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美味しさの物差し。

食料品店を営む私たち、安全な食品を提供しているつもりではいるものの、「安全」を表現する上で必要な物差しが曖昧だなと感じています。
天日塩だって塩なのだから添加物?カビの生えた無添加食品?果たして安全安心なのでしょうか?
品質保持剤?入れないことが危険だったりしませんか?
無農薬?Bio?なんとなく生野菜だけのことになってませんか?

安心安全な食品です。そんな事を生産者や製造者が言っていいのか、いつも疑問に思っています。

私たちのお店では、お客様が安心して使用していただくために最大限の努力をしていますが、例えば科学的に、素材の分析まではできていません。生産者を信頼しつつ、私の考えに賛同していただける方とだけお取引をさせていただいています。

そのため、時には思わぬ事態が発生することもあり、せっかく作った商品ですが、発売を中止することもございます。安全風とでも言いましょうか、無理して代替品をつかったりなどそのような事をしないようにしています。例えば原材料の生産している状況や、その近隣の環境まで配慮し、思慮し、疑いながらも、信頼する。〇〇の材料だから安心という事はありません。

そして、有機栽培や無添加も。なんだか色々なぼんやりふんわりとした、優良誤認を誘う文句、出来立てとか産地直送とか。手作りという言葉も好きではありません。国産だから良いという考えも。昔出張先で無農薬という金色のシールを誇らしげに貼ったワカメを見かけて思わず買ってしまった事、思い出します。面白いですよね。

基準が曖昧な表現は食品業界には本当にたくさんありますよね。パッケージデザインのお仕事をしていても嫌になり、最近はしていません。...オイシサノモノサシ、皆さんは目盛りが霞んでいませんか?

私が頼りしているモノサシは、シンプルですが大切なこと、「やさしいかどうか」です。頭にも心にも当然体にも。
この「オイシサノモノサシ」では、その材料のルーツを知ることや誰が作ったかはもちろん、誰と食べるか、どこで食べるか、自分の体調だって重要な目盛りとなります。
いつもの定食屋で割烹着をつけた白髪混じりのおばちゃんが指紋もすり減ったようなピカピカの手で握るおにぎりは無菌室で機械が作るそれとは全く違うオイシイが詰まっているような気がします。この手でたくさんの人たちを笑顔にする食事を手際よく作ってきたのだなと、菌数や添加物だけではないもの、心や頭に伝わる何かを感じてしまいます。

昔、地元のお店の大将が言った何気ない一言、
「美味しいものは食べても喉が渇かへん。」
「見た目で人は騙せても、体は騙されへん。」
「君もシェフやったら体の焼けない食事をせなあかん。」
三田市 こにし家さん

これが今も私の美味しいを計る上で大切にしている考え方です。
見出しの写真は少年がその日来れなかった父さんのために作っているハンバーガーです。これより美味しいハンバーガーは私には絶対に作れません。

みなさんのオイシサノモノサシにはどんな目盛りがありますか?



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