僕が母にできること①
僕は高校卒業してから地元を離れて東京で生活していました。
夢を叶えるために上京したのですが、気弱な母に、いつも機嫌の悪い父、その両親が苦手でこの環境から逃げ出したいという気持ちもありました。
その間に、母はうつ病になり、1度自殺もはかりました。
数年後、僕は夢を諦め、東京で就職をしましたが、仕事を辞めて、母が住む祖父の家に帰りました。
現在、祖父の家に祖父と母の3人暮らしです。
僕が地元に帰るきっかけになったのは、祖母の死でした。
母はうつ病になってから、結婚する前に住んでいた祖父母の実家で祖父母が介護をするようになりました。
祖母の介護のおかげで母の体調は回復していきました。うつ病のせいなのか、体重がかなり増えてしまいましたが、、、
一方で、別居状態の父は相変わらずで介護もせず、母がこのような状態になったのも、自分のせいだとは思わず、母を気にせず生きていました。
僕自身も、介護を祖母に頼り、子供のころから苦手意識のあった母と向き合えずにいました。
そんな中、祖母がガンになり亡くなりました。
祖母の介護は母がしてくれていました。互いに介護をしていく姿に、ほんと人間は支えあって生きているのだと感じました。
祖母が亡くなったことによって、僕は母の体調がまた悪くなってしまうのではないかと不安になり、仕事を辞めて地元に戻りました。
子供の頃から苦手だった母と向き合うことに決めました。
祖母が亡くなってから知ったのですが、母は産まれるときに、生死をさまよい、その影響で脳に障害が残ったらしいです。
実際のところはわかりませんが、僕が子供の頃に感じていた苦手意識のひとつである、母の簡単な計算ができない部分はこの影響なのかもしれないと思いました。
僕が帰るだけで解消できることがいくつかありました。
まず、僕もですが祖父も母も車が運転できないので、買い物に行くには親戚に頼んで車を出してもらうしかありませんでした。自転車はあったものの、スーパーまで片道20分以上ある距離は母には難しかったそうです。そこで僕が自転車でスーパーまで買い物に行くようになりました。
そして、祖母が亡くなり、祖父と2人暮らしで退屈していた母は、僕が東京にいた頃、毎日のように次いつ帰ってくるのか連絡がありました。でもその不安もなくなり、落ち着いたと思います。
そんな感じで僕たちの新たな生活が始まったのですが、頭の抱える出来事がいくつかありました。
次に続きたいと思います。
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