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【駄文】17年のギャップ

 サムネ画像は、沖縄本島の最南端に近い喜屋武岬にて2005年5月に撮影した写真になります。そして、本年5月に撮影したのが、こちらです。

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 「平和の塔」は、かなり色褪せていました。過日、つぶやきで投稿したとおりです。また、17年前に、この喜屋武岬から撮影した荒崎海岸の写真がこちらです。

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そして、本年5月に撮影したのが、こちらになります。

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 海、空、山は美しいままでした。ここで、水蝸牛さんの「ホロホロ―森のキジムナ②」の最後のページの写真を掲載したいところです。が、著作権の問題がありますので自粛します。こちらの本になります。

 この本のエンディングを拝読した時に、どれほど私が驚いたか。

 17年前の衝撃を「ドカン!」と、ぶつけられたような気分でした。

 この美しい景色がある「喜屋武岬」ですが、一般的な観光スポットではないと考えています。慰霊の場所でありますので、観光には馴染まないとも考えています。

 平和の塔は色褪せましたが、平和への想いは受け継いでいかなくてはならないと、あらためて心に刻んでまいりました。
 
 そして17年前にも訪問した「金城哲夫資料館」も訪問してきました。金城哲夫氏については、様々な考察がされていますし、ネットにも情報がありますので、ここで多くは語りませんが「沖縄と日本と米国」の狭間で、平和への想い、沖縄への想いを希求されていたように感じております。

 そして、私は17年前に「金城哲夫資料館」を拝観した後、ひとつ後悔したことがありました。
「素晴らしい資料を見せていただいたのに、スタッフのお時間を奪ってしまったのに、何も返さないまま帰ってしまった。ちゃんと、食事をして御礼をすべきだった」
ということです。

 ようやく、今回、その時の借りを返すことに挑戦しました。金城哲夫資料館を運営する「松風宛」にて食事をしてきました。21日から23日の呟きで、「聖地巡礼」を繰返していましたが、私にとりましての真の聖地巡礼は、この「金城哲夫資料館と松風宛」でした。
 松風宛を予約する際に、見栄もあり、ネタもあり沖縄風懐石「桃」という高い食事にしようかと考えましたが、「人数は一人です」と告げると「じゃぁ、松花堂弁当が良いでしょう」と告げられて、素直に受け入れました。
 こちらのお店です。

 しかし、まぁ、自分で書くのも何ですが、全く往生際が悪いというか、しつこいというか、17年過ぎてもネタを引っ張り続けるというのは、他人の話として聞いたら「まともな人間のやることとは思えない」という感想を抱きそうです。

 しかし、「やらずに後悔するよりも挑戦してネタにする」のが、私のスタイルです。昔から言われるとおり「バカは死ななきゃ治らない」です。けれど、生まれ変わっても、バカな自分でいたいとも思いますし、バカな自分でも52年間生きてこれた、日本という国は、良い国だとも思うのです。
 
 沖縄は、17年前とは色々と異なるものがありました。
 かくいう私も、体重は増え、体は弱くなり、白髪も増えました。
 けれど、

 海、空、山は美しいままでした。

 この美しい景色を次代に伝えていきたいと心から願いました。

 普段の駄文から感じるのは難しいと思いますが、多分、水蝸牛さんの著作だけではなく、私の著作にも、こういう真摯な気持ちが込められていると思います。#何を書いても最後は宣伝




 


 

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