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思い出の食安


 2020年4月、ツイッターやインターネットニュースで、東京・有楽町にある「食安」閉店のニュースが広がり、東北の中核都市 郡山市にいる僕も知ることになった。
 店内に自販機が並び、そこで購入して中や外で飲むという不思議なお店。東京に単身赴任していた2010年4月からの2年間で、毎週のように利用させていただいた。オフィスビルが立ち並び、丸の内界隈で働く一流企業の方々を横目に、自動販売機をガシャガシャさせた日々。

 職安を利用する切っ掛けは、社会人の柔道倶楽部に参加したこと。知り合いを通じ紹介された「日比谷柔道倶楽部」で、週2回18時から20時まで稽古を行った後、有志で職安に立ち寄り、柔道・政治・経済、競馬・競輪、様々な話題で交流を深めていた。
 単身赴任の寂しさを吹き飛ばすとともに、田舎のオッサンでは知りえることができないような世界を教えてくれた、狭いけれど、深淵な場所であった。

 柔道倶楽部の話を最初に聞いた時には、大人の嗜みということを思い描いていたが、実際に稽古に参加してみると、人生のベテラン領域にいる方々が、目を輝かせ躍動する、厳しい稽古が展開されており、その激しさとレベルの高さに戸惑った。
 稽古後に連れていかれた食安で、部長に相談した。
「僕のような下手な人間が来るような場所じゃないですね。身のほどをわきまえず、申し訳ありませんでした」
頭を下げた僕に、稽古を仕切っていた部長が、諭すように尋ねる。
「柔道は好きかい。今日は嫌だったかい」
「柔道は好きです。今日は楽しかったです」
戸惑うと同時に、強い憧れを抱く楽しさがあった。
「好きなら続けよう。強いとか弱いとか関係なく、皆、柔道が好きなだけなんだ」
 顔を上げた僕の前には、稽古の時とは異なる菩薩のような笑顔があった。
 
 2年間の単身赴任の折り返しが近い、2011年3月、東日本大震災が発生し、故郷の環境は大きく変わってしまったけれど、仕事でも様々なことが起きたけれど、僕らは稽古を続け、職安で缶を重ねた。
 
 そうか、もう食安には行けないのか。

 10年近く、倶楽部の稽古にも顔を出せないままでいる。
 けれど、僕たちは、どこにいたとしても、青畳を通じて繋がっていると信じている。
 また、稽古を終えて皆で飲む。その日を夢見ながら柔道を続けている。
 

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