見出し画像

おい!お前も日記書かねえか!?

本日もお読みいただきありがとうございます。

相も変わらず遅筆といいますか、書く習慣がないので毎日投稿から始まり毎週投稿。今じゃ何とか頑張って毎月投稿をしている次第でございます。

さて、本日は困ったときの白饅頭とでも言いましょうか。白饅頭日誌で久々に穏当な話題があがったのでそちらを題材にしていこうと思います。

 タイトルではネット上の読みやすい文章を書くためのコツというハウツー記事になっていますが、中身としてはタイトルの解説。そしてそのあとに書くことという営みがもたらす効能といいますか、どんな影響があるかについて書かれています。

ネット上で読まれる文章は「リズム」が重要だ。というかそれが全体の9割以上かもしれない。

 この「リズム」という概念を具体的に説明するなら「文章に目を通して頭の中で音読したときに、息切れを起こさずテンポよく目を通せる視覚的配置になっていること」とでも述べようか。冒頭のポストでは「音楽のように読める」と説明されているが、なるほどそれはとてもよい喩えだと思う。

 noteではときおり、改行も段落空けも一切なく、みっちりした文章を最初から終わりまで一気に書ききってしまう人を見かける。これはよろしくない。はっきり言ってその人のことをよく知る熱心な読者でもないかぎりそれをすべて読むことはないだろう。なぜならそれを見ただけで目と脳が消耗してしまうからだ。

 まずはこの点について、言われてみれば確かにその通りといいますか・・・これがどの程度共感されるのかは謎ですが「文章に目を通して頭の中で音読する」という行為は確かに行われています。であれば視覚的な見やすさのみならず一呼吸で読める(読み上げることができる)文章量で各ブロックを構成したほうが読みやすいのは間違いない。

 過去の自分の記事を見返してみると最初期の頃からパラグラフを4~5行くらいにまとめるようにしていたので、実際に読みやすいかどうかは別として脳内音読をしやすい量でまとめていたことが分かりました。

 ネットに放流しても大丈夫かどうかの最後のチェックの時なんかは実際に音読しています。そうするとたまにムチャクチャなこと書いてる内容だったり文法が見つかったりするし、整理も付くので案外面白いです。

 仕事によりけりとは思いますが、大人になってから音読することは基本的に稀です。いや、そうでもないか。エッセイ本や小説や論文の類を学生の音読よろしく読み上げることはまずないですが仕事上の先方とのやり取りや資料の読み上げなんかは普通にありますね。

 読ませるための文章かそうでないかの違いが厳然としてそこにはあると思いますが、言語化できていないので詳しい説明はご容赦を。事実関係の読み上げと感情や思い、出来事を実際に声にするのじゃ違うと思う・・・んですがいまいち自信が持てませんね。


 文章の書き方といいますか、ネット上の読みやすい文章について触れるのはここまでにして、書きながら気になったことが出てきました。

 みなさんはnoteを書いている際に、一度止まって読み返して文章を削除することはありますか?書きながら正しいのか正しくないのか考えてしまうことはありますか?

 わたしはよく考えてしまいますが消すことはしません。PCに向かい合っている瞬間瞬間に脳が発した言葉を基本的にはそのまま出力しているので、表現の仕方を変えることはありますが言いたいことを翻したことはありません。

 実際に日記をノートや手帳に書くとなったら消すのも大変ですし書き直しが大変だから消すことってまずないですよね?そういったやり直しが大変か容易かで出力される文章の質や熱量がどう変わるのかは正直気になるところですね。

 まあこんな強気なことが言えるのも顔も名前も隠して誰も読んでないからなんですけどね。仮に数千、数万人以上に読まれる文章を出力していたら自己検閲が働くと思われます。インフルエンサーなんてのはなるもんじゃないですね。



 日記を書くことをタイトルで進めておきながら書けていない私ですが、その効能自体はすさまじいものがあると私は思っています。 

 まずこれは何度も書いていますが自分が何を考えているのか、何を思っているのか目の当たりにするので思っている以上に自分は自分のことを知らなかったのだと思わされること。

 次に思考が次から次へと飛んでいくので自身の考え方が意外に広がったりします。これは恐らく良し悪しがあって、私は基本的に自己対話をすればするほどポジティブか興味深そうな方向に思考が飛んでいくので新しい発見や再認識が起きるので良いんですが。自己嫌悪や他社の悪いところ探しのようねネガティブな方向にもいく危険性があると思っています。

 人間暇になると碌なことをしないってのは定説ですが、自己対話もほどほどにしておくのがいいかと思います。だから日記を書くのであれば事実の列挙と心情の吐露と整理程度にとどめておいて、そこからさらに自己対話まで深く潜るのはある程度期間を開けたほうがいいのではないかと思います。知らんけど。

 本日はここまで。
なんかこう書いてるときは基本的に楽しいんだけどどうしても毎日はできないしそこまで優先度高くないし夜中に作業みたいにはやりたくないんだよなあ・・・また今度。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?