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【創作】前九年役 天喜3年12月

【はじめに】
 本日の稿は、現在企画を模索している作品の「プロローグ」に当たる部分です。サムネ画像は写真は本文とは関係ありません。いつもの『駄文』とは異なる調子で作成しています。また、途中で、露骨には描写しませんが、出血を伴う「事件」を想起する場面がありますので、そのような展開が好みでない方は、お止めいただいた方が良いと思います。
 また、フィクションなので、実在の神社等とは一切関係はありません。

以下、本文です。
 
 天喜3年12月。小介の小さな家にある竈の炭は赤々と燃え、鍋の湯は煮えたぎっている。だから、震えが止まらないのは、寒さのせいではない。
 俺はこんな体たらくで事を為すことができるのか、心に浮かぶ問いに応えるように口に出した。
「やる。やるだけだ」
 この声を聞く者はいない。小介は足元においていた太刀を掴むと、外に出た。その体は闇に溶け込むようにして見えなくなった。太刀は戦場で拾い漁ったものである。

 時は前九年役の最中、小介の住む村は予期せぬ形で戦に巻き込まれていた。中央からは陸奥と呼ばれていた、現在の東北地方においては、豪族による支配の下で人々の生活が成り立っていたのであるが、天皇の命を受け陸奥征伐に参じた源頼義が率いる官軍が、この地を支配していた安部頼時に敗れ、敗走を続けた結果、数騎の供のみを連れて木幡山に辿りつき、山中の神社に立てこもったのである。安部頼時の軍勢は、小介達の住む村に駐留し、庄屋宅を本陣として、山の麓を抑える包囲陣を構えるに至った。
 通常の年貢に加え、戦費を理由とした強奪が続き、村は更なる貧に陥いった。

 夜道を早足で歩きながら小介は思う。流行り病で両親を亡くし、身よりが無い自分を育ててくれた村のために、今、動かない訳にはいかない。親が遺してくれた、村外れの小さな小屋で一人暮らし、幼き頃から村人の仕事の手伝いながら、僅かばかりの畑を耕し、山菜や小動物を狩りながら生活してきた。親の無い小介にとっては、村こそが自分のルーツであり存在の基であった。その村が危機に瀕している。
 今、小介が歩く姿を、村の誰かが見とがめたとしたら、村を虐げる者達に対する憤りが、その小さな体から溢れているように見えただろう。

 蜂の尻に着いている針というものは、返しが大きい矢じりのような形状をしている。一度敵を刺すと針を抜くことができず、蜂はそこから逃げることができず、刺したが最後、死を待つ身になるという。
 そんなことを思い出しながら小介は心の中で繰り返し呟く。失敗してもいい、捕縛されても構わない。一刺、アイツらに毒を放ちたい。いや、言葉にならなくてもいい。アイツらが邪魔であること、虐げられている村人の反旗の意志を示せればそれでよい。俺一人の命、そのために燃やしてやる。もしかしたら、俺は今日という日のために、生かされてきたのかもしれない。
 庄屋宅の裏山に入り、音を忍ばせながら静かに、慎重に木々をかき分けて前に進む。他の者には昼間でも入ることが難しい山であるが、小介にしてみれば丘のようなものである。どこを進めば庄屋宅に着くかは、体が覚えていた。
 足元の木々を踏みしめる度に、ジャク、ジャクという、少し湿り気を含んだ音が静かに響く。ゆっくりと猫科の動物のようなしなやかさで、闇の中を進む。思いのほか順調に本陣の裏にたどり着き、杉の木に登る。

 猿にしては大き過ぎる影が、夜空を舞った。

 小介が瓦屋根に飛び移った瞬間、ズギガッという鈍い音が当たり響いた。

 少し、間を置き、周囲の様子を伺う。誰も異変を感じた様子はない。正門前には夜通し見張りの者がいるのだが、屋敷の裏の小さな音を察知することは出来なかったようである。また、屋敷の中も同様であった。
 何の動きも声も生じない。静寂と闇が周囲を包む。小介は目的の部屋へ、総大将 安部頼時が眠るだろう部屋へと、蠢くようにその身を寄せて行った。庄屋宅の間取りは、子どもの頃から十分に承知している。

 半刻後、紅潮した顔で奔る小介の姿があった。

 その姿を見る者は誰もいない。浴びてしまった返り血から沸き上がる匂いから逃れるように、一心に自宅へと足を動かした。どのような加護を受けたのか、小介が考える限り、最上の結果を出して逃げおおせた興奮が、胸の鼓動を早くし、顔を紅く染めていた。しかし、その顔には笑みはなく、能面のように固まったままである。その小介の鼻先に、チロリ、と冷たいものが当たる。続いて頬にも。空を見上げると、闇の中に白く舞う小雪が目に入った。
「初雪か」
 今夜は贅沢に炭を使い、このまま温かい部屋で寝てやろう。今日の俺はそのくらいの贅沢が許されても良いだろう。明日、捕縛されれば炭を使うこともない。村に調べが入れば自主する、逃亡するつもりは無い。大人しく罰を受けるつもりである。小介一人の罪として終われば、村へかける迷惑は少ないだろう。疲れのためか、贅沢な炭のおかげか、小介は冷たい煎餅布団に入るや否や、ストンと眠りに落ちた。
 
 翌朝、安部軍の本陣である庄屋宅にて、安部貞任は朝餉に来ない頼時を呼びに向う途中、異臭に顔を顰め走り出した。時頼の部屋の方から漂う生臭ささは、大きな異変を察知させるに十分な強さを有していた。
「父上、御免!」
声をかけるが早いか、障子戸を開けるが早いかは、この際問題にならない。咎めるべきである頼時が、既にこと切れていることは、一目で明らかであった。ここで、沸き上がる衝動を抑え、声を出さなかった貞任という男は、武家の棟梁の家に生まれた者としては、なかなかの胆力である。が、呟くように声が出た。
「誰が父を。敵か。………、それとも身内か」
 握りしめた両手のこぶしから。震えが起こり、六尺を越える全身に伝わる。誰であろうと許しておくわけにはいかない。何としても目の前に引きずり出し、厳罰に処してくれる。厳しくも自分に慈愛を注いだ父との思い出が、そのまま憤怒の心に火を繋げる。
 一方、息子として沸き起こる憤怒の情とは別に、棟梁として行うべき行動にも心が向かう。
 後ろを振り返ると、一面、雪に覆われた庭が眩しい。昨夜遅くに降り出した雪は、既に止んでいたが、初雪にも関わらず、相当の積雪を記録していた。

 敵の仕業とすれば、源氏の兵ではなく、木幡山にいるという修験者の仕業かも知れない。土地の者の話では、木幡山には十数人の修験者が生活をしているらしい。源氏が彼等を手懐けたのかもしれない。膂力のある者もいるだろう、怪しげな術を使う者もいるかもしれん。その術により見張りの者を謀ったのか。暗殺をした者は恐らく、昨夜のうちに逃亡したに相違あるまい。奴らは、この地に守る物も無ければ家族もない。だとすれば、この雪で逃げた痕跡を探すことは、まず無理だろう。その、徒労のために戦力を減らすのは愚策。もし、まだ山中に隠れているとすれば、次に狙われるのは儂か。
 敵とは限らない、敵ならばまだ良い。若し、味方の裏切だとしたら誰を側に置く。疑いたくはないが、身内の裏切りというのは、戦国の習わしでもある。

 いずれにしても、父が命を奪われたことについて、儂の責任を追及してくる者が出てくるかもしれん。儂よりも弟の宗任を慕う者もいる。この機を捉え、何をしでかすか知れたものではない。
 様々な考えが胸を激しく揺らしたが、貞任は素早く決断した。

 誰を呼ぶこともなく障子戸を閉め、泰然とした様で朝餉を終えると、宗任だけを別室に連れ出し、現在の状況を説明した後に、言い放った。
「父は急な病により指揮を執る状態にはない。当面、儂が指揮を執ることにするが、数騎で立てこもる敵に何ができるでもあるまい。父をゆるりと療養させたい。ついては、この地から撤収することにすることにするが、如何」
 宋任には真実を伝えたものの、公式的には頼時の死を隠し、兵を引き上げることを選択したのである。
 姿の見えぬ敵、木幡山に陣取る源氏とは、戦わぬが賢明というものであろう。孫子の兵法にもある「敵を知り己を知らば百戦危うからず」だ。
 貞任は更に考えを深めていた。終戦となれば皆が喜ぶであろう。まして、父の死という異変は発生していないにこしたことは無い。警備の不手際などによる咎人を探すことや、暗殺した犯人捜しで余計な労力を使いたくない。軍としての最適解というものが、儂が選択すべき道であろう。
「仰せのままに」
 宗任は異を唱えなかった。敵兵を殲滅できないことは心残りではあるが、もともと勝利しても得るものが少ない、守りの戦でもある。宗任にしても、余計な軋轢を起さず撤収することは願ってもいないことである。

 その日のうちに、安部家の軍は本陣を引き払ったが、小介がそのことを知るのは、数日先のことである。なお、史実においては、頼時は天喜5年まで東北各地を転戦し、貞任は宗任とともに、さらに康平5年まで朝敵として戦を続けたという。

 木幡山津島神社が発行している資料には、「木幡の幡祭り」発祥の話として、次のような伝承が記載されている。
『その夜折からの雪で山上の木は全て源氏の白幡のようになり、貞任、宗任らの目には官軍が多数いるかに見え、戦わずして引き返してしまった』
 これが公式な伝承ではあるが、「雪山を敵の幡と見間違えますか」という指摘と、敗戦による撤退を「転進」と報道した国があったように、不都合な真実というものは、闇に消されることがあることを、なお記載しておきたい。

【おわりに】
 お読みいただき、ありがとうございました。少し長くてすいませんでした。隠津島神社に伝わる伝承を基にした創作です。関係者から「削除」のお話が来たら、没にする予定です。この後にリンクを埋めますが、隠津島神社のことを考えすぎて浮かんだ妄想です。後日譚を少し加えるかもですが、この形では続きません。
 ただ、明日も木幡山 隠津島神社に参拝して、宗像三女神の世界に触れてくるかもです。

 特に関係ありませんが、amazonへのリンクも埋めておきます。





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