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【エッセイ】大黒堂の思い出

 先日銀座を徘徊する機会が有った。西日が優しく街を照らしていた。うら若き淑女が俺を追い越して通り過ぎた。これから高級クラブにでも向かうのだろうか。ふと空を見やると「ぢ」の文字が目に入った。ヒサヤ大黒堂の看板だ。赤くねちっこいそのフォントを目にしたとき、俺は反射的に親父のことを思い出していた。

大黒堂

 俺の親父は学生時代スポーツマンだったらしい。野球、バレー、空手などのサークル活動に精を出し、良く飲み良く食べる若人だった。
 就職後は良く飲み良く食べる習慣だけが残り、結果順調に肥え優に100キロを超えた。また親父はかなり地黒であり、髪質はきつくカールした天然パーマだった。
 職場でのあだ名はアミン。ウガンダの人喰い大統領イディ・アミンに激似だったからだ。また親父は服装に無頓着であり、頑丈だという理由だけで蛍光イエローのスウェットと色付きのティアドロップ型度付き眼鏡を愛用しており、結果的にファンキーめな黒人といった出で立ちで街を徘徊していることが常態化していた。

イディ・アミン氏

 そういえばあれは小学2年の頃だったろうか。親父はたまに俺をキャッチボールに誘った。当時親父は俺を野球選手にしたかったようだ。その日はフライやライナー等の捕球対応を鍛える為か、様々な角度、速さの球を俺に対して投げた。俺は駄犬の如く白球にむしゃぶりつき、親父と泥まみれのラリーを続けた。
 強い球が俺の手元でイレギュラーなバウンドをし、後ろにそれた。振り返ると近所の餓鬼連中も何故か練習に加わろうとしており、腰を落として捕球体勢を取っていた。親父はその様子を一瞥しゆっくりとうなずくと、彼らにも鋭い球を投げつけた。
 練習後、餓鬼連中は口々にセンキュー、センキューと親父に声を掛け、なぜかサインをねだる奴もいた。どうやら親父のことをパリーグあたりの助っ人外人と勘違いしていたらしい

 話がそれた。その後も元気に鯨飲馬食を続けた親父だが、ある時尻に突き抜けるような痛みを感じた。仕事が立て込み寝不足な日々が続いていたという。脈を打つ毎に肛門に鋭い痛みが走った。親父は尻の両頬に力を込め肛門をぎゅっとすぼませた。本能的な行動だった。親父は目をつぶり耐え難きを耐えた。
怖かった。この先どうなっちゃうのかと思って
 親父はハンカチを噛みしめ太ももをつねり、脈拍と共に迫りくる悪魔を祓った。力をこめる為両脚をピンと伸ばし、下半身の筋肉全てを使い肛門をすぼめた。
「すぐに理解できた。これが痔なんだと」
 しかし親父は九死に一生を得る事となる。痔の発作が起きたのは有楽町だったのだ。親父は血相を変えてヒサヤ大黒堂銀座店へ飛び込んだ。

 親父は大黒堂で軟膏を入手するやいなや自宅に戻った。平日の昼下がりに何が起きたのかと困惑するお袋を横目に便所に直行し、患部に塗りたくった。しかしどうにも効いている気がしない。それもそのはずであり、親父の痔のタイプは外側では無く、内側のもっと奥の方で起きていたのだ。ブルーハーツ風に言えば、『答えはきっと奥の方。ア〇ルのずっと奥の方。涙はそこからやってくる。ア〇ルのずっと奥の方』と言うことになる。
 胡麻油をかぶったような脂汗を浮かべ便所から出てきた親父にお袋は声をかけた。
「あなた、どうしたの」
 訝しがるお袋の前で、親父はごろんと横になり、両脚をM字に上げて言ったと言う。
ちょっと指入れて内側に塗って貰える?
 お袋はその光景を見て絶句したと言うが、その後の対応は我が家の語り草となっている。お袋は三つ指をつき次のように言った。
「私は確かにあなたと結婚をしました。しかしそれは、あなたの肛門に指を入れることとは別の問題です
 昭和封建的な家族制度が支配していた我が家に、ジェンダーフリーの爽やかな風が吹いた瞬間だった。上野千鶴子先生、下半身を露出しながら茫然と床で固まる父を笑ってやってください

 さて、そんな日々から数年後のこと。喉元過ぎれば熱さを忘れた親父は、ろくに医者に掛かることもなく激務と不摂生を続けていた。ある日、未だかつて体験したことの無いほどの強い感覚が肛門を急襲した。「痛い」という形容詞では適切に表現出来ないほどの強い「なにか」であったという。
あっ。そういうことか、と思った
 親父の脳内には、焼夷弾の雨に向かい竹槍を力いっぱい突き上げる己のイメージが浮かび上がったと言う。到底軟膏では太刀打ち出来ない世界がそこにはあった。親父は素直に肛門科を受診することとなる。

 その日の夜のこと。俺が帰宅すると母親が何やら紙を見せてきた。
「これお父さんの肛門科のカルテ」
 カルテには簡易的に肛門を模した絵が書いており、複数のバツ印が記載されていた。
「このバツ印ってまさか・・・」
「そう。痔だって」
 驚くべきことに親父は肛門に7箇所もの痔を保有していたのだ。
「論文で紹介したいくらいだって先生が言ってたみたい」
 俺は唖然としつつ肛門模式図を眺めていたが、ふと奇妙な既視感を感じていた。はて、この形を見たのは一体どこだったか。試しに俺はバツ印を線で結び驚愕した。

 そこには北斗七星が燦然と浮かび上がっていた。

 なんと汚いケンシロウなのだろう。親父は既に死んでいるようにソファに横たわっていた。こんな世紀末ヒーローは一刻も早く打ち切られろと当時は思ったものだが、痛みに耐えつつ仕事に励み子供3人を育て上げたのだから大したものである。

 大黒堂の看板を見ると、そのようなことを思い出すのだった。


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