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うつ病でも幸せ,青春とは?心の若さを保つ


青春時代とは、心の若さのことをいう


青春とは、年齢とは関係なく、心の状態のことをいいます。

青春とは、心が若いということです。

心が若ければ、その人はどれだけ年齢を重ねていったとしても、ずっと青春時代でいられるのです。

ときどき、年齢を重ねるにつれて、肌だけでなく、心まで老けてしまっている人がいます。

人間の青春時代とは、年齢そのもののことではなく、どれだけ心が若くいられるかによって決まります。

挑戦、やる気、好奇心、向上心、情熱、恋愛。

これらの心を代表する気持ちがなくなったとき、人は初めて「老ける」のです。

いつまでも挑戦を忘れず、自分のやりたいことのために、やる気を持っている人は、いつまでも老けません。

青春は、若い一時期だけをさしているのではなく、心が輝いている時代のことをさしているのです。

40代や50代になっても、自分向上のために、習い事や読書を欠かさずにしている人は、まだまだ青春時代を送っている人です。

年齢が40歳でも、50歳でも、心がやる気に満ちていれば、そうした方々は、まだまだ青春時代を送っていることになるのです。

人生の四季を生きる



藤尾秀昭氏の『小さな人生論 4』の中に「人生の四季を生きる」という心に響く一節がありました。

地球が一公転するごとに季節の四季は巡る。

何度でも巡ってくる。

だが、青春、朱夏(しゅか)、白秋(はくしゅう)、玄冬(げんとう)…人生の四季は一回限りである。

人は皆いずれかの季節を、いま生きている。



中には若くして逝き、白秋、玄冬を見ずに終わる人生もある。

だが吉田松陰は、人は十歳で死んでも、その人なりの人生の四季を生きて死ぬのだ、といっている。

二十九歳の若さで生涯を終えた松陰自身が、人生の四季を堪能して旅立った人なのだろう。

年齢的にいえば、青春とは三十歳くらいまでのことになるだろうか。

朱夏は三十歳から五十歳。

白秋は五十歳から七十歳あたり。

玄冬はそれ以降となる。

人は生まれ、若々しく成長し、そして老い、死ぬ。厳然たる事実である。

この事実を事実として受け止め、そのすべての季節をどう生きるか、 各人の心の工夫が問われるところです。


日本人の平均寿命は、平成26年度のデータで男性が80.98歳、女性が87.14歳で、香港につぐ世界第2位です。

いまや先進国の平均寿命は1日5時間というスピードで伸び続けているそうです。

このまままでいくと、なんと2045年には平均寿命が100歳の時代が到来するのです。

近い将来、定年で退職した後の第二の人生が40年もある時代が迫っているのです。

この人生100年時代を生きぬく知恵をサミュエル・ウルマンの「青春の詩」の名言から学びましょう。

人生まるごと青春時代に変える




松下幸之助氏が松下政経塾を開塾したのは、八十六歳の時です。

初めての入塾式のあとで、住友銀行の頭取を務めた八十一歳の堀田正三氏と、「五年間の修養でどんな人物が育つだろうか」と楽しそうに語り合っていました。

同席した新井正明氏は、自分の年齢を忘れて五年後に希望を燃やすお二人の姿に感嘆した、といわれていました。



松下幸之助氏が好んで色紙に書いた言葉に「青春」があります。サミュエル・ウルマンの詩です。


青春とは人生のある期間ではなく心の持ち方をいう。

薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、 たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。

青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気、 安きにつく気持を振り捨てる冒険心を意味する。

ときには20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。

年を重ねただけで人は老いない。

理想を失うとき初めて老いる。

歳月は皮膚にしわを増すが、熱情は失えば心はしぼむ。

苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、驚異に惹かれる心、 おさなごのような未知への探求心、人生への興味の歓喜がある。

君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。

人から神から美・希望・喜び・勇気・力の霊感をうける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ悲嘆の氷に閉ざされるとき、 20歳であろうと人は老いる。

頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、 80歳であろうと人は青春にして已む。


これは、松下幸之助が座右の銘としていた言葉です。

アメリカの詩人、サミュエル・ウルマンの「青春」という詩にヒントを得て、昭和四十年、松下幸之助が七十歳のときにみずからつくったもので、つねに若くありたいという希望と、つねに若くあらねばならないという戒めをこめたものだといいます。

肉体的な年齢が年々増えていくのは、だれもが避けて通れません。

ですが心の若さは気のもちようで、何歳になろうとももち続けることができる、つねに前へ進む気力さえ失わなければ、若さはいつも向こうからついてくるというのが、松下幸之助の信念でした。

松下幸之助は九十四歳で世を去ったが、亡くなる寸前まで、日本の将来のあり方を考え続けていました。

また「三世紀にわたって生きるために百七歳まで生きる」「日本新記録をつくるために百三十歳まで生きる」と、みずからの年齢までも貪欲に生きる目標としていました。

そのつねに前向きに生きる姿勢は、まさに青春そのものでした。




(サミュエル・ウルマン 1840〜1924 アメリカの実業家)


サミュエル・ウルマンは決して楽な時代に生きた人ではありません。

むしろ困難な時代に生きた人間です。

ウルマンが80歳という年齢にたったとき、死を間近に感じるような年齢でもなお、理想を追い求めることの重要さを綴っています。


「年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。」と・・・



「若さ」や「青春」というものは決して年齢だとか、思春期だからとかそういう人生の中のある特定の期間のことをいうのではないのです。

何歳になっても、たとえ、40歳だろうと60歳だろうと100歳であろうと、心が若い、気持ちが若く生き生きとしている時、そのことをまさに青春というのです。



肉体は年月によって老いていってしまいますが、気持ちだけでも若く持っていたいものです。



これは青春に限らず、すべてのことが当てはまると思います。

同じことが起こっても心も持ち方一つで、良いことにも悪いことにもなります。

年だから、もうこれは無理だと考えるのではなく、年だからこそ、体を鍛えないとできなくなったと考え、鍛えている人には、「無理」という言葉はなくなります。

全ては「やり方」、「準備」によって実現することが可能です。



大事なのはどちらの自分が「理想」なのかということです。

「出来る自分」と「出来ない自分」・・・

自分の心が喜ぶ、自分の大事な人が喜ぶ自分はどちらなのかは明確です。


サミュエル・ウルマンの詩「青春」の一節に次のように書かれています。


「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。」


自分の年齢によってもこの詩から受取るメッセージが変わってきます。

情熱や想像力といったものを様相と表現していますが、私たちは心の様相によっていつまでも青春であるということが言えます。

例えば、20代で今に満足してチャレンジをしなかったり、仕事に対して諦めを持ってしまえば「老い」なのかもしれないですし、70代になって夢を追い続け常に冒険心を持っている方は「青春」なのです。


青春であリ続ける様子はよくわかります。

毎日を楽しみ、昨日よりも今日の自分が最高であるという方は好奇心も想像力も豊かです。


就職活動で「安定」を意識することをだめだとは思いませんが、「どうせ自分はこれぐらいが丁度いい」「自分の限界はここです」と言って制限を作ってしまうことがります。

制限があることが心地が良いこともあります。

それはとても良くわかります。

コンフォートゾーンがあることで安心することも時としては大切なこともあります。


ですが「青春」と考えたとき、これから社会に出て無限の可能性があるというときに、あえて、制限を外してみるというチャレンジもしてみたいですね。

就職や進学などに絶対はないと考えています。

未来に向かって大きな山を目指すことは誰にも邪魔はされないはずです。

夢を持って駆け抜けている先輩たちはこの「絶対」を乗り越えることにチャレンジをしています。

今すぐはできないことも、今日より明日一歩でも前に進むことを積み重ねて、努力をしています。

最初は地味で成果も見えず本当にやっていて意味があるのかわからないこともあります。

その先に、自分が描く夢を持つことで前進するエネルギーになっていきます。

成果の見えないことにも必ず意味があって必ず後から点と点がつながっていくのです。

「青春」であり続けることは自分の選択で可能です。

辛いと思うときこそ、自分の選択を信じていきましょう。


年はとっても、心だけはいつまでも若くいる




人生まるごと青春時代に変える方法


初体験があるうちはまだ青春


初体験があるうちは、まだまだ青春時代を送っていると言えます。

たとえ、30代や40代の人でも、初めてのことに挑戦している人は、年齢とは関係なく「若い」と言えます。

私の友人で、30代の人がいます。

今、その人はスキューバダイビングをしています。

本人は、それまで経験などしたこともなく「初めてだったから始めてみた」と言います。

私はそれを聞いて「若いですね」と言いました。

年齢の高い人でも、初めてのことに挑戦している人は、若く感じます。

人間は、年を重ねるごとに、つい初体験に尻込みがちになります。

いい年をして恥ずかしい目に遭うのが嫌で、初めての経験から逃げ腰になります。

これが「心の老い」の出発点です。

体の老いを言っているのではありません。

体の老いは、年を重ねるに比例して、老いていきます。

人によって個人差はあっても、体の老化だけは、避けて通ることはできません。

しかし「心の老い」は、本人の気持ちしだいで、避けていけます。

「心の老い」が年齢を比例していくことはなく、本人がそうさせてしまっているのが大半です。


本人の心がけによって、心は年齢に関係なく、老けることも若返ることもできる、不思議な存在なのです。



「そんな年じゃないから」という人は、自分で心の老いを認めている人。


「私、もうそんな年じゃないから」という言葉を聞いたことがありませんか。

「そんな年」とは、どんな年でしょうか。

この言葉は、人生の中で言ってはいけない禁句の1つです。

この言葉を言ってしまうと、自分で「心の老い」を促進させてしまう恐れがあります。

この一言は、すでに心が老いていないと出てこない言葉だからです。

心が若くやる気のある人が「もうこんな年だから」という言葉は、間違っても言いません。

そんな言葉を言ってしまうと、自分がすでに老いてしまっていると認めることになってしまうからです。

「もうそんな年じゃないから」と言っている人は、決まって心も老けている人です。

本人は「そんなことはありませんよ。まだまだ若いじゃないですか」と言ってもらいたいのかもしれません。

しかし、言ってもらおうと演技をしている時点でもう老いているのです。

今まで気にしなかった一言かもしれませんが、これからは注意しましょう。

年を取ってしまうごとに、うっかり口にしてしまいがちな言葉ですが、気をつけたいところです。

「もうそんな年じゃないから」ほど、心の老いをさらけ出した言葉はないのです。


本を読んでいる人は、いつまでも青春時代を送っている



人間の向上心は、本を読む習慣があるかどうかでよくわかります。

一般的に自然と手元に無料で本が舞い込んでくる状況はありません。

本を読むには買わなければならず、お金が必要です。

本を読むには、ある程度まとまった時間も必要です。

お金といい時間といい、意図的・積極的にならないといけません。

本を読んでいる人で、向上心のない人はいません。

わざわざ本屋に行って、お金を出してまで本を読もうとする人は、向上心が強いと言えます。

無料で手に入る図書館にせよ、図書館まで行く手間が必要です。

本を読んでいる人は、やる気・向上心・好奇心のある人です。

つまり、心が若い人です。

自分を向上していこうという気持ちがあるからこそ、本を読もうという気持ちが生まれます。

本を読みたい人は、面倒でもわざわざ買ってまでも読みます。

これが、まだまだ心が若いという証拠です。

メイクをしている人は、心も若い



私の祖母が生きていたころは、よくメイクをしていました。

顔はしわくちゃになっていても、鏡の前に立ってメイクをしている姿は、若く感じられました。

祖母に「なぜメイクするのか」と尋ねると「メイクをしたほうがきれいに見えるでしょ」と答えました。

当たり前の返事ですが、深い言葉です。

やはりメイクをしたほうが、きれいに見えるのです。

たとえ年を取っても、美しくありたいという気持ちは、すべての女性の願いでしょう。

当時70歳だった祖母が、美しくありたい気持ちを持っていてくれたことに、嬉しく思いました。

自分の顔に自信があって、メイクをしない人も、ときどきいます。

たしかに顔形に恵まれた人は、メイクしている人よりきれいなのかもしれません。

しかし「もっと美しくありたい」という向上心を捨てていることに気づきます。

きれいかどうかで、メイクをするしないではありません。

「もっと美しくなりたい」という向上心のある人がメイクをして、向上心のない人がメイクをしないだけです。

メイクをしている女性は、すべて若いです。

見かけが若いだけでなく、心も若いということです。

メイクは「自分をもっときれいに見せたい」という向上心の表れです。


だから、メイクしている女性は、みんな美しいのです。


謝れなくなったら、老化の始まり



謝れなくなったら、老化の始まりだと思いましょう。

謝れなくなるということは、それだけ頭が固くなってしまったということです。

プライドや見栄、肩書があるために、謝れないのです。

相手に対して素直に謝れなくなったら赤信号です。

大きな間違いだけを謝ればいいわけではありません。

日常生活での小さくてささいなことまでも謝ることができるかどうかが大切です。

特に子どもは、謝るのが上手です。

ささいなことでも「ごめんなさい」と謝ることができます。

「ごめんなさい」と言われると「大丈夫だよ」と許してしまいます。

大人で心まで老けている人は、謝ることはしません。

というより、できないのです。

謝ることは負けることだと思っているため、なかなか自分の過ちを認めることができません。

そのため、本当に間違っていることでも、教えてもらえるチャンスを失ったり、現実を直視できなかったりします。

ここまでくると、誰からの言うことも聞くことができなくなります。

謝れなくなったら、自分の成長を止めてしまうことになるのです。

勝ち負けにこだわるより、楽しんでいる人のほうが、輝いている



私の祖母(母方の母)は、いまだに若いです。

すでに80歳を超えているにもかかわらず、ダンスや川柳をして、毎日楽しんでいます。

私が電話をしても、ほとんど家にいません。

そのくらい外で何か習い事をしたり、人と会ったりしているということです。

私の祖母は、ダンスや川柳を楽しいからやっているといいます。

年を取っても若々しくしていられるのは、毎日に楽しいことがあるからなんだなと思いました。

勝ち負けにこだわらず、ただ純粋に楽しんでいるわけです。

スポーツや勉強、仕事もそうですが、普通はつい勝ち負けを意識してやってしまいがちです。

勝ち負けがあるから、やる気が出るということもあるでしょう。

勝てば相手の不幸を喜び、負ければ自分の不幸に悲しむという、感情の波が激しくなってしまうことは言うまでもありません。

勝ち負けを目標とするより、楽しむことを目標としていけばいいのです。

イチロー選手は、アメリカ大リーグで、年間安打262本を達成して、事実上世界一になりました。

日本からは国民栄誉賞を授与するという申し出を断りました。

イチロー選手は「モチベーションを大切にしたいから」と言って、断りました。

まさに、イチロー選手の場合こそ、勝ち負けにこだわっているのではなく、野球を楽しんでいる姿です。


楽しむことを大切にしているからこそ、モチベーションややる気を出せ、素晴らしい成績を残すことができたのです。

素晴らしい生き方とは、勝ち負けにこだわる生き方のことではありません。

そのときそのときを、楽しむ生き方のことなのです。

上を向いて、歩こう



坂本九の名曲に『上を向いて歩こう(作曲:中村八大/作詞:永六輔)』という歌があります。

海外でも「SUKIYAKI」と名前を変えて発売され、日本初の世界的ミリオンセラーとなりました。

ここまで世界的にヒットしたということは、もちろん理由があります。

この「上を向いて歩く」という考え方は、すべての人に共通した明るい考え方だからです。

すべての人に共通しているからには、世界中で愛されるのもわかります。

上を向いて歩いているとき、その人は青春時代を送っていることになります。

ただ上を向いてさえいれば、気持ちが上向きであることを意味します。

気持ちが上向きになっているとき、人は元気になります。

気持ちが上向いている人は、一生老けることはありません。

いつも上を向いているから、いつも明るい状態でいられます。

落ち込んでいるときは、つい下を見てしまいがちになります。

でも、本当は落ち込んだときこそ、上を向いて歩かなければならないのです。

落ち込んだ気持ちを少しでも上向かせるように、顔を上に向けましょう。

気持ちまでだんだん上向きになります。

上を向いて歩いているから、心が上向きになります。


失敗のことを考えるくらいなら、成功することを考える



「失敗したらどうしよう」と心配することはあっても「成功したらどうしよう」と考える人はなかなかいません。

失敗を心配している人ほど、失敗したときの準備を始めてしまっています。

失敗したときのことを、頭の中でイメージトレーニングし、そうなったときのことばかりを考えてしまっています。

失敗を心配したら、すでに一歩、失敗に近づいているということです。

イメージには、現実に近づけてしまう力があり、考えるほど、本当にそうなります。

「失敗したらどうしよう」と言う人ほど、失敗しやすくなるのはそのためです。

考えるほど、現実になります。

そこで、考え方を変えてみましょう。

失敗したときのことを考えるくらいなら、成功したときのことを考えるのです。

成功のことを考えていたほうが、成功する確率は高くなります。

オリンピックの選手は、みんな、試合のときはイメージトレーニングを大切にしています。

実際に自分のイメージを現実化するように、試合をする前に、頭の中で先に試合を行っています。

また自分が勝っているときの姿も想像しています。

自分が勝って、喜びに満ちあふれているところを想像しているために、現実になるのです。

心配は、失敗するために使うくらいなら、成功したときのことに使いましょう。


心が老いている人は「昔話」ばかりする。
心が若々しい人は「これからの話」をする





心の状態は、会話の中で、その人が「未来の話」をしているのか「過去の話」をしているのかでわかります。

過去の話ばかりしている人は、すでに心が老けてしまっている人です。

「私が若いころは、もっとできた。昔は楽しかったな」と、昔話ばかりをします。

その証拠に、体だけでなく、心まで老けているオヤジさんは、昔の話ばかりをします。

「この人は、昔のことばかり考えて、これからのことは考えていない。考えようともしていない」ことがわかります。

将来に対して、明るい希望を持っている人は、必ず、将来の話をします。

未来に対して明るい希望を持っているため、昔よりこれからのことに感心があるのです。

特にこれは、子どもたちに顕著に表れます。

まだ幼い子どもたちは、過去の話などしません。

どの子どもたちも、将来の希望や夢の話ばかりします。

「将来は、医者になりたい。野球選手になりたい」と、目を輝かせて話します。

小学生の子どもが「あのころはよかった」なんて言葉を聞いたことがありません。

どれだけ前向きに、将来に対して明るい夢や希望を持っているかは、話の内容が過去か未来かでわかってしまうのです。

いつまでも心は若々しくいたいと願うならば、当然、過去の話はやめることです。

過去のことはもう終わってしまったことです。


二度と戻ってくることはありません。

昔話をするパワーがあるなら、そのパワーをこれからのことを考えることに使いましょう。

子どもたちのように将来の話ばかりをする人は、心も若い証拠になります。

人の話を聞かなくなったら、老化の始まり



人の話を聞かなくなったら、成長が止まっていると考えることです。

「自分の意見が正しい、だから他人の話は聞かない」と言う人が、ときどきいます。

俗にいう「頑固オヤジ」「石頭」「頭が固い人」といわれる人のことです。

そんな人は、新しい知識を吸収することを拒み、それ以上に向上することもやめてしまっている人です。

人は年齢とともに老化します。

しかし、それは体の老化だけです。

心の老化だけは、歩き続けているかぎり、老いることはありません。

歩くのをやめたとき、初めて「心の老い」が始まります。

人の話を聞いて、新しい情報を常に頭に入れようとする人は、年齢とは関係なく、常に「青年」です。

わかりきった内容だから話を聞かないというような人は、すでに青春時代の幕は下りてしまっているのです。

心が若々しい青春を送っている人なら、人の話を聞かないというようなことはありません。

たとえ自分が知っていることでも、情報をシャットアウトしてしまうような行為は、成長の歩みを止めてしまうことになるからです。

人の話を聞いているうちは、心が老いてしまうようなことはないのです。

終わりのない目標を目指せば、終わりのない青春時代になる



「始まりがあれば、終わりがある」というのが、1つのルールです。

始まりがあるから終わりがあり、終わりがあるからには始まりがあります。

学校のテストでも、テストという目標があるから、頑張れます。

テストという終わりがあるから、勉強を始められるのです。

しかし、残念なことに、こうした終わりには期限があります。

期限があって「この苦しみももう少しで終わる」という気持ちが、勉強をするときのモチベーションになります。

人生全体を青春として満喫するために大切なことは、あえて締め切りを作らないでおくのです。

終わりのない目標を立てるのです。

終わりのない目標を作れば、自分の頑張りにも終わりがくることはありません。

そのうえ、その一生懸命さが一生続くだけに、人生全体を青春時代としていくことができるのです。

死ぬまで終わりを作らなかった人には、輝きがあります。

たとえば、偉人たちは、人生に終わりのない目標を立てることで、その頑張りを一生続けていくことができました。

たとえば、エジソンです。

エジソンは「人々の生活を向上させる発明」という終わりのない目標を立てていました。

そのおかげで、死ぬまでずっと発明を続けていくことができました。


エジソンの人生には、目標がありましたが、終わりがなく、そのために一生懸命さを一生続けていくことができたのです。

偉人とは大げさかもしれませんが、自分の好きなことを中心に終わりのない目標を立ててみましょう。


好きなことをしていると、心が老いることはない



一生続ける好きな仕事のことを「ライフワーク」といいます。

お金を稼げなくても、趣味でもかまいません。

一生続けられる好きなことをしている人は、みなライフワークを持っていると言えます。

嫌いな仕事をいやいややっているのは、ライフワークではありません。

嫌いな仕事は、心の中からやる気や元気などの「気」をどんどん奪ってしまい、心の老いが加速してしまいます。

好きなことをしているというのは、それだけで心が若い状態を約束します。

好きなことをやっていると、面白いからやめることもなく、一生続けてしまう。

好きなことだからこそ、特に勝ち負けにこだわる必要もない。

好きだから。

これが、ライフワークなのです。

ライフワークのいいところは、勝ち負けを意識せず楽しめるということです。

たとえば、仕事をしている人は、つい勝ち負けを意識した毎日になります。

仕事をしているからには、競争が発生し、勝ち負けが決まってしまいます。

同じ商品を売るとしても、どちらがより売れているかで、会社の存続まで関係してきます。

競争で勝てば、生き残れます。


ただし、負ければ、会社は倒産します。

このように、常に勝ち負けを意識した状態では、いつもどう相手に勝つか、考えていなければなりません。

ここに、もはや「好き」はありません。

「好きなこと」なんていっている場合ではなく、嫌なことをしてでも、何とかして相手に勝たなければなりません。

そのためにテレビでは、不正行為で逮捕されるニュースでいつも賑にぎわっています。

頑張っても勝てなければ、もはや汚職行為でもしないと生きていけない状態にまでなってしまうのです。

これが「勝ち負け」を意識した人の結末です。

勝ち負けを意識しているからには、一生安心することはできません。

「常に誰かに追い越されるのではないか。奪われるのではないか……」と、息つく暇がありません。

好きなことをして、一生過ごしていくなんて、夢のまた夢。

勝ち負けを意識している人は、その時点で、青春とは遠ざかった生き方になってしまうのです。

それに比べて、勝ち負けを意識せず好きなことをしている人は、焦る必要がありません。

誰かに勝たなければ幸せになれない「勝ち負け組」の生き方とは違い、好きなことをしているだけで幸せになれています。

好きなことをしているから、毎日が楽しいし、やめる必要もありません。

そのおかげで終わりもありません。

「勝てば幸せ、負ければ不幸」と考えるのはやめましょう。

「好きなことをして楽しいから、幸せ」を目指していけばいいのです。

「好きなこと」を中心に生きていくと、終わりのない青春時代となります。


初めての経験する緊張感を、どきどき感として楽しもう



すでに知っていることというのは、それだけで安心できます。

一度でも経験があれば、具体的に想像が膨らみ、スムーズに楽しめます。

行き慣れたお店やレストランなど、一度経験したことがあると、どんなところか知っているので安心して楽しめます。

その反対に、初めて経験することは、拒絶反応を起こしてしまうものです。

たとえば、初めて入るレストランには緊張感が走ります。

どういう雰囲気なのか。

どこにどんなテーブルがあり、どんな接客をしてくれるのか。

初めての経験は、不安です。

こういうときには、緊張感に震えるより、どきどき感を楽しむことが大切です。

緊張していては、楽しいことも楽しくなくなります。

がちがちに緊張していては、レストランでせっかくおいしい料理が出ても、味わう余裕すらなくなります。

それならいっそのこと、緊張することを楽しんでしまうようにすればいいのです。

私の住んでいる近所に、先日新しいレストランがオープンしました。

Denny'sです。

よく知っているレストランですが、やはり初めて入るときは緊張しました。


しかし、どきどき感を楽しめばいいと考えれば、心に余裕が出てきます。

レストランのメニューにはおいしそうなものばかりが並んでいて、どれにしようか迷ってしまうくらいです。

しかし、その「迷い感」すら楽しむように心がけています。

初めてというのは、それだけでどきどきしてしまうものなのです。

不得意なことには、若さの秘密が隠されている



挑戦している人は、それだけでかっこよく映ります。

さらに、不得意なことにも、あえて挑戦している人は、かっこよさの上に、輝きを感じます。

得意なことをしていくのは、たしかに大切なことです。

得意なことほど上手にできるし、失敗しても起き上がれます。

しかし、あえて不得意なことにも勇敢に挑戦している人は、青春的な若さを感じます。

「青春」という字は「青い春」と書きます。

「まだまだ青いな」と、大人に言われたことがありませんか。

その時代が、青い春と呼ばれる、青春にあたります。

まだまだ青いと言われるときに不得意なことに挑戦していくというのは、まさに青春を送っているということになるのです。

初めての経験、わからないこと、まだまだ青いと言われてしまうことが、どれだけたくさんあるかです。

何でも経験したり、何でも知っていたりすることは、素晴らしいですが、それだけではマンネリになります。

わからないことがあるということも、青春には必要不可欠なポイントなのです。

不得意なことには、若さの秘密が隠されているのです。


中途半端な笑いは、気持ちの表現も中途半端



心が若い人は、笑顔に表れます。

笑顔になるときは、人間の心のストッパーが外れたときです。

面白おかしさを我慢できず笑ったときこそ、人間の本当の顔になります。

笑ったときの顔には、いろいろな顔がありますが、心が若い人は決まって豪快に笑います。

我慢することもなく、豪快に笑う人は、心まで若いということです。

クスクスと笑っているだけでは、まだ笑いを我慢しています。

周りの人の目を気にするためにクスクスになり、笑いを我慢してしまうことになるのです。

笑うときに豪快に笑っている人は、心の底から面白がっている証拠です。

私は、小さく笑う人より、大きく豪快に笑う人のほうが好きです。

大きく笑ってくれたほうが本人も気持ちよさそうだし、こちらにまで明るさが伝わってきます。

むしろクスクスと中途半端に笑われるほうが、気持ち悪く感じます。

はっきりした笑いにも取れず、こちらもリアクションに困ってしまいます。

気持ちの表現に、中途半端はやめることです。

笑うときには大きく笑い、泣くときにも大きく泣いてもらえるほうが、よほど人間らしく感じることができるのです。

生活に不便のない現代人は、代わりに体の不便を訴えている



体を動かす習慣を持ちましょう。

機械がどんどん進歩していき、人々の生活も快適になっています。

たしかに生活はどんどん便利になっているかもしれませんが、人間の体には以前より不便になってきています。

今と昔とで、太っている人の割合を比べれば明らかです。

明らかに生活に不便のない現代人のほうが、体の不便を訴えるようになっています。

機械が進歩したため、私たちの体は健康が赤信号になっているのです。

面倒なことは、機械に任せる生活になりつつあります。

できることなら、少しでも毎日の生活の中に体を動かす習慣を持つことです。

体を動かす習慣を持てば、必ず健康も維持できるようになります。

楽を目指せば切りがありません。

自分は動かずに、機械にすべてをやってもらうことが理想だと考えている人がいますが、本当にそうなれば大変なことになります。

現代の人が求めるその願いが本当に叶ってしまったときに、私たちはどれだけ体の不便を手に入れてしまうでしょうか。

自分の生活を振り返ってみましょう。

体を動かさなくなったとき、もう健康な状態ではなくなります。

健康ならあるうちに、どんどん体を動かして、不健康になってしまうのを予防していくことです。

小さなことにも「ありがとう」と言える人は、それだけ心が若い人



「ありがとう」と感謝するのは、何も大きなことをしてもらったときだけではありません。

小さなことをしてくれたときにも「ありがとう」と言えるようになることが、人生をまるごと青春に変えていくコツです。

人間は年を重ねるごとに、偉そうになってしまう傾向があります。

いろいろなことを知ってしまうと、いろいろなことが当たり前に見えてきてしまいます。

物事に精通している人や偉い人ほど、すべてが当たり前だと思ってしまい、感謝するのを忘れがちになっています。

いくら知識を持った人でも、代わりに感謝を忘れてしまっては意味がありません。

知識のある人より、感謝をする人のほうが、若々しく感じられます。

ささいなことにも感謝ができ、欠かさず「ありがとう」と言える人は、それだけ心が敏感になっている証拠です。

心が敏感である人は、心が若いということなのです。

やみくもに貯金はしすぎない。
一定の貯金ができれば、成長するためにお金を使う



貯金をし始めたら、保守的な人生の始まりです。

貯金をする人は、決まり文句のように、いつもこう言います。

「将来が不安だから、万一のために貯金する」

もちろん貯金は大切です。

将来発生するかもしれない万が一のために備えがあると、いざというときの助けになります。

しかし、だからとはいえ、貯めるべき目安は作ることが大切です。

蓄えが、たくさんあるに超したことはありませんが、一方的に蓄えるばかりも賢い選択ではありません。

もし余裕と感じる一定額の貯金ができれば、残りの稼ぎは自分磨きに費やすことをおすすめします。

今の自分に投資をせず成長もしなければ、将来の万一のとき、乗り越えることができません。

将来がわからない将来のために、際限なく貯金するより、今の自分の成長にお金をかけていくほうが、将来性があります。

今の自分に投資をして成長していくほうが、建設的であり、将来の万一に役立ちます。

お金は、使わないかぎり、お金としての役目は果たしていません。

単なる精神を安定させるための「お守り」にすぎません。

今の自分のために投資すれば、成長するための「道具」となります。

投資ではなく貯金をすれば、将来のお守りになります。


自分磨きが、将来起こるかもしれないトラブルの予防策にもなるのです。

叱られなくなったら、青春時代ももう終わり



叱られているうちは、まだ青春時代と思うことです。

まだまだ覚えるべきことがたくさんあるから叱られます。

叱られているうちは、間違いに気づくことができますから、どんどんと成長ができるのです。

これが年を取っていくにつれて、だんだん叱られる回数が減っていきます。

年を取るにつれて、周りは若い人たちばかりになります。

そうすると必然的に、叱ってくれる人が少なくなるのです。

叱られる回数は減って、叱る回数ばかり増えていきます。

こう考えると、年を取っても叱られることができるということは、貴重なことになります。

叱られると落ち込んでしまいますが、その落ち込みを成長と考えましょう。

年を取ってしまえば、叱られたくても、叱られなくなり、寂しくなります。

叱られているうちが、成長できるチャンスなのです。


「憧れ」に向かって走ることは、青春時代を走ること



最近、憧れを持っていますか。

憧れに向かって、走っていますか。

「すごいな。ああなりたいな」という憧れがあると、それだけで心の中が生き生きしてきます。

自分が一番すごいのだと思うのではなく、上には上がいることを知れば、自分の未熟さや小ささに気づくことになります。

自分の未熟さを心得ているうちは、まだまだ向上の余地があります。

向かうべき目標(憧れ)があるからこそ、やる気が出てきて、どちらへ進むべきかがわかってきます。

憧れに向かっている最中は、まだ心が青い状態ですが、それこそが青い春である「青春」を意味しています。

日本には、甲子園という大きな野球の大会があります。

日本全国から高校球児たちが集まり、日本一の野球校を目指し頑張ります。

その甲子園に出ている球児たちは、みんながかっこよく映っています。

試合で勝とうが負けようが、一生懸命になって野球をしている姿は、まさに青春しているさなかです。

憧れに向かって一生懸命になっているうちは、いつでも青春時代を送っていると言えます。

10代だけに限らず、40代の人でも50代の人でも同じことが言えます。

青春とは、年齢とは関係なく、心の状態のことをいうのです。

憧れに向かって走っているとき、青春時代を走っていることとなるのです。


頭を下げる謙虚さを、若さという



頭を下げる謙虚さをどれだけ持っているかに、心の若さが反映されます。

知らないことは知らないと正直に言え、教えてくださいと頭を下げる。

こうした謙虚さがあれば、人間の成長が止まることはありません。

若いうちは謙虚でも、年を取ると偉そうな態度を取ってしまう人がいます。

こういう人は、単に年を取ってしまっただけでなく、心まで年を取ってしまった人です。

日々の謙虚を忘れてしまったため、つい自分が一番と考えてしまい、何も吸収しなくなってしまうのです。

若い人は、学習力があります。

それは、ただ若いからというだけでなく、謙虚になっているから学習力があるのです。

40代や50代の人でも、若い人に負けないくらい謙虚な人がいます。

そうした人は、いまだに謙虚に頭を下げることで、いろいろなことを学んでいこうという姿勢を感じることができます。

頭を下げる謙虚さを、若さというのです。

勉強は、永遠の青春時代を約束する特効薬



病院には、永遠の青春を約束する薬は売っていません。

病院で扱う薬は、心の薬ではなく、体の薬だからです。

では、心の薬はどこに売っているのでしょうか。

「勉強」です。

勉強そのものが、永遠の青春時代を約束する特効薬となります。

「学習」や「学問」と言ってもいいでしょう。

勉強には、心を常に上向きの状態にする効果があります。

新しいことを知り、知識や知恵を高めていくというのは、心の向上につながるのです。

頭は、筋肉と同じです。

体を鍛えるとき、ダンベルを使って筋肉を動かすことで、強化させることができます。

同じように、勉強というダンベルで頭を鍛えていくことで、心も強くなります。

体を鍛えるためには、運動をすればいい。

心を鍛えるためには、勉強をすればいい。

単純なことなのです。

学校では、無理やり勉強をさせられるがために、勉強嫌いの人がたくさんいます。


しかし、学校を卒業して社会に出た後、猛烈に勉強がしたくなります。

新しい情報も何も頭に入ってこないのは、頭を動かしてないということです。

自転車を動かさなければ、そのうちさびが出てしまうように、頭も動かさなければそのうちさびついてしまうのです。

勉強は、頭を鍛え、心を若返らせるなによりの特効薬です。

勉強しているかぎり、体は衰えることがあっても、心が衰えることはないのです。



人類の寿命は時代が進むごとに伸びてきましたが、戦後は日本の経済復興とともに食生活の充実や医療整備の影響もあり、急激な寿命の延びを示し続けています。

縄文時代の平均寿命は31歳、江戸時代が45歳、昭和22年で52歳、平成19年で82歳となっています。

現代は縄文時代から比べると3倍近い寿命になっているのは驚きです。 

ちなみに現在20歳の人の半数は100歳まで生きられるそうです。

60歳以降の人生は第2の人生といっても、これまではおまけのような感じがありました100年時代を迎えようとする現代では全く扱いが違ってきます。

まず、第1の人生ですが成人を迎えるまでは教育時期と大雑把に考えると、20歳から60歳までの40年間が活動期間です。

そして人生100年時代の第二の人生は60歳から100歳までの40年間となります。

健康で100歳を迎えられる人は、人生をまるまる2回楽しめるといっても過言ではありません。

しかも。第二の人生は経験と知識を第一の人生で十分に積み重ねたうえでの40年間の人生です。

内容と質を考えたら、第2の人生の方が内容も質も濃い素晴らしい人生になるはずです。

だからなおさらのこと、やる気のある人とない人の格差は深刻なものになるかもしれません。

いま、私たちに求められているのは、年齢に関係なく常に興味と情熱をもって生きていくためのハートです。

だからいつだって新しいことに挑戦していきましょう。

いつだって色々なものにワクワクする心を持ち続けていきましょう。



最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

あなたの一生がずっと青春でありますように。

皆さまの幸せを祈っております。

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