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地獄のロード #シロクマ文芸部

 こちらの企画に参加です。

(以下、本文です)
 紫陽花を愛でるような、ゆとりは全く無い。
 今日は「東和ロードレース」、これから地獄坂が僕を待っている。

 現在の二本松市には、旧東和町が含まれています。かつて木幡、戸沢、針道、太田の町村がが合併した東和町で誕生した「東和ロードレース」について、少し語らせていただければと思います。

 コロナ禍になる前は、福島県内でも多くのランニングイベントが開催されていました。一般的には、自治体や自治体を中心とした実行委員会が主催することが多いのですが、その成り立ちを考えると、大きく二種類に分類することができると考えています。
 一つは、「町民体育祭」のような競技を主とした地域行事が発展して、他市町村のランナーを受け入れる形で大きめのマラソン大会に成長したもの。そして、もう一つは「観光誘客(復興を含む)」を目的に、街おこしイベントとして企画されたものになります。

 僕もランナーの一人として、多くのランニングイベントに参加し、楽しませていただいた時期がありましたが、体育祭系はアスリート気質が強く、参加料は安く、タイム設定は厳しく、スポンサーが弱く、参加賞が寂しい印象です。
 一方、街おこし系は参加賞が豪華で、タイム設定は緩く運営が清廉されていますが、参加料は少し高い印象です。
 どちらが良い悪いということはなく、どのイベントにしても、スタッフや観客の熱意と誠意を感じるものが多く有難いものです。また東日本大震災後に始められた復興系については、楽しむことに少し罪悪感を抱く部分もありましたが、ランニングイベントは総じて楽しいものです。

 しかし、東和ロードレースは別格です。

 県内のランニングイベントの中でも、草分け的な存在でありながら、体育祭系でも街おこし系でもない「住民手作り」という独自のルーツを持つ大会です。
 「日本のボストンマラソン」というキャッチコピーは、少し盛り過ぎのような気もしますが、僕の体感として「県内一過酷な大会」であることは間違いありません。東日本大震災後の復興イベントとして立ち上がった「ゲレンデ逆走マラソン」というイベントも相当に過酷で、その過酷さを楽しみに参加するランナーのことを、主催者は大きな尊敬の念を込めて「変態」と称していますが、この東和ロードレースはその開催時期も含め「真の変態」を惹きつける「過酷・過酷」な大会なのです。
(令和元年当時の思い出になります)

 この大会の特色と言いますか、代名詞となるのが「地獄坂」と呼ばれるスタート直後に登場する急勾配の坂道です。この坂がボストンマラソンに登場する「心臓破りの坂」を彷彿とさせることから「日本のボストンマラソン」と称されるのかも知れません。
 しかしながら、本家の心臓破りの坂がゴール直前に登場するのに対し、地獄坂はスタート直後になりますので、シチュエーションとしては大きく異なります。僕自身、初めて参加した時にはその過酷さに面食らいながら、坂の頂上に到達した時には
「確かにこれは凄い、他には無い。しかしこの難関を越えた」
という安堵の気持ちから、その後のコースを如何に楽しむかとか「楽勝」という気持ちが頭を掠めたことを覚えています。

 しかし、それは大きな勘違いでした。そこからが本当の地獄巡りだったのです。ひたすらに続く登り下り、曲がりくねり先が見えにくい坂道が繰り返され、全体として往路は登り基調で心が折れそうになります。
 しかも普段練習をしている平地とは違う筋肉を使いますので、足の筋肉から悲鳴のような声が聞こえてきます。楽もなく勝ちも考えず、まるで修験者のような心境で、耐えるような気持ちでひたすら手足を動かすことになるのです。
 そして、そのコースの厳しさにも関わらず、足切りのタイム設定は厳しいです。生半可な市民ランナーを容赦なく振るい落とします。
 一方、50年の歴史を超えて沿道から声援を送り続ける方々がいます。その声援は熱く優しいのです。そして沿道に咲く紫陽花が美し過ぎるのです。県内一過酷であり、県内一気持ちが良い大会でもあります。

 この東和ロードレースは、昭和40年代半ばに地元の若者たちが集まり、自分や町の将来について語った「夢」から生まれた大会なのです。体育祭系でもなく街おこし系でもなく、東和町の若者たちが
「何かをやってやろう」
「自分たちの町を、もっと良くしよう」
「自分たちの限界に挑戦しよう」
と若者特有の熱の中で「何をしたいのか。何ができるのか」を考え、語り合い、資金を集めスタッフを確保し参加者を募り、関係機関に掛け合う。

 何のノウハウもなく、お手本にするような大会も無いところからコースを考え、手作りのチラシやポスターを配布して開催したのが「第1回東和ロードレース」であり、今に伝わる「青春激走」という精神なのです。
 組織も資金も何もなく、若者の夢と情熱をエネルギーとして誕生した大会なのです。

 令和3年以降は、コロナ禍の影響もあり11月に開催されるようですが、令和元年までは「7月の第1日曜日」に開催されてきました。一般的なランニングイベントは夏以外の季節に開催されます。暑さによる健康リスクが高いことが、その理由の一つだと推察しています。しかし、東和町の方々は夏の暑さをも上回る熱で、50回以上も夏に大会を積み上げてきたのです。

 この過酷な大会に僕は過去3回参戦し、2回リタイアと惨敗しています。令和2年以降は、不整脈の発作を経て心臓に不安を抱える身となりましたので、もうランニングイベントに参加することは無いと考えながら、この東和ロードレースだけは、紫陽花の花言葉のように「移り気」や「浮気」ということに惑わされることなく

 また挑戦する夢を見ています。
 
 地獄へ旅立つ前に地獄坂の頂点を極め、人生を完走したいと考えています。
 最後までお読みいただきありがとうございます。
#何を書いても最後は宣伝
 本稿はこちら「夢見る木幡山」の一部を微修正して引用しました。


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福島太郎
サポート、kindleのロイヤリティは、地元のNPO法人「しんぐるぺあれんつふぉーらむ福島」さんに寄付しています。 また2023年3月からは、大阪のNPO法人「ハッピーマム」さんへのサポート費用としています。  皆さまからの善意は、子どもたちの未来に託します、感謝します。