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帰省のたびに

来年は父の干支だからと、
かわいい辰の置き物を買って実家に帰った。

変わらない我が家を見渡しながら、
ふと、次の干支のときはもう84歳なのかと驚いた。

今と変わらない、なんてことはないだろう。
今だって、変わらないわけではない。

変わらず新幹線の駅に迎えに来てくれるけど、
手を振っても近づいて行っても、
もう母は気づいてくれない。

エスカレーターをおりて改札口に近づくと
まっさきに気がついて手を振ってくれていた母は、
あれはもう10年以上前の記憶だろうか。

寒そうだからと心配するのは、
いつから母ではなくわたしになったのだろう。

小さな、変わっていくことに気がつくたびに、
わたしは、いつか訪れる大きな変化に
ちゃんと耐えられるだろうかと不安になる。

両親の歳が、周りの子たちの親よりも
一回りくらいちがうんだと気がついた時から
ずっとずっと、覚悟してきたことだった。

母が病気になったときも、
ずっと、ずっと。

だけど、そんなのはなかなかできるものじゃない。
わかった気になっても、覚悟なんてなかなかできない。

自分はずっと家族がほしかった。
自分がつくる、家族。
それはたぶん、自分ひとりだけでは
ちゃんと耐えることができないことを
自分で知っていたからだ。

だからわたしは、
こうやって文章も書くし、本も読む。
大切な人の手を何度もたしかめながら、
離さないようにしながら、
耐える方法を探している。

誰もいなくなったあとの家を想像しながら、
すこしでも、後悔のないように。



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