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踊る阿呆

 「同じ阿呆 (あほ) なら踊らにゃ損々」という歌い出し、阿波踊りに由来するという説が多いようですが、京都の豊年踊りを発祥とする説もあるようです。という感じで、徳島や京都を語るために、見出し画像を投下したのではなく、本日はnoteで交流しているお二人の記事に刺激を受けて、本稿を入力しています。
 お一人は、こちらの「ゆきみさん」です。

 この記事のサムネ画像を見て、「そういや似たような写真があった筈」と、古いデータから発掘してまいりました。
 そして、もう御一方がcandy@さんの、こちらの記事です。

 お二人とも、私がnote街に参入した初期から、交流させていただいています。ジャンル的には被らないにも関わらず、お付き合いいただいていることに感謝です。また、ゆきみさんは1日に数回投稿される多作な方ですので、その前向きな姿勢に力をいただいております、candy@さんは、家族との交流などから感じる温かさと優しさに、力をいただいております。

 さて、私は自分のことを「踊る阿呆」と位置づけています。「余計なこと」とか「やらなくても良いこと」に首や手足を突っ込んでは、損ばかりしているような気がするからです。で、自分のことを「馬鹿だなぁ」と揶揄しつつ
「踊るも踊らぬも、同じ阿呆なら」・・・「踊るか」という選択してしまいます。
 けど、candy@さんが記事にされているとおり

今、この年になってアラ還の私がお伝えできることがあるとすれば、やったことで後悔したことはないけれど、やらなかったことを後悔することはあるということ。

candy@さん:三日坊主でもいいじゃない

 と同じように考えています。時々使うイラストのとおりでもあります。

 もちろん、「やらない」・「できない」という選択も有だとも思います。
体力・お金・時間などで選択肢が狭まることもあると考えています。

 また、ちょっと面倒なオッサンとしては
「自ら踊るのは良いけど、躍らされるのは嫌」
という気持ちも感じています。マスメディアや国の政策的なものに乗っけられることには抵抗感を感じて、拒否してしまいます。
 ここ、あまり詳しくは書きにくいので割愛しますが、ある方の言葉を借りるとすれば
「心の根っこ」を大事にしたいと考えているとも言えます。

 自分の心に沿うのであれば、下手な踊りで笑われても、馬鹿にされても、損をしても、それはそれで良いと考えながら
「好きなことを 好きなときに 好きなように書く」
を標榜していることになります。その取り組みや結果の一つが、noteの投稿やkindle出版ということになります。さて
#何を書いても最後は宣伝
 今月も折り返しになりますが、kindle unlimitedで今月1Pも読まれていないのが、こちらの2作です。

 けど、正直に申し上げて、「無名の素人が書いた物語」ですから、読んでいただけることが不思議なことで、読まれなくて当たり前だと考えています。また、フォロワー数も多くない、自分の記事で宣伝する効果はほとんどないことも解ってはいます。

 ただ、kindle出版したことで、自分の作品を読んでいただけるという「喜び・楽しさ」を味わうことができますし、効果は0ではないということも感じていますので、損得で言えば損しかないですが
「踊る阿呆も捨てたもんじゃない」
と考え、日々踊り続けたいとも考えています。


サポート、kindleのロイヤリティは、地元のNPO法人「しんぐるぺあれんつふぉーらむ福島」さんに寄付しています。 また2023年3月からは、大阪のNPO法人「ハッピーマム」さんへのサポート費用としています。  皆さまからの善意は、子どもたちの未来に託します、感謝します。