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一人暮らしクロニクル その6

 1988年12月9日、東京都新宿区市ヶ谷の「税関研修所」での研修生活を終えて、それぞれが所属する税関に配属になりました。
 当時の横浜税関には4箇所の独身寮がありましたが、採用一年目は全員もれなく横須賀市久里浜にある独身寮に入寮させれれるルールとなっていました。

 言葉は不適切で失礼な表現かもしれませんが、「田舎」でした。「ド田舎」という程ではないですが、横浜まで電車で1時間、駅前は少し栄えているけれど、娯楽施設は無いような場所だった気がします(当時の記憶です、正確性には欠けることお赦しください)。
 一年先輩が2人お目付け役として在寮していましたが、後は気のおけない同期ばかりでしたので、そこそこ快適な生活だった気がします。
 何より大きいのが「個室」になったこと、そしてTVも解禁になりました。「門限」がなくなりました。さらに、市ヶ谷では禁止されていた「お酒」についても、自主性を尊重していただける雰囲気でした。

 ということで、私たち19歳男子の多くは「自由」を謳歌する環境となりました。特に「憩いスポット」となったのが、近くのコンビニの2階にあった「レンタルビデオ店」でした。
 言うまでもなく、TVとともにビデオも解禁となり「個室」、レンタル店もありますので、私たちは毎日のように名作と言われるようなビデオをレンタルし、その感想を語り合い、教養を高めた時期でした。

 なお、ネタとして振るのを失念しておりましたが、市ヶ谷から久里浜に移った直後、時代も移りました。
 市ヶ谷を卒業した1988年12月8日は、昭和63年でした。そして、久里浜寮に入寮してから1ケ月後の1989年1月8日は平成元年となりました。この頃の私たちは「変則三交代勤務」で、泊、明、日勤という勤務体系で
 1月7日の朝9時から1月8日の朝9時まで(仮眠4時間有り)で勤務した後、電車で1時間以上かけて久里浜寮に戻った私は、寮で昼食を摂りながら
「平成おじさんの記者会見」を見ることになりました。
 だから、何か意味があるのか?と聞かれたら「有りません」と応えるしかないのですが、そんなこんなで10代最後の年、平成最初の年を横須賀で過ごしていました。

 ちなみに、空き時間には近くの「ゴミ処理場」までジョギングして付属施設の「温水プール」で運動することもありましたが、私の場合はお金が無いという事情により「飲む、打つ、買う」とは縁遠い健全生活でした。
 平成元年1月に「神奈川大学」の第二法学部を受験しまして、無事合格、4月からは「勤労学生」となりましたので、学費を捻出しなければなりませんでした。また、勤務後には大学に通学する必要がありましたので、遊ぶ余裕もなく、休みの日は体を休めることを優先していました。
 というか、遊ぶ金が無いので、部屋でファミコンをするくらいしかできませんでした。

 それでも、「行きたくて入った大学」なので、辛苦はあまり感じることなく、学割で美術館に入るとか、学食で夕食を摂るとかを楽しんでいた記憶があります。
 「思い出は美しい」ものですし、「記憶は改ざんされる」ものなので、当時の私が本当に楽しんでいたかは疑問ですが、横浜税関、久里浜寮、神奈川大学、それぞれ1年目の生活は、大きなトラブルもなく過ぎていきました。

 偶にレンタルビデオの返却を忘れて、延滞金を泣く泣く払うとか、電車で寝過ごして駅を乗り越したとかの、可愛いトラブルは日常的にありました。
 一人暮らしでのちょっとしたミスやトラブルは、いずれ「美しく、楽しい思い出」になりますので、落ち込まないようにしましょう。
 一人暮らしで、悩ましい時は、あの歌を歌いましょう!

 苦しいこともあるだろさ 悲しいこともあるだろさ
 だけど僕らはくじけない 泣くのは嫌だ笑っちゃおう!
 進めー!

ひょっこりひょうたん島

 この「一人暮らしクロニクル」シリーズは、メディアパルさんの企画に参加しています。

 いや、シリーズっていうほど続くのか、オッサンの昔話に需要があるのか疑問ですが、自分のことを振り返る機会をいただきましたこと、メディアパルさんに感謝です。
 需要があろうがなかろうが
「好きなことを 好きなときに 好きなように書く」
それが福島太郎の生きる道でもあります。
#何を書いても最後は宣伝
 2本ご紹介です。

 いやらしい便乗商法ですが、NHK朝の連続テレビ小説「舞いあがれ」のファンの方にお勧めの2冊になります。「中小企業」、「父娘」、「夢」など「舞いあがれ」と共通するワードになります。もちろん作品の質は異なります。

 最後までお読みいただきありがとうございました。
 毎日、まんまる笑顔で善い一日を(*´▽`*) 

#ひとり暮らしのエピソード

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