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【駄文】天翔ける日を

  いつの頃からか、『「鵜飼い」を一度は見たいもの』と考えておりましたが、3年前の夏、京都でその機会を得ることができました。正直、「感動した」という程のことはありませんでしたが、「見ることができて良かった」というくらいの印象でした。

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 長女が京都で大学生活をしていたおかげで、何度か京都を訪問できたのは、良い思い出です。長女は昨年大学を卒業し、大阪で仕事をしていますが、コロナ禍ということもあり、大阪には昨夏の1度しか行くことができておりません。
 仮にコロナ禍が収束しても、残りの人生で、子どもたちに会える回数を考えると寂しくなる気持ちもありますが、「生きていればそれでよい」と自分に言い聞かせています。
 ちなみに、次の写真は、2女が撮影したものです。お目汚しになりますが、夏の宇治川の雰囲気をどうぞ。この時、高校3年生だった2女は、現在、栃木県で大学生活を送っています。後1年8ケ月、無事に過ごして欲しいものです。

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 30代半ばで離婚して、子どもたちとは別に生活していますので、「父親」としては中途半端な存在ではありますが、「父親」とさせてくれた、「元妻と子どもたち」には感謝です。

 鵜が魚を獲るように、養育費とか仕送りなどを続けてきて、長女については完了しました。油断はできませんが、このまま何とかゴールできそうです。2年前に不整脈が悪化して入院した際には、若干の不安もありましたが、持ちこたえることができています。ちなみに、2年前には姉とこんなLineをしていました。まずは10月29日

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 8月に人間ドックを受診し、血液検査の結果から「循環器科を再検」との判断を受けて、9月に大きな病院の循環器科を受診したのですが、その際には病気とは診断されず、体調不良を感じながらも、日常生活を送っていました。ところが、翌11月、

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 近所の内科を風邪で受診したのに、医師から不整脈について指摘を受け、1日分だけ薬を処方され、翌11月17日(日)に、栃木県にいる2女とランチをした帰路、宇都宮市で不整脈の発作→救急搬送→緊急入院(約2週間)、昨年4月のカテーテルアブレーション手術となりましたので、人生、何があるかわからないものです。

 そして、この11月の入院を機に「福島太郎」が誕生しましたので、人生、何があるかわからないものです。

 駄文屋と称する福島太郎、想像上の人物であり父としても、大人としても、作家としても半端な姿で、よちよち歩きをしておりますが、鵜で終わることなく、いつかグリフィンとなり、子どもたちに羽ばたく姿を見せたいと考えています。
 まだ、自分の人生を諦めない。

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  ということで、今回は「橘鶫TsugumiTachibana」さんの企画に参加してみました。小説や詩のような純粋な創作ではありませんが、一つの物語として御査収いただければと存じます。ラベンダーさんに触発されて、参加したくなりました。橘鶫さん、ラベンダーさん、ありがとうございました。


サポート、kindleのロイヤリティは、地元のNPO法人「しんぐるぺあれんつふぉーらむ福島」さんに寄付しています。 また2023年3月からは、大阪のNPO法人「ハッピーマム」さんへのサポート費用としています。  皆さまからの善意は、子どもたちの未来に託します、感謝します。