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焦らず、慌てず、あきらめず

 商売の格言と言われる言葉のようですが、筆者がこの言葉を知ったのは、お寺の前の掲示板でしたので、長らく仏教由来の言葉かと勘違いしていました。物事が思うように進まないときに心の中で唱える、お守りようようなフレーズになっています。時々、後輩へのアドバイスに使うこともあります。

 現実的には、焦りもしますし、慌てもしますが、なるべく表には見せないようにしています。「人の生死に関るような話以外は、たいした問題じゃない」という言葉を続けることもあります。起きてしまったことで、バタバタするよりも、「これからどうするか」を考えようとすると、「焦燥」を排除するようにしているとも言えるかもしれません。

 そして、「あきらめず」という言葉ですが、「公タマ伝」の著者プロフィールで、最後の行に何の脈絡もなくこう記載されています。
「横浜税関勤務時に柔の道に足を踏み入れ、2011年に講道館弐段を取得する」
 この行へのこだわりは、いくつか理由あるのですが、その一つとして、筆者なりの「あきらめず」の実践例ということがあります。

 実は、柔道初段を取得したのは「1998年の東京」でした。当時は全国の税関研修所が東京都新宿区市ヶ谷にありまして、税関における研修の一環として柔道を始めたことから、東京で初段を取得しました。横浜税関に配属後も柔道を継続して、弐段取得を目指したのですが、力及ばないまま福島県郡山市に帰郷しました。
 市役所に採用後も柔道部に所属し、若い時には弐段取得を目指したのですが、練習から遠のき、運動能力も低下する一方でしたので、弐段は遠く及ばずということになりました。
 
 そして齢40歳にして「東京勤務命令」、「弱いオッサンでも東京なら弐段取得できるかも」と筆者の柔道魂に火がつきました。初段取得から20年以上が経過していましたが、筆者は「弐段取得」を「あきらめず」41歳にして現実のものとすることができました。
 その過程で、素晴らしい方々との御縁をいただき、稽古つけていただき、多くの方の応援をいただき、柔道を通じて「凄い」経験をすることもできました。
 このようなことから、「弐段取得」ということについては、「あきらめず」の実践事例として、また、当時、柔道を通じてお世話になった方々への「感謝」の記録として記載しておきたかったのです。

 そして、現在、不整脈のこともあり柔道から縁遠くなっています「公タマ伝」はサッパリ売れない状況です。が、「慌てず、焦らず、あきらめず」、何年を要するかわかりませんが、また、柔道着に袖を通すこと公タマ伝を「タマゴやヒヨコ」に届かせることに向けて、日々、取り組んでいきます。
「あきらめたら、試合終了です」
と、漫画「スラムダンク」にて、安西先生がおっしゃっていましたので、誰かが試合終了のブザーが鳴らすまでは、自分なりに、楽しみながら足掻いていきたいと考えています。

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