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プロフェッショナル

おはようございます、こんにちは、こんばんは、tarokenです。
前の投稿からだいぶ時間が空いてしまいました。大丈夫、生きてます。

今日はプロフェッショナルについて、です。「会社でプロフェッショナルについて話す」機会があったのでこの話題を話しようと思いました。

プロフェッショナルとは何か

私が考えるプロフェッショナルというのは「ある物事において、高い能力を発揮し、その発揮した能力と引き換えに金銭などの報酬を受け取る」ことだと思っています。そういう意味では、我々のような会社員も「プロフェッショナル」なのだと思います。「会社からお金もらっているけどプロなの?」という意見もあるかもしれませんが、ではその会社は誰からお金をもらっているのか?大半の営利目的の企業であれば、顧客からもらったお金です。顧客は生み出された価値あるもの(プロダクト)に対してお金(対価)を払っています。スタートアップのような事業がまだ世に出てさほど時間が経っていないようなケースは確かにそのお金は投資という形でいただいたお金かもしれませんが、それでもその投資も「未来の事業やその事業を形にできるだけの高い能力に対して先行的に支払っている」と考えれば同じことが言えると思っています。

私はプロフェッショナルですか?

この問いは社会人になった時、常に私自身に課していた言葉です。私は社会人になった時に自分自身のことを負債としか思ってませんでした(なんという自己肯定感の低い生き物なのでしょうか・・・)

しかしながら、だからこそ、1日でも早く自分の力で報酬を得れるようなエンジニアになりたいと、当時はがむしゃらだった気がします。長期間労働だったとか、ワーカーホリックだったとか、ではなく、単に「プロとしてお金をもらう以上は自分自身の能力に対して投資できるのは自分しかいない」という感覚だったと思っています。誰も働き始めの新人に投資してくれるような物好きはいませんし、一定の標準的な研修などの投資は会社がしてくれています。

でもそれを高い能力として発揮するのは自分なのです。就職した時は往復2時間かかる車通勤の中、通勤と退勤時間に「今日は何を目的に頑張ろうか」「今日は何が行けなかったんだろうか」「今日は何が良かったんだろうか」を考えていたなと思います。結果、結構頻繁に物事について考えるような人間になりました。

前職でも「あぁ、やっとこの手で職を持って食べれるようになれたかもしれない」と思うのは、考え続けてひたすら仕事に向き合って8年経っていました。ようやくチームを持って、その中で一定の利益を出せるようになった時です。

プロフェッショナルの終わり

プロフェッショナルには終わりがあるのでしょうか?私はないと思っています。私自身もそうですが、「やっとここまで来たな」と思ったら、急に視界がさらに開けて、上には上がいることを思い知るのです。そして、またそこを目指してやっていくことになります。

いつか肉体的な終わりが来る時、初めて「あぁプロだったかな?」と思い返す日が来るのかな、と思っています。そもそもプロフェッショナルだね、って誰が決めるんでしょうかね。

vs スペシャリスト

「スペシャリストは一つのことに専門性を持った人のこと」を示すと思っています。プロフェッショナルとの違いですが、プロフェッショナルはその専門家でありながら、信念や情熱を持って「仕事」をする人、というイメージを持っています。一方でスペシャリストというのは、もう少しライトで、知識を持っていたり、助言やアドバイスができるような人のことをイメージしています。スペシャリストはプロフェッショナルではないですが、プロフェッショナルはスペシャリストでもある、という言葉が成り立つようなニュアンスを持っていると思います。

だからこそ、自分自身も「スペシャリストではなくプロフェッショナルでありたい」とは思っています。

※画像出展:著作者:pressfoto/出典:Freepik

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