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ケアされる側になった。②

ひとつ前の記事で先行き不安な入院生活がスタート。今回は手術当日から翌日のことについて。


迷走神経反射でぶっ倒れた次の日の午後、いよいよ手術となった。
その前に、昨日施せなかった点滴のルート確保を、今度は主治医の先生が行ってくれた。

(先生、一発で決めてくれ…)
という私の願いも虚しく、両手の甲に1回ずつ針が刺され、抜かれた。血管がなかなか出てこなかったらしい。体は正直で、わりと恐怖心を感じていたのだろうと思う。

左の手の甲にもう一度チャレンジし、無事にルートがとれた。先生から「ごめんね、何回も。痛かったよね。」と謝られた。それから「一発でいきたかった〜!」と悔しがっていた。


手術の時間が来るまではそわそわしていた。その不安を紛らわすため、叔父さんにLINEをしてみたりした。

全身麻酔にびびってる、と送ったときの返信。
麻酔に抗う叔父さん、おもしろい。

自分が麻酔に抗ったように、いくつまで数えられたか教えてね、と一言添えられていた。

ちなみに叔父さんは父の弟で、父曰く私と性格や考えが良く似ているらしい。私も何となくそれは感じていて、ゆるいLINEを気兼ねなく送りやすいなと思っている。


そんなこんなで手術の時間に。手術室までは自分の足で歩いて行った。本人確認・アレルギー確認をされ、手術台に横になる。主治医・看護師・麻酔科の先生たちが挨拶してくれる。

小3のときに盲腸の手術をしたことがある、と事前に先生と話していたので、先生から「盲腸のときのことをまだ覚えているなら、今日のこともきっとずっと覚えているだろうね。」と。

そうこうしているうちに、酸素マスクのようなものが口元に付けられる。普通に呼吸をしていたが、この時点で若干眠い。
「点滴のところから麻酔の薬入れますね〜ちょっとしみますよ。」
と説明があり、麻酔薬が入れられる。確かにしみた。しみるどころではなく痛かった。

(痛すぎる…!!!)

と思って目を閉じていたが、ふと目を開けようとしても瞼がくっついたように開けられなくなった。それからの記憶は一切ない。


意識が戻ったときには、病室のベッドに横になっていた。何時だろう、と気になったが、まぁそれどころではない。酸素マスクを付けられ口呼吸をしていたため、口の中がカラカラに渇いている。唾を飲んで少しでも潤そうとするものの、唾液が出ないこと出ないこと。不快そのものだった。

ターミナルの方の口の中がカラカラに渇いているのを思い出し、こういう気持ちなんだろうなと思った。


実際のところ手術は1時間くらいで終わり、夕方頃に病室に戻っていたよう。
ただ、その日の夜は動くことがままならず、ずっと横になっていた。家族に手術が無事に終わったことすら伝えられなかった。


夜中、夜勤の看護師さんが見回りに来てくれた。点滴でだいぶ水分が入ったが、全く尿意の訴えがなかったので心配された。転んでしまってもいけないので、とトイレには行けず、差し込み式の尿器をお尻の下に入れられた。

が、仰向けの状態ということもあり全く出ない。待てど暮らせど、出ないものは出ない。結局、翌朝まで一度も出なかった。


長い長い夜が明け、意識もしっかりしてきた。朝食も終え、家族や友人に連絡をした。叔父さんからは

こういうテンションがツボ。

と返ってきた。手術後、初めてクスッとした。

それからは痛みや出血などはなく、“麻酔が切れたら痛いらしい“という噂は噂でしかなかったんだな、と思った。


次回で最後。主治医びっくり案件と、同室のおばあさんの話。

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