「複雑」の問題
僕がカレーを作るために、玉ねぎの皮をむいて「包丁」を使ってみじん切りをしたとします。
このとき僕は「包丁」で自分の指を切ってしまいました。
「包丁を扱うときは気をつけないといけないね」
と言われると思います。
僕が大量のカレーを作るために、大量の玉ねぎの皮をむいて、みじん切りをしなければならなくなったときに、一つひとつを手作業でやるのが面倒臭くなったので、「全自動玉ねぎみじん切り機」を購入したとします。
このとき僕は「全自動玉ねぎみじん切り機」のメンテナンスをしていたときに自分の指を切ってしまいました。
「包丁」のときと同じように「気をつけないとね」だけで済むでしょうか?
「全自動玉ねぎみじん切り機」に問題があったかもしれないと考える人がいると思います。
他にも「全自動玉ねぎみじん切り機」で怪我をした人がたくさんいた場合、そう考える人はかなり多くなると思います。
「包丁」で指を切る人がたくさんいても「包丁」に問題があるとは考えないのに。
これは「包丁」が「単純」なもので、「全自動玉ねぎみじん切り機」が「複雑」なものだからです。
「複雑」なものだと、作った人の責任を追及します。
この「複雑」の問題は非常に難しいです。
「単純」「複雑」の線引きができない(人による)ことと、「複雑」になればなるほど、それによって起こる問題を事前に予測することができず、問題が発生することを防げない(問題が発生してからでないと対処できない)ことは永遠に解決しないからです。
なかには、「複雑」なものをすべて捨てて生きろ、という人もいますが、それは実現可能性がほとんどないので考えないことにします。
「複雑」なものを使った者が全て悪いとしてしまう、いわゆる自己責任が強すぎると問題の解決自体が難しくなります。
「複雑」なものを作った者が全て悪いとしてしまうと、「複雑」なものを作ろうとしなくなってしまいます。
「複雑」の問題に対して、僕たちがどのように対処していけばいいのかは、考え続ける必要がありますね。
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