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読書会『共に学び共に生きる』読んで

冬休み恒例の合宿で、伊那生学校の本を読みました。
簡単にまとめていきたいと思います。

「共に学び共に生きる」とは

まずは、タイトルについて。
「共に学び共に生きる」の意味について。

「共に」という言葉と「一緒に」という言葉の違いは何か。
・「一緒に」には、依存性がある。誰かが誰かに教えてもらうような意味合いがある。
・「共に」には、依存性というより、お互いが自立している状態が前提としてある。

子どもが周りにいる友達や大人(教師)、学習材(伊那小でいうと、特に動物や植物)と共に学んでいく。お互いが自立している。誰かに教えてもらうのではなく、お互いに教え合っていくイメージなのかもしれない。

共同体をつくる

本著には「子どもたちが共同体(絆)をつくっていく」という文章があった。
この「共同体」という言葉に注目して話し合った。

イエナ・プランを確立したペーターセンは「集合体」という言葉を使って、理念に共感する人々が集まる集団を形成していくことが必要だと説いた。
伊那小の共同体も同じ考え方かもしれない。
先ほども述べた、「共に」という部分に繋がるものがありそうだ。

子どもたちは、豚を飼育して何を学ぶのか

伊那小では豚やヤギを飼育したり、家を建てたり、野菜を育てたりと、体験を重視した実践を行っている。普通の学校では困難と思われる実践もあるだろう。
読書会では、

なぜ、わざわざ豚を育てるのか。豚を育てることで子どもたちは何を学んでいるのか

という問いが生まれた。
確かに、子どもたちが興味関心を基に、実際に動植物を育てたり、家を建てたりすることは、とても貴重な経験であるだろう。命の大切さや動植物の育て方、コミュニケーション能力などの資質能力が身につく可能性がある。

しかし、側から見ると、学習効率が悪く感じる。
体験学習を効率的にしたものが座学だと思うが、一般の公立校の場合、体験できるポイントは限られている。

実際に体験することの良さを、これから読み返して考えていきたい。

子どもたちを「みとる」とは

この本が一番強く訴えかけてくる言葉が「みとる」だ。子どもたちを「みとる」というところに、本著の強い思いを感じる。

結論から言うと、本著では、子どもたちを完全に「みとる」ことは不可能だと書かれている。しかし、子どもたちの姿を見取り、推しはかることはできると書かれている。


子どもたちをどのように「みとる」のか。そして、どう評価につなげていくのかはすべての教員が大切にしていく必要があると感じる。

この本を何度も読み返し、考えていきたい。

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