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ヘイメン みたいなのが苦手 〜歴史に学ぶインターネット交流〜

Hey, man WhatsApp,bro.
みたいな投稿インスタとかでたま〜〜に見かけませんか?
私のような中1でPCを買い、モバイルデータ通信カードで一生懸命ニコニコ動画と2ちゃんねるを見ていた過去があるインターネット老人会の会員には、縁もゆかりもないような書き出しである。

インターネット老人会と言っても、先輩はいる。
あと一つ上の世代だと電車男で盛り上がったり、Flash動画を黎明期から楽しんでいたり、全員mixiをやってたはずである。のまねこ訴訟〜


話を戻して。
その「ヘイメン」が苦手なわけであるが、どうして苦手なのか考えた結果、やはりコミュニケーションツールとして、日常に「ヘイメン」などというものがないからであろう。
インスタのストーリーとかでヘイメンしてる人たちにはお馴染みの挨拶(?)であろうが、我々が生息するのは主にTwitterである。良くてつかうのは「むくり」だ。


あとは「ヘイメン」勢は比較的パーティーピーポーなのだが、病んでるパーティーピーポーが多い気がするのもある(私調べ)(ド偏見)。

「ヘイメン、yo、お前なんかに負けてたまるか、やるぞmy bro. ayy」
みたいな、腹立つことがなんかあったんだろうけど、みなまで語らず多くは言わない、しかしやっぱなんか言いたくて、このように苦言を呈してるんだろうなァってのが伝わってくるこのような文……
ちなみにbro. がミソである。無論兄弟を表すbrotherの省略形である。
sis. もあるのかな。


やはりここはお互いに歩み寄りというものが大事だと考えるのが世の常である。
我々はヘイメンを読み解き、彼らはモンゴル大草原を読み解く。そうやって友好関係を築くのだ。


明治以前の日本の北の方。現在の北海道とその周辺地域に住んでいたアイヌの人々は、いろんな理由から交易の際に顔を合わせなかったという。
交易の方法としては、海辺に相手に持っていってほしいものを置いて一旦立ち去る。海の向こうからやってくる相手がそれを受け取ったのち、相手が返礼品を置いて帰る。相手が立ち去ったのを確認し、返礼品を受け取る。という具合に進めたようである。



インターネットも同じである。
顔を合わせることはないけれど、相手が置いていった文章を見て「なるほど、このような意思表示の仕方があるのか」と表現方法を受取り、私のようなものがこのようなところに書く。
すると他界隈(ここで言うところのヘイメンを遣う人々)の人が偶然この文を見つけ、「なるほど、このような表現方法もあるのか」と思う。恐らくヘイメンにも私のような人がいて、また何かをどこかに書く。文化と文化の貿易である。

ヘイメンが苦手、とは言うものの、それは異文化だから、ただ単に馴染みがないだけなのかもしれない。
今では定着したハロウィンに、数年前は抵抗を感じていた日本人と同じであろうなぁと思う。


いいよ、ヘイメン。
いっしょにインターネットにいい文、残してこうな……

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