いつか、生涯の友へ

 片思いだったのは間違いない。いつも誘うのは僕の方、誘われたことは一度も無い。応じてくれるのは数回に1回。とは言え、二人の間にあるのは、恋愛感情でも友情でも無い。アラフィフとアラサーのオッサンが、偶に一緒に酒を飲むだけの関係。
 仕事を通じて知り合ったけれど、仕事上の関係はすぐに無くなり、業務的には会うメリットは無い。ただ、彼が発する歯に絹を着せぬ言葉、時に「毒舌」とか「生意気」と不評を買うような個性が、僕には魅力的だった。年齢とか肩書とか関係なく、忖度などもせず、一人の人間として接してくれる、有難い存在だった。

「俺も定年まで一桁になったし、定年後の生活を考えなきゃならんのよ」
どんな流れで、そういう話になったのかは覚えていないけれど、彼の返しは秀逸だった。
「で、何ができるのですか」
「何もできない」
「ですよねぇ」
自虐的に返し、二人で笑いあったけれど、この言葉は、今でも心の深いところに刺さり続けている。

 その会話から約1年後、僕は路上で心臓の発作を起こし、病院に救急搬送された。心房細動を主たる原因として、心臓の痙攣が止まらず、血流が悪くなり、体に酸素がうまく運ばれない。
 病院の集中治療室に入れられ、酸素吸入をしながら、点滴による投薬、時に除細動器などで処置をするものの、痙攣は止まらず、息は苦しいままで意識が朦朧とする。ベッドに独りで横たわりながら
「このまま死んでもいいかな。それなりに人生を楽しめた。子どもたちも、ほぼ成人だし、僕が居なくても生きていけるだろう」
そんなことを考えていた。ところが、心の底から
「で、何ができるのですか」
彼の言葉が浮かんでくる。僕は何ができるのか。何をしなければならないのか。本当にやり残したことはないのか。考える時間だけは十分にあった。

 若くして職場を去り、その後、自らの命を絶った後輩のことを思い出した。彼を救えなかった忸怩たる想いが心に残る。
 特技がある訳でもないし、優秀な職員でもない。けれど、30年ちょっと働き続けてきた。仕事や人間関係で、悩み苦しみながら、失敗しながらではあるけれど、ここまで来た。駄目な職員なりに働いてきた。そのことを後輩たちに残したい。あの後輩のような悲劇を防げるよう、若者たちの力になりたい。
彼への答えになるかは解らないけれど、退院したら、後輩たちに想いを伝える本を書こう。公務員として生きてきた者の魂を伝えることに挑戦したい。

 決して本調子とは言えず、倦怠感が強く残り、発作に怯えながらも、退院したその日からパソコンに向かった。
 書籍の題名は「公務員のタマゴに伝えたい話」、略して「公タマ伝」としよう。題名に「魂を」入れると響きが重すぎるので、「タマゴに」変えた。
 飲んだ席の話、深い意図から発したのでは無いと思うけれど、彼の言葉があったから、
「やり残したくない。生きなくては」
と考え、ペンネーム福島太郎が生まれ「公タマ伝」発刊以降も、執筆活動を続けている。「公タマ伝」は発刊したけれど、これからは公務員のタマゴだけでは無く、様々な世界で頑張る人を応援し続けたい。
 人生の定年を迎えるその日まで。

 彼は転勤し、この地を離れてしまったので、もう会うことは無いかもしれない。もし、再会したら
「君のおかげで「公タマ伝」を残すことができた。今も執筆を通じてエールを送り続けている。君の言葉のおかげで、死の淵から戻り、新しいことに挑戦することができた。ありがとう」
 福島太郎を生んでくれた、毒舌で生意気な彼に、感謝の言葉を伝えたい。



 

サポート、kindleのロイヤリティは、地元のNPO法人「しんぐるぺあれんつふぉーらむ福島」さんに寄付しています。 また2023年3月からは、大阪のNPO法人「ハッピーマム」さんへのサポート費用としています。  皆さまからの善意は、子どもたちの未来に託します、感謝します。