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愛の修行は菩薩業

こんにちは!魔タリカ 741歳 、魂のR指定です!岩手県花巻のアナンガランガリトリートから帰ってきました。汗と涙と笑いが創り出す蒸気の中で、雪をも溶かすような熱いリトリートとなりました。

長年色々と、このセクシャルプラクティスについて書きまくってきたんですが、それでもやっぱり「何やるのか全然わかりません」と言われます。

まあ、ワークは安全に守秘義務が課された中でこそ花開くので、微に入り際に穿った内容までは、踏み込んで書くわけには行きません。例え毎回ワークで同じことをやっても、個々に全く違うフェーズを経験しているのだし。

にも関わらず、果敢に参加する方たちは、きっと怖いもの知らずのツワモノなんだって思うでしょ?だけど、彼ら、彼女らは、繊細で純粋な、子供のような好奇心を持って未知の世界を探求する素敵な人たちです。初めてのダイナミック瞑想に筋肉痛の悲鳴を上げつつ、地獄の底から大事な宝ものを拾って持ち帰ってくる、という意味においては美しき勇者だと言えます。

セクシャルプラクティスを純粋に行なっていくには、ぶれない軸を作ることが第1のプライオリティです。ちょっと性欲をもよおしたからって、すぐにその気になって鼻息荒げるようじゃダメなんです。自分の一番大切なものを守る勇気と純粋さ、なんであれハートの愛から行動できることこそが必要です。

身体で言ったら、性器は最も大切なものです。なのに、そんな話は恥ずかしくてできないとか、自分ではケアの仕方も知らず、他人の手になら委ねてもいい、なんておかしな話ですよね?「わたしのからだ、だいすき!」のリナちゃんは、その純粋さに気づかせてくれる、私たちのインナーチャイルドなんだと思うのです。

古代から伝わる霊的(スピリチュアル)修行の中で、睡眠欲、食欲、集団浴、性欲などの本能をコントロールすることが、最も困難です。高次の修行であるほどに、子供のように純粋無垢なスピリットと、十分に成熟した霊性(スピリチュアリティ)を育てていかなければなりません。それは、傷ついた大人としてのハートを癒して修復して、余分な計算やマインドを落としていくというプロセスです。

花巻からの帰り道、久しぶりの大切な友人たちに会いたくて、盛岡に立ち寄りました。そこには、小さなおしゃべりから導き出される偉大な真理が待っていました。「破綻が来ないように身を守っているより、自分から積極的に破綻を起こした方がいい。」

人生の災難や天災から身を守ろうとしたって無駄だよ、気がついたら家がないとか、命がないとか、自分じゃどうにもできない。だったら自分から積極的に破綻を起こせば、責任の取りようがある、ってことです。うん、本当に!いつも偉大な禅スティックをありがとう。

アナンガランガは、そういう意味では自ら積極的に起こす小さな破綻だと言えます。ここ一番、しっかり丹田にアクセスして、自分から起こした破綻に身を委ねること、それにまつわるマインドの計算を落としていくことです。

セクシャルプラクティスの神々(シバとシャクティやカーリー、帝釈天とか大黒天、弁財天や吉祥天)とともにあって、幸や不幸を思い煩う臆病なマインドを落とし、人生を「創り出す」ことに集中する時です。

これは愛の修行ですが、決して愛を多く得るためのものではありません。どれほど傷ついてもなお、ハートを開き続けるという菩薩業です。性のプラクティスとはそういうもので、ハートの言語を頭の理解(マインド)に翻訳するのはかなり困難です。

まずは私たちが、ハートの言語を学ぶことが先決です。リナちゃんの物語のコンセプト、ボディポジティブ「自分自身を愛すること」は、ハートが開く世界を私たちに示してくれると信じています。

Love♡

Tarika

2022 / 2 / 16 発行メルマガより


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