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超難関国家資格 応用情報処理技術者試験 合格に4年かかった話

クリスマスに独りでイタ飯屋で酒飲みながら書きました。

1. 資格試験受験の経緯


2016年、都内大学院に通っていた小生は某IT企業に就職が決まった。主に通信業界のシステムを請け負う会社である。給料も高くないし大企業でもない。
IT業界は当時の研究内容とは全く関係ないと言える。(研究で少しコードを書いていたが特に仕事に役立った試しはない)そして特段ITに興味もない。研究内容が就職後直接役に立つ訳でもない専門の場合、就職先がコンサルやIT業界に限られ、成り行きで今の会社に入ることになった。

システム開発の会社に入ったからにはある程度ITの知識を仕入れなければならない。実際就職先ではITに関する資格取得を推奨している。

そこで、修士2年11月頃修士論文をほぼ書き終えた小生は基本情報処理技術者試験の勉強を始めることにした。


2. 基本情報処理技術者試験

修士論文の仕上げと並行しつつ、基本情報処理技術者試験の勉強を始めた。そもそもITに対する興味を持っていなかったため、ベースの知識はゼロ。修士論文パブリッシュの準備と並行しつつ知識習得に勤しんだ。正直「ブラウザ」という言葉も知らなかったと記憶している。

社会人1年目の4月。基本情報処理技術者試験を受験。そこそこ自信はあった。
合格発表日、愕然。
午後の点数が異常に低い。まるで1問目しか解答してないような…
そう、1問目しか採点されなかったのである。選択問題をどれにしたか書き忘れてしまったから。かくして1回目の情報処理技術者試験は酷い成績に終わった。
次回の試験で気をつけたこと?選択問題のマークに決まっておるだろ!その年の10月の試験でなんなく合格した。これで勉強開始して1年経過。

3. 応用情報処理技術者試験

社会人2年目の4月、次なるステップとして応用情報処理技術者試験を受験した。毎朝1時間早く会社に行って勉強したが、この時は午後試験の点数が僅かに足りず不合格となってしまった。この不合格を知ったのはなんと病院の無菌室の中である。

合格発表の1か月程前に急性リンパ性白血病を発症し、絶賛治療中だったのである。この治療が長引き、その年の10月、更には翌年の4月の再受験を逃してしまった。
これで情報処理の勉強を始めて2年半が経過。治療中にどんどん忘れていく。あの時あと1問正解していれば…治療中何度も思ったが落ちたものは仕方あるまい。

壮絶な治療を乗り越え、退院して2ヶ月後、体調も万全ではない中2019年10月再受験。この時既に情報処理の勉強を始めて3年が経過していた。結果は…不合格。またしても当落選上近くで落ちてしまったのだ。当落選上に乗る天才かもしれない。しょーもねぇと腐りつつ、やる気が出ないまま翌年4月の受験に備えた。

しかし残念ながら、この回の受験も叶わなかったのである。新型コロナウイルスである。試験の開催自体が休止となってしまった。非常に残念に思ったが、この発表の1ヶ月くらい前からどうせ中止だろうと完全にやる気をなくしていた。

それから半年。2020年10月。感染対策を万全に整え応用情報処理技術者試験は開催された。だだっ広い幕張メッセでの受験である。なるほど、これ程距離を取れば感染のリスクを抑えることが出来る。

受験時、選択問題を途中で変更するなど当初立てていたプラン通り回答を進められず、あわや万事休すと思いながら短い時間の中で酷く汚い字で解答を書きなぐった。
受験後帰宅。問題冊子を眺めていると、まずいことが書かれていた。
「乱雑な字は採点しない。」
どうしよどうしよと、思いながら2ヶ月間合格発表を待った。

情報処理の勉強を始めて4年。
ようやくである。ようやく、応用情報処理技術者試験合格にこぎつけた。

受験すればするほど、こういった勉強が嫌いになり自己肯定感が薄れて言った気がする。これを読んでる諸君は4年もかけちゃダメだぞ☆






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