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【エッセイ】爺さんが失踪し妹と絶縁した話 その1 

 M山さんは俺が社会人になってから知り合った友人である。ぽっちゃり体系につぶらな瞳を持ち、物腰は柔らかい。一方で体毛は濃く、前頭部は枯葉剤が散布されたような有様になっており、彼の体内で分泌されているテストステロンの荒ぶりを感じずには居られない
 
 聞けば二十歳前後から頭髪は抜け始め、風呂場の排水口には大きめの毛玉がしばしば発生したと言う。
 ある日M山さんが入浴後、毛玉掃除を忘れたことがあった。その後に当時同居していた認知症の爺さんが入ったのだが、なかなか爺さんが風呂から上がらないので、まさかぶっ倒れたのかと心配しガラス戸を開けた所、爺さんは毛玉を掌に乗せ愛おしそうに撫でていたと言うイタチが住み着いていると勘違いしていたらしい

 そんなM山さんには10歳離れた妹がいた。彼女は水泳の才能があり、県の強化指定選手に選ばれ日夜練習に励んでいた。両親も全面的に協力し、妹の活動を後押ししていた。当時M山さんは24歳。妹は14歳の夏のことである。
 しかしながらM山さんには不満な事があった。どうも妹は最近自分を避けている様子なのである。話掛けても溜息を吐いて自室に引っ込んでしまう。「洗濯物を兄とは分けて欲しい」と母に猛抗議していた事もあった。つい数年前、妹が小学生だった頃はそんな事は無かった。どちらかと言うと仲は良い方だと言う自負が有った。 
 しかしそれは無理からぬことなのかも知れないと、M山さんは鏡を眺めるにつけ思った。
 頭髪は抜け落ち、腹にはたっぷりと贅肉を蓄え、肌は異様に白い。ゴーストバスターズに出てくるマシュマロ男にツチブタの遺伝子を無理やり組み込んだ様な姿を見る度に深いため息を吐くのだった。また外見だけならまだしも、就職に失敗したものだから四六時中自室に居りゲーム三昧。それと並行しマグマの如く湧き上がる肉欲
 つくづく自分が嫌になるものの、なかなか負の輪廻から抜け出せなかったと言う。

「そうなんです。僕って実は、ガチ目の引き篭もりだったんです
 M山さんは今笑顔で語る。しかしそのつぶらな瞳の奥には、あの日ビー玉越しに見た夕暮れ空の様な寂しげな光が宿っており、未だ彼が恢復の道の上にいる事は明白なのである。


 そんなある日の事だった。
朝起きたら爺さんが部屋から居なくなっていたんです
 M山さんは語る。
「爺さんはいつもなら5時には起きて、庭で自己流の体操をしていました。日課だったんです。その日はいつまでも起きてこないのを母親が不審がって、午前7時頃に爺さんの部屋の扉を開けたと聞きました」
 母親が入り確認した所、爺さんの部屋はもぬけの空となっていた。
「丁度僕は寝てたんですが、母親が血相変えて僕の部屋にやって来まして、爺さんが失踪したことを知ったんです」
 母親は彼に、前日に何か変わったことは無かったかと問うた。というのは前日は平日であり、両親は仕事、妹は通学中で家にいたのはM山さんと爺さんだけだったのだ。
「変わったこと・・・」
 M山さんは昨日一日を振り返り、思わず「あっ」と甲高い声を上げた。

 
 M山さんの情欲が著しく高まっていたことは既に述べた。彼はその劣情を発散させるべく、自室にてある孤独な行為にふけっていた。密閉型ヘッドフォンを装着し、PCのディスプレイを凝視し、圧倒的な没入感の中その快楽を貪った。ふと何か気配を感じ振り返った所、部屋の隅で博物館に展示されている弥生人の様に直立する爺さんとばっちり目が合った。M山さんは仰天し、ぎくしゃくと下着をたくし上げた。

「爺ちゃん、何してんだよ!出て行けよ」
 爺さんはM山さんを不思議そうに見つめていたと言う。
「早く出て行けよ!」
「・・・ウナ、ナニシテアンダア(お前何してんだ)」
「爺ちゃんに関係ないだろ、頼むから出て行ってくれよ」
「・・・ウナ、ナニチョシテンダア(お前何触ってんだ)」
「・・・」
「・・・ウナ、ナニチョシテンダデ(お前何触ってんだって)」
「・・・何ってほら、イ、イタチだよ
 M山さんは何故か咄嗟にその様に答えた。爺さんは虚ろな表情をちょっとかしげると、部屋から無言で立ち去ったらしい・・・。

 
 まさか昨日のあの出来事が関係しているのだろうか。そして、その話を母に伝えるべきなのだろうか。冷静に考えれば、孫の自慰行為を目撃した結果なぜ失踪を決断するのか意味は不明なのだが、風が吹けば桶屋が儲かる的な形でロジックが連鎖的に繋がっていく懸念もあり、とりあえず母親には昨日急に爺さんが部屋に入ってきた、とだけは伝えることにした。

 その後両親は警察に行くと言い残し家を出たのだが、30分後に母親から電話があった。内容としては、今日は妹の重要な水泳大会が開催される予定で、当初荷物を会場に届ける予定だったが、爺さんの捜索の為自分達は行けない。
 ついては会場まで荷物を持っていってくれないか。荷物は居間に置いてある。とのことだった。

 久しぶりの外出に不安はあったものの、M山さんはすぐに決心した。愛する妹の為、再び下界に降り立つことを

 その2に続く。


#創作大賞2024 #エッセイ部門

 

 


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