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2066年の文芸 第二夜 藤井太洋×藤谷治

【藤井太洋の執筆術】

- Scrivenerを使う
- インデザインでレイアウト
- 印刷して万年筆で赤入れ
- Scrivenerには履歴も残る

- 道具が変わると雰囲気が変わる
- キー配列を変えたり片手打ちをしたりするだけで文体が変わる
- 今は束見本に直接手書きで時代小説を書いている
- 手書きからデジタルになったことで失われたものを補うためにツールを使っている

【2066年の文芸】

「吹き出し小説」について
- 会話文から役割語の必要性がなくなる。
- 男女の書き分けできるようになる。

- イメージを読者に委ねられる小説が増えるか、頭を使わなくてもイメージが補われる小説が増えるか
- 完結しない作品が増えるのではないか。(19世紀にも連載小説として存在したものであり、昔に戻っているだけとも言える。)

- Kindle、携帯小説だけで起きていることはあまりないのでは。
- 今までなかったディレッタントが生まれる素地がケータイ小説で生まれたのでは

【所感】

これから起こりそうなこととして、小説における「ものがたり」と「表現(文体)」の分離がより進むのではないか。小説家は「ものがたり」を紡ぐだけではなく、それを文章としていかに表現するかについて腐心する。通常それは不可分のものとして捉えられている。

一方で、小説原作がマンガや映画、舞台などで再表現される場合は、小説家は「ものがたり」のオリジナリティに対してオーナーシップを持ちつつも、表現レベルでは当然ながら他者に委ねることをある程度許容する(もちろん拒む人も口をだす人もたくさんいる)。ただ、「小説」という文章表現において、誰か別の人が自分の小説をリライトすることにはかなり抵抗があるだろう。しかし、近い将来それがテクノロジーによってもっと起こりえると思う。

藤井さんが「英語版KindleのWord wiseという機能は、本文の難しい言葉に注釈をつけてくれるだけでなく、読む速度に合わせて注釈の量も調整してくれる。日本語でも、近い将来コンピューターが勝手に漢字をひらいて(ひらがなにして)くれたりするようになるのではないか。」という話をされていた。

それは作家からすれば、自分の文体が勝手に変更されてしまうことになるので、かなり気持ち悪いだろう。しかし、人工知能がもっと発達すれば、ものがたりそのものをもっと平易で短い文章に変更したり、様々なものがたりに自分の好みの文体を適応したりすることができるようになったりしそうだ。作家感情はともかく、読者の立場からすればこれはけっこう便利なことだと思う。

ものがたりと文体は通常不可分のものとみなされているフシがあるが、実際は必ずしもそうとはいえない。ユゴーの「レ・ミゼラブル」のような重厚長大な小説が児童文庫として簡易版が書かれたりもするし、樋口一葉の「たけくらべ」のような古典を川上未映子が現代語訳するケースもある。翻訳だって原文のオリジナリティをそのまま移植できるわけでもない。

世の中には面白い話は思いつくけど細かい表現や文体は得意ではない、という人がけっこういる気がする。そういう人が、コンピューターの力を借りてしっかりした文体を自分のものがたりが乗せられるようになったら、世の中全体に面白いコンテンツが増えそうである。

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