし「考え」をネガティブに想像し
物事を悪く捉えて「行動」して
こっちも感じ悪くしてしまう。

でも「考え」なんて妄想である。
どうせならばその妄想は
「二日酔いで具合悪いだけかも」
とポジティブな方に妄想するほうがいい。

ただし、何でもかんでも
ネガティブが悪というわけではない。

ネガティブな妄想は
「勘」のようなもので
システム開発の時はポジティブすぎると
抜け漏れが多めに発生するので
ネガティブな気質こそ品質が担保される場合もある。

ラジカル・アクセプタンス


事実を受け入れると楽になる
これは吾輩も実感したことがある

友人に
「あなたは受け流せないんだよね
それは分かるよ
でも、受け流せる人が多数派だよね」
と言われたことがある。

ものすごくハッとした。
そうだ。世の中の大半の人は
色々と受け流せるのだ。

アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)
を受けた時、どうにも受け流せない
出身地が○○ってことは××なの?
とか言われるとモヤる。
いや、それ偏見ですよね。と言いたい。

でも大抵の人は笑って受け流している。
そうでないとやってられないから。

でもこれが「結婚」や「子供」の話題だったら?受け流せるわけないだろうが!
と思うが、
どうも生きてくために受け流している人が
とても多い「事実」を
改めて認識して受け入れることにした。

すごく楽になった。

もちろん、未婚の人を揶揄するのは
許されていいことではないし
逆に既婚の人をバッシングするなんて
もう正気の沙汰ではないとすら思う。

吾輩は多数派の考えを変えることはできない「事実」を受容するのだ。
それは諦めや、偏見に晒されて辛かった自分の感情を無視するのとも違う
「事実」を受容した上で、どう考え、どう行動するのか。

吾輩には
「あなたのしたことは良くなかったかもね。
でも相手がしたことも
あなたは受け流せないんだよね。
分かるよ。
でもね、私はあなたの良いところ知ってるよ。信念は曲げなくていい。
他人は他人。自分は自分」
そう言ってくれる友人がいることを
ものすごく幸福に思う。

社会の有り様を変えることはできない
社会への絶望を感じることがある
でも「あなたが何かあった時に受け流さないで変えようとするところは、変えなくていいよ」と言ってくれる人がいること
なんて宝物なのだと思う。

読了


目まぐるしく起こる毎日の仕事のことに
どうにも疲弊するし
自分が間違っていておかしいのだろうか
と思い悩むことがたくさんあるけれど
本から得る知識は自分を助けてくれる

例えば、
結婚するしない
子供を持つ持たない
それは変なことなのだろうかと
ふとした瞬間に思い悩む
だけど、
社会学が、脳科学が、心理学が、哲学が
吾輩の悩みを浄化してくれる。
(参考: 「選択的シングル」の時代 30カ国以上のデータが示す「結婚神話」の真実と「新しい生き方」)


ソーシャルジャスティスを読み切って
すごく救われた気持ちになった。


参考書籍一覧

ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る

〈叱る依存〉がとまらない

ブレイン・マネジメント 脳を自由自在に操る科学的メソッド


FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。

自分でできるスキーマ療法ワークブック Book 1 生きづらさを理解し、こころの回復力を取り戻そう

「選択的シングル」の時代 30カ国以上のデータが示す「結婚神話」の真実と「新しい生き方」

参考動画

PIVOT ソーシャルジャスティス紹介

感情コントロールは自分を守る

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