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推しのいる生活を考える

おはこんばんちは
シネマンガテレビのドン・たろちゃん組です

突然ですが「推しのいる生活」って
なんなんだろうかと思いたち
今このnoteを執筆しております

推しとはよくアイドルに使われている
イメージなんですが
高校生の頃AKB全盛の時代ですら
ほとんど興味を示さず過ごしていた僕には
縁もゆかりもない言葉である・・・

とりたてて〝推し〟というものに
巡り会わない人生だったため
推しってものがなんなのか
僕の肌感覚ではまだわからない。
しかし生意気にも推される側に立つこととなり
改めて〝推す〟という好意を
客観視して〝推察〟できればなと。

推しという言葉の意味を調べると
「人に進めたいと思うほどに好感」を
持っている状態
と出てくる

つまり推薦という意味に近いのではないか。
観てみてこの人かっこよくない!?
可愛くない!?あなたにも紹介してあげる!
といった具合だろうか。

中には同担拒否という言葉もある。
これも調べると
同じ対象を応援する他のファンと
交流を持ちたくないという姿勢を指す。
これはなかなかえぐい笑
バチバチすぎて怖いですね

逆に同担歓迎なんてものもある。
〝歓迎〟と言っている時点ですでに
推しは自分のものですけど
あなたも推すなら推していいよ別に?
くらいの自己中心的なスタンスな気がして
それはそれで面白いのだが。
まあそんな意地悪な見方は
しなくていいのだろう。

さらに〝ガチ恋〟というものもある。
読んで字の如く恋愛感情を持った形だ。
単に推すことが応援することに徹する、
付き合いたいと言う感情はない
とするならば
ガチ恋は付き合いたい・結婚したいという
願望を含むことになる。

なるほど。
一口にファンといえど
その支え方は多種多様だ。

推す方も推される方も一筋縄ではいかない
なかなかどうして面白い人間模様ではないか

推しのいる生活や
推しのいる自分を想像したんですが
やはり推しがいるということは
それだけできっと自分の生活を
キラキラさせてくれるものなのかなぁと
もし自分の人生になにかアクセントが
足りない時に〝推し〟というものが
現れたら自分の時間は彼らや彼女らのために
捧げたい!と思えるような生活習慣に
なっていくのかな
たしかにそれはそれですごく楽しく
メリハリのある人生になるのか
なんて想像してみました

まあでも僕自身は元来
いいねは自分に押すもので
自分の最強の推しは自分だぜ人間には
やはり無縁な世界なのかもしれません

もし僕に推しができるとしたら
それは色々やり終えた老後の話なのかもな
老後に若い子を推して応援するなんて余生も
乙なもんじゃなぁと思う。

そんな推しのいる生活
真っ只中のそこのあなた。
誰かを推すのもいいけど
自分のこともたくさん推したってな。

p.s.
俺らの中の誰かを〝顔〟で推してるって奴...
マッジで
目ェ腐ってんのか!?!?!?!?


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