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愛し合おう、男も女も

こんにちは!魔タリカ 766歳 、魂のR指定、
本日大幅に年齢を更新しました!ここまで来れば、なかなかアッパレ
じゃないですかw

3日ほど前に、お気に入りの京都の山奥からシャバに戻ってまいりました。
最近定宿になっている京都の旅館は、若い大将と女将が取り仕切っています。その庭先にある小さな祠の中に、会社名とともに
「災難からのがれ、ご無事とご繁盛を祈念します」
と書いた紙が必ずお供えされています。

ワークショップ中もほとんどお宿の方にお会いすることがなく、
いい距離感で放置してくれるんですが、そこここに細やかなお心遣いを
感じて、毎回感動してしまいます。
最近京都の懐奥深く入る機会が増えて、あまりにさりげなく、でも手厚く
迎えてくださることに、これが日本の心なんだわ!と感動します。

今回の京都は、今年に入ってからスタートしたタオメディスンスクールの
仕上げリトリートでした。
ずっとオンラインで温め続けてきた場のリアルバージョンで、今回は意図せずも女性だけで、女神の集いが復活したかのようでした。
同性だけのグループでは、シェアが自然と活発に起こり、誰もが自分と正直に向き合い、深みに向かって流れていきます。

異性との混合グループでは、なかなかこうは行かないのを各所で目撃していますが、私のグループでも、正直に告白すれば例外ではありません。
異性が入ると、途端に人の目に自分がどう映るのかが気になってしかたなくなります。まぁ、孔雀のようにして(どんな生き物でも)異性へのアプローチはあって然るべきですが、見た目の好みとDNAの相性とか、ホルモンのバランスやフェロモンの具合などが、そこに関与しているのは間違いなく、生物としての自然な反応だとも言えます。

最近ではそこに、ソウルメイトとかツインソウル、運命の出会いとか、神の采配とか、神秘的な物語を織り込みます。そこに宇宙と溶け合うエクスタシーを感じるセックスがあれば、申し分なしですねw

一昔前、神との合一のエクスタシーは教会の中、神社仏閣の中で、神官や神主さんや僧侶などの聖職者を通して起こるものでした。
そのもうふた昔ほど前、神との合一を担当していたのは女神でした。
だから女性器は、神の世界への入り口として崇拝されたのです。
今では(多分)多くの人が、男女ともに人間の身体こそが神への入り口ではないかと思い始めていると思います(という希望)。
ある意味、今では宗教と神を失った人間は、パートナーの中に神が与えてくれる全てのものを求めているのかもしれません。

続き…….神はいつ降りてくるのか?

全てを理解し許してくれる慈悲、愛。常に自分を見守り導いてくれる無条件の愛、神との合一のエクスタシー。
そこに経済的安全と家族の愛、友情、車、家、地位、貯金があれば、こんな幸せなことはありません!
まぁ、少なめに見積もっても現代のパートナーシップは大変で、
人口減少もやむなしなのかもしれません。
神はいない!スピリチュアルなんかクソだ、というのはこの辺の感情のもつれから来ている可能性がありますよね。

世間で起きる「問題」の8〜9割は人間関係、コミュニケーション問題だそうですが、そのうちの半分以上は、パートナー間のものです。
人間関係の質が、人生の質そのものに影響するのは間違いありません。

ギリシャの時代あたりから、「セックスは家に持ち込まない」みたいなことが始まったかと思いますが、昔の人は一人のパートナーが全てを叶えてくれるという幻想はなかったのかもしれません。(だからと言って、不倫を奨励しているわけではありませんので悪しからずw)
ギリシャ時代の普通の主婦は、家から出られず、家事一般、炊事洗濯と子供を産むことだけが求められていたのですね。

今では女性は外でバリバリ働くことが奨励されているようではあるけれど、意識の奥底に残る古い時代の記憶の亡霊に、いまだに縛られているところもあるのかと思います。
女の幸せは、家でのんびり洗濯してご飯を作って、子供を産んで家族を守ることだ、みたいなね!それを持っていないことをどこかで負い目に感じ続けること、あるのだと思います。

洗濯物を畳んでいるうちに神が降りて降りてきて、望んでいた全てのものを授けてくれるはずはないのですが、過去の亡霊は私たちの人生に忍び寄って憑き物のように張り付いているようです。

この憑き物を落として、今この瞬間、期待と幻想を落として、目の前に存在するものをあるがままに受け容れること。それを可能にするのが瞑想です。

愛されるため、幸せになるためのHOW TOを追えば追うほどに、混乱の森の中で迷子になってしまいます。

人間こそが神への入り口ではありますが、決して完成されたものではありません。真の関係性、真のコミュニケーションを創っていくには、まずは自分自身との関係の正常化、そして自分自身と愚直に正直なコミュニケーションの探求に尽きると思います。

さて、私も次なる探究への心の準備を始めています。
真実しか私たちを癒してくれるものはないのだから、転ぼうが怪我しようが、幾つになろうがw その道をまっすぐ歩くことしか私にはできません。

Love♡

Tarika

2023/ 6月10日発行メルマガ


愛し合おう、男と女


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