【駄文】京も今日とて
皆様、こんばんは。本日もノープランからの書き出しです。サムネ画像の写真は2000年11月下旬の京都は金閣寺になります。何となく
「自分が保存している一番古い写真のデータは、何だろう」
という疑問が生じて、古いデータを漁ったところ、最古の写真群は「娘の写真」がほとんどでした。で、人物が写っていない最古の写真群が、2000年11月の写真でした。その中から1枚をピックアップした次第です。
この時は、数人での京都旅行となりましたが、その10数年後に長女が京都の大学に進学し、度々京都を訪問することになるとは、考えもしていませんでした。
数年前、娘が大学在学中は、それこそ3ケ月に1回くらいのペースで京都を訪問していたのですが、あまりお金に余裕がなく「夜行バス」を主に利用していました。往路は21時半頃に須賀川市を出発して、朝5時半頃に京都駅八条口下車、復路は、ほぼ逆の時間という日程でした。ほとんどの場合は、京都のビジネスホテルで1泊していましたが、ある時は、発作的に京都に行きたくなり、金曜の夜に須賀川発、長女とランチ&お買い物をして解散、その夜に京都を出るという、連続車中泊に挑戦したこともありました。
流石に1回で「もう無理」となりましたが、それなりに気力と体力があった時期なのかもです。
また、ある時は、11月下旬の連休に行きたいと思ったのですが、バス、新幹線も飛行機も席は無く、ホテルもとれずに諦めたのですが、
『おう オレは福島 あきらめの悪い男』
とばかりに、連休前の夜に友人と会食中、こう呟きました
「明日の朝、起きることができたら、車で京都に行こうと思う。ホテルは無いけど、漫画喫茶とか車で泊まればいいかと考えている」
そして、翌朝、二日酔いも無く、爽やかな朝を迎えました。ルートもあまり深く考えず、とりあえず東北自動車道で関東方面を目指します。
早朝7時頃に出発し、途中で休憩する度に宿を検索しますが、空きが出ないまま、18時過ぎに京都に到着し、伏見方面の漫画喫茶に向かいました。
すると、なんと、ネットで京都市内のカプセルホテルに空きが出たではありませんか。慎重にスマホを操作、予約を完了してから京都市内に方向転換しました。夜だというのに紅葉のハイシーズンで込み合う京都市街ですが、「もうすぐ休める」と気分を高揚させつつ、二条城近辺にあるホテルに近づいていきます。すると、覚えのない電話番号で着信が入りました。
「ご予約いただきました、〇〇ホテルでございます。こちらの不手際で大変申し訳ありません。ご予約いただきましたお部屋についてですが、ダブルブッキングをしてしまいました」
大げさではなく、目の前が真っ暗になりました。ホテルを責める気はありません。ミスは付きもの、ましてやハイシーズン。ただ、混雑した道を引き返して、漫画喫茶でシャワーを使った後に、車中泊をすると考えると、叩きのめされた気分になってしまいました。そんな私の心境とはお構いなしに、スタッフは説明を続けます。
「つきましては、グレードが下の部屋を御用意させていただきましたが、それでもよろしいでしょうか」
おう、おう、おう、おう、随分と焦らせてくれたじゃねぇか、横になるスペースがあるなら何でもいいよ、是非泊まらせてもらうよ。もうすぐ着くよ。
「こちらのミスでございますので、宿泊料は無料とさせていただきます」
おう、おう、おう、おう、随分と喜ばせてくれるじゃねぇか、せっかくのご厚意を受けさせてもらうよ。ということで、そのホテルから撮影した写真を上げておきます。
ついでと言っては何ですが、少し前まで「アイコン」に使用していた写真のフルバージョンも上げておきます。需要の有無はわかりませんが、京都の思い出の1枚です。
この写真は「近江神宮」での1枚になるのですが、この衣装は「なんちゃって和服」で、当時の値段で1式「1000円」でお借りしたものだと記憶しています。近江神宮と言えば、「百人一首大会」や「日本初の時計」で有名ですが、こんなマニアなサービスも実施していました。
この写真の時は、長女、次女と3人で「なんちゃって和服」をお借りしましたが、一緒に暮らしていた時期が短く、3人で過ごす時間がほんの僅かな時間の中で、「3人で京都でコスプレ」という、レアな記録とも言えます。
和服はお腹の張りとか、足の短さとかが目立たなくて良いですね。
ということで、今日も今日とて、駄文にお付き合いいただきありがとうございます。今日も今日とて、書籍の売上の棒は立ちませんが、大地を踏みしめ前を向き、生きていきます。そして、
『安西先生、京都に行きたいです』
コロナ禍が治まり、京都に行ける日を楽しみにしたいと思います。