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ケアされる側になった。③
気がついたら年が明けてました。そして年度も終わりそう。なかなか終わらなかった入院レポ、ようやく完結。
手術が無事に終わり、今回は術後〜退院までの話。
手術が終わってからは、鼻に詰め物をされた状態で過ごしていた。が、サラサラの鼻水のようなものがしきりに垂れてくる。しかも血混じりの。
看護師さんに相談したところ、綿球を持ってきてくれた。染みてきちゃったら交換していいですよ、とのこと。
毎分、いや毎秒垂れてきていたのでありがたい。その日のうちに交換しようと、詰め物を取りにかかった。
(ん…?めちゃくちゃ固い。取れない。綿球ってこんなに固くなっちゃうことあるのか。血液で固まっちゃってんのか…?)
5分くらいは格闘していたと思う。家でできる鼻毛脱毛をしたらこんな感じなんだろうなと、ふと思った。それくらい取れなかったし、痛かった。
地道に動かしていたのが功を奏したのか、詰め物を取り除くことができた。が、取ってびっくり、全長10cmほどあった。
(え、綿球じゃないの…?こんなに長いもの、どこに入っていたの…?)
という感情でいっぱいになった。目も自然に出た涙でいっぱいだった。
そこからは看護師さんがくれた綿球を詰めて過ごしていた。
後日、先生の診察があったが、本来であればそこで詰め物を取る予定だったようだ。すでに取り除いてしまった(しかも自力で取った)ことを伝えると、
「えぇっ!本当に?自分で?よく取れたね、自分で取った人初めてかもしれない!」
と、めちゃくちゃ笑われた。でもそこから特に出血などなく、先生も安心していた。
それからも大きな問題もなく、入院初日にできたたんこぶ(①参照)も治りつつ、無事に退院となった。
ここからは、病室と入院日、さらには手術日とその内容まで同じだったおばあさんの話。
おばあさんと書いているが、若々しく小綺麗にしている方だった。わたしの職業柄、高齢の方と接することが多く、日常の他愛のない話や家族の話、入院するまでの経緯など、いろいろなことを話したり聞いたりすることに慣れていた。可愛がっているペットのことも教えてくれた。
入院期間はわたしの方が短く、先に退院となった。退院の日、パジャマからトレーナーとジーパンに着替える。「いつもパジャマ着てたから誰かと思ったわ〜!」明るく話しかけてくれるおばあさん。
同じ病室にもう1人女の子が入院していたが、数日前に退院しており、わたしが退院したらおばあさん1人になってしまう。寂しさもあっただろうに、そんなそぶりは見せなかった。
たった1週間ほどだったが、お互い良き話し相手になっていた。看護師さんからも、「いつも楽しそうにお話ししてますよね!」と声をかけられたこともあった。
退院してから、経過を診るための通院が2回あった。その日程も同じだったようで、2回目でおばあさんと再会した。
しっかり覚えていてくれて、会って早々「元気そうで良かった、あなたの顔を見たらなんだかほっとしたわ。」と、嬉しいことを言ってくれた。
話を聞けば、退院してから頭痛や顔の痺れがあるようで、万全の体調には戻っていないそう。その日も、駅から少し離れたこの病院まで来るのにいつもの倍以上疲れてしまった、とのこと。
お互い診察が終わり、「仕事、頑張ってね。同じ市内にいるんだから、また会えるといいわね。」とおばあさん。今度は病院じゃなくてスーパーとかで会いたいです〜〜と言っておいた。笑い交じりで話したが、けっこう本心だった。
わたしはこういう、一期一会を大切にしたいと思っている。お互いの長い人生のたった1週間だけでも、こうして交わったのは何かの縁なのではないかと思ってしまう。
入院するのにこの病院を選ばなかったら。この時期に副鼻腔炎になっていなかったら。もっと大袈裟に言えば、この土地に住んでいなかったら、きっと出会うことはなかった。
おばあさんの中にも、わたしの存在が少しでも残っていれば嬉しいなと思う。
というわけで、年が明けて3ヶ月が経とうとしている今も、再発の兆しはなく生活している。
もう入院も全身麻酔もごめんだと思いつつ、この年でこの仕事をしているときにケアされる側になったのは、いい経験だと思った。
今年は健康に過ごせますよう。
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