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社会の歯車になって1年
なんとなく生きてきたからこそ、
なんとなくしたいことをしてきて、
なんとなく毒を吐いてみたりして、
そんな日々が続いていたのかなと。
深夜に酔っ払いながらnoteを徐に書きだすことも減った365日。久しぶりにちゃんと自分のことを考える時間をつくりたいと思い、投稿ページを開きました。大学を卒業して、モラトリアムから離れて1年が経った今。私はどこに立っているのか。どんな時間を過ごしてきたのか。
こ
冬のにいがた備忘録 #1
ギリギリまで終わらないと思っていた仕事。なんとか赦されるくらいには処理をして、恵比寿のスカイウォークを小走りで駆け抜ける。まだ、バックパックが済んでいない。でも今すぐにでも東京から旅立たないと、惨めに過ごす誕生日を迎えることとなる。
2回目の「これ」だ。人と長い時間を共にすることには、本当に不慣れな人なのだなと嫌気がさす。そして、3分後には開き直っている。4年ほど前から変わらない。昔から変わらな
なめられたくないんです!が前面に出る生。こわいも、つらいも、くるしいも、なにもかも振りほどいて。こちらを見てくれない人がいれば、「まぁ、違う世界で生きてるみたいなんで。そっちはそっちで好きにやってくれ」のスタンス。嫌な顔されたら、すかしてみる。だっせぇ~。でも、ここからうごけん~
『九龍ジェネリックロマンス』「なつかしいって感情は、恋と同じだと思ってる」という台詞。ほんとうにえらい喪失感をかんじた。けっきょくイデア?過去にふれたものを再生産したがってるだけ?これまでのことをいつくしむっていう見方もできるんで、すてきっちゃすてきなんですけどね、はぁ。
言葉が全てを説明できるわけがないのに、なんらかの現象を記録にする道具として往々に用いられるのよね。
反対に言葉で表現するからこそ噛み締められるモノもあるけど、やっぱり語ることは難しいし、不自由だなと思います。