ケアされる側になった。①
たいそうなタイトルをつけているが、一言で表すと“入院&手術レポ“なので軽く読んでほしい。
社会人4年目の10月。
仕事でケアをする側の私が、ケアされる側になった。
というのも内服治療で3ヶ月治らなかった副鼻腔炎の手術することになり、1週間ほどの入院をしいられたのである。
(全身麻酔怖いなぁ、職場に迷惑かけるなぁ、入院とか何年ぶり?、親に心配かけるなぁ…)
と様々な思いが湧き出る中、心のどこかで
“ケアされる側になるんだ“
という気持ちが生まれていた。
入院前日、親同席で主治医から病状と手術内容の説明。内容を聞きつつ、先生の説明する姿に注目している自分がいた。
先生は落ち着きがあり、でも淡々と話すわけではなく、朗らかで親しみやすい雰囲気を持っていた。
(やっぱり、慕われる人は普段からこういう態度なんだな)
手術の不安を感じながも、私は冷静に観察していた。
翌日、入院開始。
担当の看護師さんが入院生活について説明してくれた。同い年ということもあり親近感が湧き話しやすかった。
午後の診察の後、翌日から始まる点滴のために、ルートを確保して準備しておくことになった。
隣の部屋で、研修医らしき先生が行ってくれた。準備された針を見て
(あれ、針ってこんなに太かったっけ…?)
と思った。
そして私の腕は血管が見つけにくいようで、先生は苦戦していた。人差し指、中指、薬指の3本を順にパタパタと私の腕の上で動かしていたが、一向にルートが取れそうなところが見つからない。
ようやっと見つかり、針が刺される。
(待って、痛い…!こんなに痛かったっけ…)
という気持ちでいっぱいになり、すでに涙目。
追い打ちをかけるように、針を立て出す先生。
(ちょっと、そんなに立てたら血管貫通しません!?)
と思っていたのも束の間、より強い痛みに襲われた。
ここまで耐えたものの、うまく刺さらなかったのか、一旦針が抜かれた。
(またさっきの一連の流れやるの…?)
と怯えているうちに、血管探しのパタパタが始まる。
そうこうしていると、気分が悪くなってきた。
(何だろうこの感じ…)
と思いながら念の為、自己申告。「横になりましょうか〜」と先生が声を掛けてくれたと思ったら、視界が下の方からなくなっていった。そのまましばらく夢を見ていた。
ふと意識が戻ると、先生と看護師さんが3,4人私を囲んでいた。
(あ、倒れたんだ)
そう理解するのと同時くらいに頭の左側に痛みを感じ、舌の右側に血の味を感じた。
すぐ横のベッドに移動して、足を挙げ血圧測定。顔と唇の色が悪いねと、周りの人が話している。「インシデントかもね」と主治医の先生が口走りながらどこかへ。頭を打ったのでCTの予約をしてくれているようだ。
状態が戻るまではしばらく1人で横になっていた。
(脳内出血でもしていたらどうしよう。副鼻腔炎どころじゃなくなるんじゃ。そうなったら手術ももっと大掛かりになって、普通の生活に戻れるのももっと時間がかかるよな。会いたい人、いっぱいいるんだけど。待ってよ。)
入院・手術でそもそものメンタルが谷底あたりに落ちてしまっていた私は、ものの5分程でさらに地面に埋まってしまうのではないか、と思うくらいネガティブ思考全開になった。涙が止まらなくなり、情けなくずびずびと鼻をすする。
CTの準備ができたようで、車椅子で撮影場所まで誘導される。車椅子の右のフットレストがえらい方向に曲がっており、やっと足が乗るくらいだった。さっきまで泣いていた私でも、冷静に気になった。また、車椅子を押してくれているスピード、声を後ろから掛けられる感覚、エレベーターに乗り込む向きなどを冷静に感じ取る自分がいることに少し驚いた。
CT撮影の結果、脳に問題はなく、残ったのはたんこぶだけだった。点滴は明日改めましょう、と先生より。
そんなこんなで、先行き不安な入院生活がスタートした。
②へ続く。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?