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【驚愕】木幡山隠津神社のウェブサイト

 サムネ画像は宗像市にある宗像大社になります。
 さて、先日「山の上の三女神」として記事にしたタイトルの神社のウェブサイトについて、実は三度「度肝を抜かれた」状態になりましたので、あらためて記事にして御報告です。
 自分で言うのも何ですが、齢51ですので普通のウェブではそうは驚きません。せいぜい、「イイネ」とか「ヤルネ」と感じるところです。しかし今回は驚かされました。
 前提として、創立が「神護景雲三年 西暦769年(奈良時代末期)」という、由緒正しい神社であることを知っていたことがあります。検索してヒットした段階で
「お、神社なのに独自のウェブサイトがあるんだ」
と気づいた段階で、「厳かな雰囲気なんだろうな」と思い込んでいました。
 なのに、目に飛び込んできたのは「宗像三女伸」を現代風にしたイラスト。萌えでもなく、厳かでもない、ある意味では「中途半端」な御姿。浮かんだのは「イイネ」ではなく
いいの? これ有なの? チャレンジングすぎない?」
という感情でした。本日もあらためてリンクを貼ります。

 神様の御姿については、それぞれの想いを形にして、自由に表現しても良いのだろうとは思うのですが、
「これ、神社の公式ですよね」
という戸惑いとともに、その思いっきりの良さに心を撃ち抜かれました。
1回目の「ズッキューン!」です。

 しかし、流石は「公式」です。そのイラストの後には、宮司さんの手によると思われる真面目な文章が綴られています。歴史有る神社としてのお立場からの意見表明です。ふむふむ、と読み進めると、

『令和3年。隠津島神社はいくつかの新しいことにチャレンジします』

との文字。やるじゃないですか、アグレッシブじゃないですか。そういうの嫌いじゃないです。

『もしかしたら失敗してしまうかもしれません。お叱りをいただくこともあるかもしれません』

って、アグレッシブ過ぎるでしょう。そこまで「覚悟」が必要って、どうして、何のために。
という疑問への答えも記載されていました。

『今ここにいる我々と遠い未来のために』

再び、心を撃ち抜かれました。
「ズキュン!」です。
ある物語の一節が心に浮かびます。

『自分の代で花が咲かなくても良い、次代の人間が花見を楽しんでほしい』
『100年先、150年先にも「元宮ワイナリー」が存続してほしい』

 歴史ある神社の宮司という要職にあり、地元の名士である方が、ここまでの覚悟をしていること、フィクションの主人公と同じように、未来のために汗をかき、恥や叱責を覚悟して、動こうとしている。
何という高い志なのか。
「人が動く」と書いて「働く」とは、良く言われることですが、1200年を超える歴史的背景を持ちながら、批判を覚悟して働こうとすることが、宮司として代々受け継がれている精神なのか、この宮司さんが持つ「わたしらしいはたらき方」なのか、わかりませんが、深く敬意と感謝の念を抱きます。

 そして、最後の1行、

『風の時代、スタートです』

おおいっ!と、ツッコミを入れさせてください。
間違いではないです、「風の時代」で間違いではないでと思いますが、それは「西洋占星術」の概念じゃないですか。
「ズッキューン!」&「ズッデーン」です。

 由緒ある神社の公式ウェブで、まさかの「風の時代」、これまでのお話が全部吹き飛びましたよ、ある意味「暴風」ですよ。安全な海路の天敵ですよ。しかし、このように多様な概念、多様な神様を受け入れて、連綿と続いてきたのが神道だとすれば、
「ある意味、正しい姿なのかもしれない」
と考え直して、立ち上がり本稿を入力しています。あらためてサイトをご覧いただき、その内容を確かめていただきたいと存じます。

 さて「人が動く」と書いて「働く」と言えば、前例踏襲を良しとする役所において、物語ではありますが、様々な困難に対し、緩―く「動いてみますか」と逃げなかった主人公を思い出します。
 あの物語はフィクションですが、彼のように名もなく誉もない「はたらく公務員」「今ここにいる我々と遠い未来」の礎であると信じたいものです。その物語を「元宮ワイナリー黎明奇譚」と申します。こちらからのサイトお買い求めいただけます。電書籍と紙書籍がありますので、お好みでお願いします。
 最後までお読みいただき、ありがとうございます。どんな話でも「最後は宣伝」です。そんな駄文屋ですが、引き続き仲良くしてください。



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