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黒田製作所物語 第1話 #創作大賞2024

(あらすじ)
 紀元前から現代まで五千年の時を超えて人の営みを支え続ける技術が溶接である。人は溶接技術の発展とともに産業を発展させ、豊かな生活を手に入れてきた。
 この物語は、溶接に魅せられ人生を駆けた男の物語、ある意味ではどこにでもあるような話である。日本で溶接技術を生活の糧とする職人は何十万人と存在し、企業は何万社と存在しているだろう。

 福島県郡山市にある株式会社黒田製作所という会社では、幹線道路から見える工場に「日本一きれいなステンレス専用工場」と描かれている。
 第二次世界大戦後に創業した中小企業が掲げる「日本一」という大きな文字、そこに込められた想いを読み解く物語。

1 焦土


 昭和20年5月、黒田虎一が満州から新潟港・新潟駅そして磐越西線を経由してようやくたどり着いた郡山駅周辺は見渡す限りの焦土だった。4月下旬に大規模な空襲を受けたことを風の噂で聞いてはいたものの、自宅があるはずの方角も東北本線沿いにあるはずの元勤務先がある方角も、市街地があったはずの方角も全て瓦礫と化していた。遠く東方にそびえる阿武隈山地まで、見渡す限り瓦礫とバラックから成る焦土だけが存在していた。
(こんな状況でよく鉄道が復旧していたものだ)。
 ボロボロの軍帽・軍服に小さな背嚢を担いだ虎一は、国鉄職員の労苦に感謝して改札を抜けると2~3度首を横に振ってから足を前に進めた。とにかく自宅があった場所へ向かうしかない、家族がいるはずの土地へ。自分は日本に帰ることができて幸運だ。両親はそこにいないかも知れない。
(しかし俺は帰ってきた、ここで、郡山で生きていく)

 玉音放送が流れるまでにはまだ3ケ月という期間を要することになるが、虎一は敗戦が近いことを感じていた。街中から敗戦の匂いが醸し出されているような気がした。
 自宅に戻ると虎一の両親は無事でいてくれた。2年振りの再会を喜び、その夜は雑炊ともおかゆともつかない、汁に少しの米が入る鍋を囲み楽しんだ。
 瓦礫を積み上げたような小屋の一つ屋根の下、一つの鍋で笑みを浮かべた。嬉しいはずなのだが誰からともなく涙を零し泣きながら食う。金もないモノもない。ただ命があることを喜び絶望の中で希望の胎動を噛み締めていたのかも知れない。

 この物語を始めるにあたり舞台となる郡山市について少し説明をしたい。現代でこそ福島県の中核都市として東北では多少は名前が知られているこの市は、同規模の他都市とは大きく異なる特徴がある。
 それは明治より以前には小さな宿場町という存在で、城や大きな神社仏閣等の住民の心の拠りどころが無く、江戸時代以前から栄えていた土地ではないということである。明治以降の国内政治事情を背景として、政府の力により急激に発展してきた都市なのである。

 明治以前の福島県内には会津藩、二本松藩、白河藩、磐城藩、相馬藩などの雄藩があったが、戊辰戦争後これらの都市は明治維新の名のもとに政府から冷遇された。そしてこれらの雄藩の動きを封じるかのように、明治政府が都市基盤の構築に力を尽くしたのが「郡山市」なのである。ある意味、歴史も権威も無い明治政府による数少ない直轄領、金城湯池と言える地である。
 国費を費やし、灌漑、開拓、移民や工場立地を進め農工業を振興するとともに、それを支える道路鉄道などの交通網や水道、電力網などの社会基盤を構築した。
 明治初期まで寒村と言われた郡山は、大規模な国策事業が投資された結果、農商工それぞれが大きく発展し、また昭和初期には軍需産業も大きく成長し経済県都とも言われる発展を遂げていた。
 しかし昭和政府が戦争に走り軍需産業が発展した反動の一つとして、郡山大空襲と言われる戦禍を招いた。
 この地で虎一は生まれ育ちこの地から満州に渡り帰ってきた。

 あくる日、早朝から虎一は出征前の勤務先である帝国紡績郡山工場に向かった。帰国の挨拶と併せあわよくば再就職についての相談をするつもりだった。
「今日も暑くなりそうだ」
 夏に向かい激しさを増す太陽に少し首を向けた後に独り言が口を突いた。昨日とは逆に駅に向かう。工場は郡山駅から北に1㎞ほどの位置にあり、虎一の自宅から徒歩圏内である。昨夜のうちに両親から「工場も空爆を受けた」話を聞いており足取りは重い。出征前に生活の中心であった工場の姿に想いを馳せる。中学校を卒業してから約12年間を過ごした場所であり人生に必要な様々なことを学んだ場所でもあった。
 近づくに連れて不安が暗澹たる気持ちに変わり軍靴が一層重くなる。心にはっきりと残る建物が現実には1棟も残っていないことが確認できた。
(仲間たちはどうしているのか)
 自分を可愛がり育ててくれた工場の人たちの顔が次々と脳裏に浮かぶ。大高工場長、兄貴分の三井、同僚の須藤など、記憶の中では笑顔だったが、今はどのような生活をしているのか。生死さえ危ぶまれることを考えた時、声にならない呻き声が喉の奥から溢れた。両手で自分の頬を1発叩き、気合を入れて敷地の際に立つと、瓦礫の中で蠢く影を視認することができた。帽子を被り後ろを向いているが、その分厚い背中はかつて憧れ、追い続けた人に違いなかった。
「大高さぁーん、大高工場長―」
歓喜を抑えきれず影に声をかける。ゆっくりと振りむいた男は、紛れもなく工場長の大高だった。
「虎、生きていたかぁ」
笑顔で大きくうなずいた虎一は(工場長も)と返したかったが言葉が出ない。心に浮かぶのは工員として勤務していた日々のことである。機械を整備し稼働させ修理しながら工場を支える。汗と油にまみれながら大高や同僚たちと寝食をともにしていた日々。しかし今は目の前に大高以外の姿はなく建物も跡形がない。

「工場は壊滅だが工員たちは無事なはずだ。どっから情報が入ったのか知らんが、空襲の1週間前から工場を閉めて自宅待機としていたのさ。こんな状況だから皆はまだ自宅待機のままだ」
虎一の心を察したかのように大高が言葉を続けた。皆の命があることを喜ぶべきなのかも知れないが笑顔にはなれなかった。
「これからもっと稼ぐはずだったんだがなぁ。これじゃ工場を再建するか潰すか、本社の偉いさんたちも頭を悩ませていることだろう」
大高の目に暗い影が奔る。虎一よりもさらに長い時間を工場で過ごしてきた大高にしてみれば、壊滅したのは工場ではなく大高の人生そのものかも知れない。虎一は再就職したいという望みを心の奥に仕舞った。これだけ何も無ければ諦めもつく。それでも自分を鼓舞するように大高に伝えた。
「再建しなきゃ駄目ですよ。まだまだこれからです、我社も日本も」
「そうだなぁ。虎も戻ったしこれからだな」
大高は高らかな声で応え硬い笑顔を見せた。地獄のような絶望の中で虎一に光を見たのだろうか。しかしその直後に首を横に振った。
「見てのとおりだ、何もできねぇ状況だ。本社からは指示も人も来ねぇ。判っているのは、当面工場の再開ができねぇことぐらいだな。虎の力になってやりたいが、今は自宅待機している従業員達の行く末を考えなきゃならん」
良くて配置転換、下手すれば工場閉鎖による退職。大高も含め郡山工場の従業員の先行きが不透明な中、虎一を雇用することができる訳が無い。虎一もそのことを感じてはいたものの、両親にひもじい思いをさせないためにも食い扶持を確保しなければならないことで胸が痛んだ。
「虎、せっかく来たんだから片づけを手伝ってくれないか。荷車使ってその辺りの金物を鉄クズ屋に持って行ってくれ。大した銭にはならないだろうが、綺麗になるだけ良しってもんだろう。日当は出せないが、鉄クズ屋からの上がり銭はお前のもんにしていい。手伝えるだけでいいから力を貸せよ」
大高が指さした周辺には瓦礫に紛れて金属製の建材や原材料だったものが散乱していた。鉄クズ屋に持っていけば幾らかにはなるだろう。再就職をさせられない状況の中で、少しでも虎一に金を掴ませようとする大高の心遣いに虎一の胸に熱が生まれた。昔からそういう人間だった。工員に対する親代わりとして、誰よりも工員を護ろうとする熱い男だった。虎一はもう一度この男の下で一緒に仕事をしたかった。
「この辺りのガラですね」
よく見ると瓦礫の周囲に数台の溶接機が置かれていた。使えそうな溶接機を大高が揃えていたことを察した虎一が、溶接機を避けた範囲を指し示したところ、怒鳴るような声が響いた。
「寝ぼけてんのか、その辺りのもんは全部片づけて綺麗にしろ。その壊れた溶接機もだ。皆まで言わせんなよ」
「はい」
軽く頭を下げた虎一は、大高の真意を感じ胸の中で両手を併せながら鉄クズを荷車に積み始めた。そして周囲に落ちていた布を集め、溶接機を包んだ。大高が向けてくれた好意を有難く受け止めることにした。溶接機は泥に塗れてはいたが、多少手を入れれば再稼働できそうな様子だった。
「ここからは独り言になるから聞かなくていい。これだけやられたら、工場は潰すか新しく建て直すかしかない。そこにある溶接機みたいな古い設備に生きる道はないだろう。けどなぁ、そんな古い設備でも役に立てる場所があれば幸せだな。俺もお前も古い人間だから、これから生きていくのは難しいだろう。だが喰らいついてでも生きろ。そして生かす道を探せ。お前がそうしてくれるなら俺は嬉しい」
大高は鉄クズなどによる日銭に加え、虎一が生きるための爪、溶接機を与えようとしていた。虎一に「生きろ」とエールを贈っていた。
「いずれ戦争は終わり時代は変わる、工場も変わる。それでも生きなきゃならん。そのために何ができるか、何をするかだ。俺もお前も工場も」
「はい」
虎一は背を向けたまま作業を続けながら返事をした。虎一が満州で除隊される際、上官も同じような訓示を述べていた。日本がポツダム宣言を受諾するまでに、まだ暫くの時を必要としていたが「敗戦」を感じていた者たちは、次の時代に「生」を繋ぐことに必死だったのかも知れない。

 それから数日間、虎一は大高の手足となり工場跡を片づけた。鉄クズを運んで得た金は全て大高に渡した。ここでの作業は虎一にとっては糧を得るための仕事ではなく、大高と工場に対する恩返しだからである。そして、二人の蜜月のような日々は唐突に終わりを告げた。
「虎、来週からは工場に来るな、今日は何もしなくていい。お前の役目は終わりだ。来週から従業員が復帰する」
言われてみれば当たり前の話であるが、この作業が終わることには惜別の思いがこみあげた。
「これと、あれを持って帰れ」
大高は金が入っている思われる封筒を虎一に手渡すと、いつもの荷車の方を指さした。そこには一枚の看板が立てかけられていた。

【鍋・釜、機械・器具、万ず直します。黒田商店】

「お前と、工場で一緒に働くことはできねぇが、工場が再建したら一緒に仕事をしようぜ。うちの仕事を請けろ。それまでの間、腕が錆びつかないように色々と動かしておけ。お前ならできるだろ」
虎一は頭を下げて荷車の方に足を進めた。
(工場長はここまで自分のことを考えてくれていたのか)
 渡された封筒の中身は、これまでに鉄クズ屋から受け取っていた金の全額が入っていることが想像できた。そして、自分を鉄クズ屋に通わせていた理由は廃材の処理だけではなく、鉄クズ屋に自分の顔と名前を覚えさせるとともに、金属の相場を教え「黒田商店」の原材料の仕入れに利することを考えていたのかも知れないことを感じていた。
「今日は親に銀シャリを食わせてやります」
「それは良いな」
大高が歯を見せて笑った。数年振りに見る屈託のない笑顔だった。虎一も笑顔になった。工場で働くことはできないが、近い将来、工場長から受ける仕事ができるかもしれない、大高の役に立てるかもしれないという希望が、胸を高鳴らせた。
「必ずお役に立ちます」
虎一は頭を下げると看板に向かい歩き出した。みっしりとした杉の一枚板で作られた看板は、かなりの重さだったが縄で背に縛り担いだ。
 自分の力で運びたい。意味が無いことかも知れないが、自立に向けた儀式のような気持ちを抱いていた。

 この日、黒田商店は郡山の焦土にその両足を降ろした。
(第1話 終わり)


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