七草にちかを幸せにすること
はじめに
この記事はそもそも飛行機に乗ってる時間が暇だったので、私がにちかを担当しようと思い至るまでを整理しとこうと思い書き出したメモ書きです。
七草にちかのコミュのネタバレが多分に含まれますので、見たくない方は見ないようにしていただければと思います。話題の提起になればくらいで公開します。
0.
プロデューサーは言った
「にちかは幸せになるんだ」
「俺に、そのための仕事をさせてくれ」
にちかに幸せになってほしい、プロデューサーのにちかを幸せにしたいという想いには多くのプレイヤーが共感できたと思うし、そのモチベーションをもとに七草にちかを担当しようと決意したプロデューサーも大勢いるように感じる。
1.違和感
自分の場合どう感じてたかって話をしたいと思う。
前提として、私はにちかに対して好意を抱いた上で、幸せになって欲しいと願ったうちの一人だと言っておく。
W.I.N.G.編における七草にちかのシナリオにおいて、にちかのすぐ後に実装された緋田美琴のシナリオとあまりに対照的なプロデューサーの態度も相まって、自分は大きな違和感を感じていた。
七草にちかに対してプロデューサーは特別な才能を感じていないこと、そのためW.I.N.G.をにちかが勝ち進むことに対して大きく期待していないし、練習するにちかに対してあまり肯定的な反応を示さない。
自分がプロデュースをしている時に、お前はもっと期待してあげろよ、やり方が間違ってると思うならしっかり修正してやれよ、など考えながらにちかの初プロデュースを行い、煮え切らなく悶々としたまま何となくW.I.N.G.に優勝してしまって、その後の社長の過去話とか様々な情報の波に流されて、プロデューサーに対する違和感や、シナリオ展開があまりに他と違うことへの違和感、そういったものを消化不良にしたままプロデュースが終了、残ったのは天井努に対する怒りの感情であった。
その後、改めて七草にちかの情報を整理して、にちかについて、特ににちかの幸せってなんだろう?って考えていた。
七草にちかの人物像から整理しよう。
七草にちかは283プロの事務員である七草はづきの妹で、もちろん同じ家で暮らしている。
それは父親が社長の旧友で既に亡くなっていて、母子家庭の育ちということでもある。
それを踏まえてプロデューサーに対するにちかの言動に着目すると、とても父性に飢えた子どもなのが伝わってくる。
悪態を突くことに寄った態度を取るのは、プロデューサーの立場や彼の態度ってすごくちょうど良く、やつ当たりがしやすいのだろう。長年家庭を守ってきた母、家計を助けるために体力の限界まで仕事を掛け持ちしながらマルチになんでもこなしてしまう優秀な姉、そんな中平凡な子だと言われてしまう自分がいたわけだから劣等感や罪悪感が勝手に膨らんでしまうのではないか?そんなストレスの矛先を忙しく頑張ってくれてる家族に向けるなんて出来るわけがない。感謝してないわけがないもんね。父親がいれば両親のどちらかに向かうはずだったものなんだろうけど。
その背景を踏まえてにちかの幸せってなんだろうって考えた時、アイドル活動の先というよりも、家庭の側にあるのではと思ってしまったのだ。わざわざプロデューサーすら才能が無いと思ってるアイドル活動に笑えなくなるくらい苦しみながらしがみつくことって、にちかが今後幸せになることに繋がるの?そのための"仕事"をさせてくれと言ったけど、自分の仕事はアイドルのプロデュースで、仕事の中でにちかが幸せになることって本当にあるの?って思ってしまい、そこが七草にちかシナリオに対する最大の違和感として自分の中で残ってしまった。
2.家
七草にちかのプロデュースカード「まっクろはムウサぎ」のTrueEndコミュ「家」で語られる内容。にちかは家族のための家を建てたい、そんな目標がある。そういう話をプロデューサーにしてくれる。
ここで確信したことがある、にちかにとって家族はかけがえのない大切な存在であって、家庭は幸せの象徴であるということ。
現在の七草家は母は病院(入院してるのかな?)にいて、姉は掛け持ちのバイトで忙しい、控えめに言っても円満な家庭とは程遠いのである。
そんな環境で過ごして来たこともあって、一般家庭の子供が当たり前に行えているであろう家族との関わり方が出来ていないのだろう。
七草にちかのプロデュースカード「ヴぇりべりいかシたサマー」のアイドルコミュ「原石的なものですよ」の中で300円くらいのアクセサリーのついた食玩に目を輝かせている描写などからも、そういったにちかの家庭環境を窺い知ることができる。
にちかが日常生活の中で無意識にして来た我慢などから、当たり前にみんなが家に帰ってくる家族に憧れを持って、家族のための家を建てたいと願ったのであれば、七草にちかの幸せというのは、その夢を叶えた先の家族とともに過ごす家庭の中にあるのではないかという気がしてならないのだ。
そしてその幸せとアイドルとして大成することの是非は関係ないようにも思う、アイドル活動の先にしかにちかの幸せが無いわけではないのなら、アイドルにこだわる必要がないし、それどころか苦しむことになるくらいならアイドルをやらない方が良いまであるのでは?とすら感じてしまい、七草にちかのアイドル活動に対して前向きに捉えることができていなかった。それこそ桜庭薫のように、その夢のために金が欲しいからアイドルをやっているなら話は別なのだが。
3.アイドルになること
七草にちかは「八雲なみ」という過去に引退したアイドルに強い憧れを持っていて、いつしか彼女のようなアイドルになりたいと願いを抱くようになり、283プロの門を叩くことになる。
その時のプロデューサーの反応は、特別な才能を感じない、平凡な子であるといったものであまり良い感触を持っていなかった。
そしてにちかは優秀な姉や相方の緋田美琴の存在もあり、自身が平凡なことに強い劣等感を持っている。また家庭環境のこともあり自身の欲求を無意識に我慢する傾向もあり、あらゆる会話の中で今日に至るまで様々な諦めと共に過ごして来たのだろうなと悟れてしまう。にちかの歴史は諦めと我慢の歴史なのではないか?そんな風に感じてしまった。
そんなにちかが反対されつつも、かなり強引な方法でプロデューサーと姉からアイドル活動の許可をもぎ取ることになる。これにはかなり大きな意味がある。
「アイドルになること」が、諦めること、我慢することが当たり前だったにちかが周囲に反対されてもなお、願って止まない夢だったということなのだ。
4.にちかの幸せ
苦しむくらいならと、仮にアイドルを辞めたとして、将来的には家族のための家を建てることも、円満な家庭築くことも出来る道はあるはずだ。
しかし、たかが300円の食玩一つでも胸にしこりは残るのだ。
諦めることも我慢することも出来ず、周囲の反対を押し切ってまで貫き通した、にちかの「アイドルになること」という過去のそれと比べるほどもない大きな夢を諦めた先に、形の上で幸せを手にしたとしても諦めと我慢の歴史の中に大きく刻まれてしまう、それで心の底から幸せだと胸を張れるのか?
この大きな諦めの先に七草にちかの幸せはあり得ないのだ。
にちかが幸せになるための仕事をする、その責任を負わせて欲しい、将来、にちかが家族に自分が「幸せ」だと胸を張れるように。
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