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愛を探して

Beloved♡さん

こんにちは!魔タリカ741歳魂のR指定です。

先週は長野県白馬のタオベーシックコースから帰宅して、そのまま洗濯機の中のような仕事の渦に巻き込まれていました!
ちょっとPCの前を離れると、後が大変です。これは本気でなんとかせねば
身が持たないわ。


「心豊かな暇人」のためのタオの学校では、3名の新たなアソシエイトインストラクターの認定試験が行われました。一度見たり聞いたりしただけでは全然わからないけど、二度三度と重ねて参加していくうちに、深く魂に染み込んでいっての認定ですが、ここからが本当の旅の始まります。


特にタオのセクシャルプラクティスは、「性の学び」なんて聞いたけで、普通の人々の頭の中はイケナイ妄想でいっぱいになるので、真意は伝わりにくいものです。

タオの性のプラクティスというのは、幸せになるための方法論であり、心身ともに健康でいるための知恵の数々ですが、それに取り組むほどに、愛について向き合わざるを得なくなります。

なぜ人は愛し合うのか?動物のように盛りがついた時だけでなく、人間は常に発情していますよね。じゃあ、愛って、セックスって、なんなの?

ギリシャ哲学において、愛はいくつかの形に分類されています。

エロス(eros)男女の間の恋愛

フィリア(philia)友人の間の友愛

ストルゲー(storge)親子や兄弟の間の家族愛

アガペー(agape)神が人間を愛する無限、無償の愛

複雑怪奇な愛を考える土台として、この分類はわかりやすいですが、男女間の恋愛プロセスだと考えると、よりシンプルでわかりやすくないですか?

出会ってすぐは目眩くエロスの愛で、結婚してしばらくするとフィリアの愛になり、やがて子供ができたりすると、夫でもストルゲーの親子愛や家族愛に発展していくケース、セックスレスのループはこんなふうに穏やかに始まることもありますよね。

エロスの愛は一番低い、肉欲、本能、はたまたホルモンのイタズラ的な下等な愛だとどこかで感じていたり、セックスがなければ寂しく感じることもあります。セックスレスは痛く自尊心を傷つけますが、愛のないセックスもまた同じですよね。だったら面倒だから全部やめとこう、友達でいるのが一番!なんてね。うちなる闇に触れるのは、誰だって怖いものです。

本能は、私たち人間の意識の及ぶところではないように感じます。ギリシャ哲学の愛は、その有限で不完全で、闇を抱えた存在である人間が、自らの努力と修練によって、神のような完全な存在へと上昇していこうとする登り道の愛、上昇の愛、それがエロスの本質だと言われています。

肉欲の中に神への可能性が宿っていて、人はその光を求めているのだとしたら、神への探究はセックスの中にこそあるのかもしれません。タオの射精コントロールと膣トレというのは、その意識の及ばない暗闇に光を灯すもので、一生をかけてプラクティスしていくものです。

焦らず腐らずw 時間をかけて登っていく、愛の道なのです。

Love♡

Tarika

2021 / 11 / 10 発行メルマガ

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