うなぎ釣行記@関東河川#2 前夜
突然ですが、うなぎ、なまず、どじょうやフグって、なんかものすごく和を感じちゃう存在じゃありません?!。。。
絵に画けば、白と黒で表現できるというのが墨絵っぽいというか、複雑で精緻な技巧はなくても、只の丸だったり線だったりシンプルなのに、すごい完成された存在感があるというか。。
意味があるように感じざるを得ない存在感。たはぁ~
よく、寿司屋やうなぎ屋の看板で、”川”という字や平仮名の”う”の字にも、うなぎが隠れていたりして、えも言われぬ日本人としての安心感と、ザ富士山と並ぶ、日本的な潔い清清した美しさを感じたりしています。
日本というかザ江戸というかw
さて、前置きが長いのが、デフォルトの私ですが、最近の私が最も熱中しているものの一つに、”釣り”があります。
釣りの中でも、ことウナギ釣りに関しては、仕事が忙しくなければ、週一で関東各地、釣り場を求め、でかいウナギが釣れることを願いながら、バイクで移動する週末を過ごしています。
釣りは、幼いころ父に教わり、父母の実家が静岡や茨城で海が近い環境にあり、よく釣りをしていました。大学浪人頃までは、時々友人と海に対象魚も決めず釣りに行く程度で、社会人になってからはそんなに行く機会がなかったのですが、コロナ渦で、キャンプが流行り出し、釣りもブームになって、
道具を揃え出したら、やがて深い沼に落ちていくのでした。。。
幼い頃にやっていた習い事や遊び、褒められた経験のあることってのは、案外大人になってから、再び始めてしまうと、当時は嫌々やっていて気にもしていなかった新たな発見とかがあって、妙にはまることがあるので注意です!(自分にとっては、水泳も釣りも正にそうでした。これが幼い頃であれば、今頃は違う人生を歩んでいたかもしれませんw)
ほんと、やる気スイッチとか、主体性とか、自分で気づくことって大事!
釣りは、なんだか強烈に僕の心をつかんで離しません。
前述のコロナ渦中、家の中で一日中スマホを眺めてばかりいる家族を尻目に、街角で前も見ず横を通り過ぎる下方に目を落としたゾンビの大群を避けつつ、スマホや、他人の意識や様々な情報で溢れるSNSに極力触らないよう影響を受けぬよう疫病のように避け、世の流れとは逆に!を合言葉に、遮断された感性に従って、これらが例え現代生活に不可欠なツールであっても、その存在を全く意識せずに、ただボ~っとする時間であったり、何かに本能的に熱中してしまう時間を作ろうと思っていたら、益々釣りに深々と傾倒していく流れとなりました。
正に、”書を捨てよ町に出よう” ならぬ、”スマホを捨てよ釣りに行こう”といった感じ。(本は捨てない方が良いとおもふ)
★スマホに奪われる自分の時間を取り戻す。(スマホは時間泥棒だよ!)
★残された時間があとどの位あるかわからないが、生きている手応えを自然に求めたい。(別に大病にかかっている訳ではありません。葉隠れ的な)
★情熱とは自らの興奮を誠実に信じ切る勇気である。
★あるモノで戦え!
★it's good day to die!
(ダスティンホフマンが出てたインディアンの映画からw)
★たばこは、まだやめない(これまでは、たばこはやめないでした^^;)
★海岸は松林だったりすることが多く、夜、波音に耳を傾け、ただ月を眺め竿を振っていると、自分があたかも丁髷(ちょんまげ)した武士の気持ちになったりしたりするんです。嗚呼!
★あんちゃんのつらを見ろ!
(ベロ出しちょんまより。脱線し出しました:;)
E加減に、自分のやりたいことをやりたいように深めたい。年を経ても子どもの頃のように無心で遊びたい。命の危険がない程度に(宮澤賢治の熊の話ほど重くありません)、ただただ冒険をしたい。そんな大人のファンタジー釣行記を綴っていきたいと思います。お楽しみにぃ ~続く~
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