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バランスのよさ

は、多くの場面で求められている。必要なときに必要な分だけ、そのさじ加減がうまい人ほど大成しているように思う。逆に極端にいきすぎたり、極度に怯えて動けない姿は、往々にして「できない奴」の烙印が押されている。

わたしは両手を上げる勢いで、後者のタイプの人間だ。そのくせプライドが高いばかりに、「失敗したくない」「のたうち回るような真似はしたくない」と凍りついてしまう感覚がしばしばある。同時に、何回も脳内再生される、「大丈夫。そもそも私のことは、誰もみてないから」。

バランスがとれるのは、それだけのセンス(感覚)が身につくほど、何度も何度も鍛錬している(その分も失敗も成功もする、つまり動きつづけている)からだ、と頭では分かっている。けれど、自らを過信してものぐさに過ごしてしまう。『凪のお暇』という漫画の中で、主人公が「自分はわかったふりばかりしてきた」と内省するシーンがあったけれど、きっとそれに近い。

私は「わかっている」と思い込んでいる。心中でなんとなく納得できていればそれは「わかったこと」にしてしまっている。このままではいけない、という気持ちだけ。気持ちだけが焦る。そこに行動が伴うことはない。いつまでたっても動かなくて大丈夫な理由を、保守的にいられる理由を探している。

わかってる、これをすると嫌われることがある。
わかってる、きっとこうやって動けるひとは成功する。
わかってる、成功している人は、成功とか失敗とか考えてない。
わかってる、こうやって文字に起せば私は自分が見えている気持ちになれる。

20代の半分が過ぎようとしている。このままでいいのか。このままでいいのかと嘆くことに満足してるんじゃないか。いつか熱中できる何かに私は出会えていないだけなのだと言い訳してないのか。

やる、って決めるか、決めないかだけです。

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