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大都会とぼくの10年

この春で上京して丸10年になりました。
10年という区切りは決して短くはない時間です。
体感はここまであっという間でしたが
本当にたくさんのものを見てきました。
まだ18歳だったあの頃の少年は
東京で何を思いどう過ごし
大人になったのか。

始まりは2012年春、河合塾の学生寮で
浪人生生活をするため住むことになった
東京都北区、東十条。
文字通り東京の最北端に位置し、
目と鼻の先に埼玉のある
(というかぶっちゃけほぼ埼玉)
という都会とは名ばかりのところでした。
ちなみに少し歩けばあのひろゆきを産んだ
赤羽があり、下町情緒あふれる町や住民が
印象強かったのを覚えています。
初めての大都会・東京の地にしては
エキセントリックでレトロな姿に
ぼくはあっけからんとしてしまいました。
なぜならぼくのイメージする
〝東京〟は360℃見渡せば
タワーマンションや高層ビルの
摩天楼広がる欲望渦巻く場所だったからです。
小さい頃よくディズニーランドに
連れてってもらったのですが
帰りの首都高で見た夜景やビルの灯りが
まさしく僕のイメージする都会でした。
窓から見えたお台場や汐留、新橋といった
港区あたりの景色は幼いながらに
とてつもなく刺激的で爽快で圧巻で
美しいと思える眺めでした。

それとはまったく違いますが
そんなはじめての東京も
まったく期待外れというわけではなく
360℃山川森にかこまれた場所で育った
ぼくには北区は十分大都会でした。
だってマックもミスドもスタバもあるし笑
東京と聞くと冷たいという印象も
ありましたがどこかここは懐かしさがあり
温かい人情あふれる町だと思いました。
普通の町なら避けて通りそうな
昼間からベロベロの歯のないおっさん、
何喋ってるかわからん人、
どこから来たか分からないけど
絶対ビザ切れてる陽気な外国人etc・・・
そんなのが当たり前のように共存して
笑いながら生きてるんだから
良い土地にちがいありません。

そして日本一痴漢が多く、
人身事故も多発する埼京線で
池袋にある河合塾へ通い出します。
池袋は学生もいればサラリーマンもいて
幅広い年代層の老若男女と
さまざまなカルチャーがひしめきつつ
飲み屋やラブホや風俗店
その反対側には文化ホール、
ファミリー向けの商業施設などが
混在するカオスで面白い街でした。
初めての東京で最も感動したのは
クリスマスの夜に池袋の駅構内で
サックスを片手に『きよしこの夜』を
演奏する粋な男性が
警察に職質されているところでした。
田舎者のぼくからしたらその光景が
意味わからなすぎたけど
なんか東京ってすげぇな〜!
と興奮したのを今も覚えています。
池袋はお気に入りの町です。

19歳という10代最後の年に
ぼくはかつてないほどの時間
この池袋で勉学に励みました。
それもそのはず偏差値30程度の学力で
慶応と並ぶ私立大最難関の早稲田を
目指していたのですから。
ビリギャルなんか比じゃないくらいの
学力差ですよ笑
だから6時に起床して8時から23時まで
教室で勉強してようやく寮に戻り
お風呂に入って暗記して0時に眠りにつく
そんな生活を12ヶ月。
成績はグングン右肩上がりでしたし
もともとボクシングをやっていたこともあり
なにかに打ち込むことは大好きだったので
はじめての勉強というものは
とても楽しくトライできた記憶があります。
まあでも時にはめちゃくちゃしんどくて
頭おかしくなりそうなときもありましたがw
というか確実になった日もあります。
親も姉妹もいない環境なので
基本的に誰かとコミュニケーションを取るのは
寮ですれ違った塾友達くらい。
だから誰とも喋らない日もざらにありました。
面白いもので1.2週間誰とも口を聞かず
ひたすら勉強してるとなぜか
町を歩いていたりしたら
突然自分の口から独り言がブツブツでます。
それも無意識にかつボリュームの調整がきかないのです。
ぼくはそのときハっとなって
あ、俺今なんか一人でわりと友達に話すくらいの
声量で喋ってたぞ!?ってなったんです
無意識に頭で妄想とかしてるときに
そのセリフがそのまま出ちゃったんです
ぼくは自分のやばい状況に
気付けたのでまだ良かったのですが笑
たまに電車とか駅で見かける一人で
叫んでる人はそういった症状なのかなぁなんて
勝手に推測しています笑
みんな、話せる時は誰かと話そうね笑
まぁそんな感じで気がおかしくなるくらい
死ぬほど勉強したあの1年は僕は忘れられません。
何よりもかけがえのない1年だったことはたしかです
無我夢中でたった一つのことに取り組めた
唯一の時間でした
後にも先にもあの一年しかないでしょう。

そうして1年間の浪人生活を終え
ぼくは青山学院大学に入学します
正直最初はめちゃくちゃ嫌でした。
ぼくは高二の頃、学校行事でたまたま
早稲田大学に行く機会があり
そこで見たキャンパスライフとやらに
憧れここに入学すると固くきめ
ボクシング部を引退したのち合格にむけて
人生で初めての勉強に取り組んでいました。
なので全然納得のいく結果ではなかったのです。
もう一浪してやるんだ!くらいの気概でしたが
親にもう勘弁してくれとのことで
早稲田に一歩及ばなかったのは自分の責任、
そこは不甲斐ないですが割り切っていこう
という結論に至りました。
そこで合格通知をいただいた
立教と青学のどちらに行くかという問題が
起きました。

立教は池袋に居を構え
青学は渋谷にある。
どちらも〝女の子〟が可愛いという
情報は受験生なら絶対的にマークしている。
ではあとはイメージ。
池袋は1年間通ってきたし
どうせ4年間過ごすなら
渋谷にしちゃおう!なんかチャラそうだし☆
なんて田舎者な判断基準ですが
青学に入学することを決めたのです。
当時の偏差値ランキング的なものでは
青学は明治立教のちょい下くらいの立ち位置で
当時の浪人の同級生みんなに
立教を勧められましたがしたが
僕は早稲田にいけないなら
どこでもいいやくらいの感覚だったので
楽しそうという理由で青学に入学しました。

1年生になると年子だった妹も上京します。
(浪人をクラスメートにバレたくなくて
双子で〝同学年〟の妹と一緒に上京してきた設定で
しばらく過ごしていたのは良い思い出)

僕の母親もまた田舎の人なので
都会のイメージが女の子1人じゃ危ない!
とても妹一人では住ませられないわ!
という感じでした。
今思うとほんと田舎者ですよね笑笑
東京をスラムかなにかと
勘違いしていたのでしょうか笑
あんたたち一緒に住みなさい!
家賃も浮くし!てなことで、
1年生の頃は妹と同居していました。
場所は西東京の府中市です。
えぇ!?おれここから渋谷通うのぉ!?
せっかく都内なのにちょっと遠いじゃん!
もうちょい渋谷の近く住ましてくれよぉ!
なんて生意気にも親に文句ばっか言ってましたが
当時家賃は親が払ってくれてましたので
いうことをきくしかありません。
渋谷でパリピでやりらふぃーな
生活を送りながら
ひっそりと京王線で府中に帰る、
こんな日々を1年続けましたが
妹も年頃、ぼくも年頃ということで
お互いもっと自由に暮らしてぇよ!
遊びてえよ!女連れ込みてえだろ!
みたいな感じで程なくして僕たちは解散しました

そして僕が府中市から引っ越し、
新居は世田谷区駒沢へと決まりました。
ここに来て都心に返り咲いたのです!
再び23区内、それも渋谷のすぐ近く。
響きからセレブチックな世田谷区です!
念願の1人暮らしは最高の一言でした
意外、と言われますが
ぼくは大勢でいるよりも
1人の時間の方が大好きなので
誰にも邪魔されず
映画見たり漫画読んだり
好きなことに没頭できる
環境ができて大喜びしました。
ホームシックなんてかけらもありませんでした。
かと言ってみんなで遊ぶのも嫌いではないので
集団で遊ぶのも得意だし1人の時間も堪能する
器用な生き方を心から楽しんでいたのです。

ぼくは目的もなく
ぷらぷらするのが好きで
行き当たりばったりで出会う
面白い人や美味しいものや景色を
楽しむのが趣味でした
なのでよく学生時代は
一人でしょっちゅう放浪していました。

東京の好きなところは
町々で見せる表情が違うのです

その土地その土地で微妙にちがうんです
人も雰囲気も町並みも。
それを見るのが好きでチャリで
都内を旅したり電車で目的もなく
ぶらり途中下車したり
看板だけでどこまでいけるか
歩いたり、よくやってたなぁ笑
学生というモラトリアムを使って
全身で呼吸して東京を吸い込んでいましたね笑

いろんな土地に行きたくて
いろんなバイトもしました
働いてても気づいたのが
渋谷には渋谷の顔があるし
六本木には六本木の顔があるし
秋葉原には秋葉原の顔があるし
錦糸町には錦糸町の顔があるのです
これが不思議なものですが
その土地に住むとその土地ぽい
人にもなるんじゃないでしょうかね
大きく言えば県民性みたいな。
ぼくは全国の方言とかも勉強してた時期があって
好きなんでしょうねローカライズされた
枠組みとかが。

とにかくこういう思い出って
いまでも色褪せないものですね。
ぼくのモットーに映画のような人生を生きる
なんてのがあるんですが
なかなか難しいんですこれが笑
現実は現実であって映画は所詮
映画の世界なのですから笑

ただたまに苛烈で刺激的で
甘美な世界が本当たま〜に見れたりする
ごく稀に映画のような奇跡が起きたりする
そんな瞬間が一瞬だけ現実にあったりしますよね
そのために生きてんじゃねぇかなって
思うんですぼくは。

現に東京に住んでいて
そう思い当たる景色は何度か見てきました
奇跡を起こすような人や
波瀾万丈のとんでもない生き様を見せる人、
ここでは書けないような深い世界や
作品のようなエモい景色を
毎日ではなく本当にたまに
伝説のポケモンに遭遇する感じで
時折目の前に現れるのです
映画のようなワンシーンが。
そんな出会いに興奮したり感動するから
生きていてよかったなぁ・・・
なんてこんな世を楽しめているのです
僕の場合。

この10年はそれを感じられるような
貴重ですんばらしぃ時間でした。
さぁこの先の10年はどんなドラマに
出逢えるのか楽しみです。

自分で頑張って映画みたいに
生きようとして失敗したりたまに
うまくいったりしているうちに
たま〜に奇跡が見れる
それをドラマと呼ぶことにしましょ。

たろちゃん組

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