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見えない世界に足を踏み入れその世界から恩恵を受けとろうとするなら信仰心が必要だ、とわたしはおもう。


けれど信仰とか信者といった言葉はいまでは揶揄される時に使われることが多い。その理由もわかる。信仰心をエゴは利用するからだ。信じる心を利用し、利己的な欲望を満たそうとする。相手から搾り取る詐欺師もいる。集団化すると、初めは真摯だったものでさえ次第に毒されてゆく。


でも被害に遭う人がいるからといって、信仰する気持ちをすべて否定したり、封印してしまうことはよろしくない。それでは天からの恩恵を受けとることはできない。


恩恵は、それを信仰することからはじまる。「あなたが欲しいものを与えよう、では見返りをよこしなさい」とは神は絶対に言わない。神は与えるだけで取引はしない。完全な愛を与える。なぜならそういう存在を神と呼ぶから。神というか創造神と呼ぼう。


神話に出てくる神はわたしの中では神ではない。誰もが共通して持つ心の動きをキャラクター化したものだとおもっている。


CBD Tarot de Marseille by Dr. Yoav Ben-Dov, www.cbdtarot.com



取引をするのは神の皮をかぶった悪魔だ。悪魔はときに宗教家のふりをする。神の観念を否定し信仰なんてやめておけと叫ぶこともある。右と左はベクトルが異なる同じエネルギーでしかない。

恩恵を受けとるのになぜ信仰が必要だと考えているかというと、信じてないものから何かを受けとることは不可能だからです。だから先に信じなくてはならない、神を。外ではなく、内に。


人は自分が信じた世界を外の世界に見る。心の中に完全な愛を見ることができたら、地上が天国に変わる。完璧に神を信頼することができたら、その瞬間に恩恵は雪崩のようにやってくる。

けれど、エゴの抵抗は大きい。それはわたしたちがどれだけ疑り深く、自己への信頼が欠けているかを教えてくれる。そして欠けていると自己認識できることは幸いだ。わたしたちに何が必要かを教えてくれる。自己を信頼することは、神を信頼することと離れてはいない。

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