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裏社長室(第21回配信)を見て、考えたこと、感じたこと。

隔週水曜20時配信、緒乃ワサビさんの「裏社長室」(第21回)の感想等です。

今回は4500字を超えてるのかなぁ。記事の書き込みが長くなると、どんな話題を最初にもってくるか、悩みますね。今風に言うなら、ヒキですか。

否、悩んでいませんが、素人が書いた4500字。真面目に読んでくださる方のほうが、ちょっと変わってると思います。とても嬉しいですけど、途中で脱落する方のほうが多くて然りでしょう。

書いたものを読んでもらっても、私には1円も入りません。とはいえ、せっかくなら、何かの縁でご覧になっている方がいらっしゃるなら、最後までお読みいただきたいなぁ、というのは、以前から変わらぬところであります。

小細工を弄さねば。

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今回の感想等を書くにあたり、その前置きとして、前回の配信では、松本清張の「点と線」の話がありました(前回の18分30秒あたり。)。時代性、普遍性の話。

「時代性を取り込むと、経年劣化は著しい。」、「時刻表では驚けないな、だってもう、時刻表とか言われても、パッと想像できるほど、身近じゃないし。」(大意)

はてさて、今回なこさんからの導入で、「帰ってきたあぶない刑事」が公開された話がありました。

子供の頃に観ていた「あぶない刑事」こそが、自分の中の「大人のかっこよさ」の原風景であることは間違いありません。
テレビドラマ版の無印は、小学校の頃から今に至るまで、めちゃくちゃ好きな作品であり続けています。

ただ、身も蓋もないんですが、「もっとも」以降の劇場版は、全てにおいていろいろ雑で、素直に楽しめるものではありません。

結局、制作側の考えてる「こういうのが好きなんでしょ?」と、コアなファンが求めてる「こういうのが観たいんだよ。」とのあいだに埋め難い溝があるのでしょう。「もっとも」以降は、ちょっと、荒唐無稽が過ぎます。

原発へのミサイルを阻止するとか、国家的脅威から横浜の街を守るとか、そんなのあぶない刑事じゃない。

なので、実際に観に行くかどうかはわかりません。行くんだろうけど。

時代性や普遍に関する話になります。画像は、シリーズ屈指の名エピソードである第50話「狙撃」のワンシーンです。たばこを当たり前に吸う時代の人なら、「そりゃ、吸うよね。」という心情の機微を見事に描写しています。

二人の心中を思えば、どんな言葉よりも饒舌。
というか、言葉なんて野暮だから吸うんです。

他方で、小さな頃から煙草という存在を排除されてきた若い人たちには、この機微は通じないかなとも思います。

「えっ?こんな場面でたばこ吸いたくなっちゃうの?ヤニカスやばくない?」みたいな。

ノーヘルでバイクに乗って犯人を追跡したり、バンバン拳銃をぶっ放す刑事ドラマなんて、もはやギャグかもしれない。

普遍を突き詰めて残るのは、人の心だけなのかな、とも感じます。仏教や哲学、恋物語は、1000年2000年経っても残っていますからね。

そしてようやく本題というか、舘ひろしさんも恭サマも、かっこいいですよねぇ。年の割に、ではなく、年を重ねてなお。年を重ねたからこそなお。

私もみんなも、いつまで生きているのかわかりませんけど、男ならやはり、異性のみならず同性、なんなら若い男にも憧れられたい、って気持ち、きっとありますからね。

自分の場合なら、「このジジイ、強過ぎんだろ!」的なところかなぁ。

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昨日の配信では、少しだけ小説の話がありましたね(58分10秒あたり。)。

新潮社nexのサイトにも「天重」の発売予告が出ていました。
なんというかその、街の本屋で買いたい気持ちはやまやまだったのですが、月末の平日ということもあり、アマゾンで予約をぽちっと…

ウェブで「新潮社nex 特徴」と検索すると、

「…『いま面白い小説とは何か』という問いに対する新潮文庫からの回答だという『キャラクター』と、『物語』『文学』の融合を目指して創刊。 読者を物語に引き込むキャラクターをキーワードに据え、ライトノベルではなく、…」

と出てきます(引用ほぼママだが、新潮社の公式見解なのかどうかは不明。)。

「物語」と「文学」を分けているのは、森博嗣さん的にいうところの「「文学」を謙って表現したものを「小説」という。」といった立場からきているのでしょうか。

「ライトノベル」は「小説」からさらに謙った立ち位置でしょうか。
まあ、別に何でもよいのですが。

故・小池一夫先生(劇画原作の超大御所。高橋留美子先生とか「刃牙」の板垣恵介先生などの師匠でもある。)は、「キャラクター原理主義者」というべき人で、「キャラが立ちさえすれば、話なんて勝手に進む。」くらいのことをおっしゃっていました。

このへん、nexのいうところのキャラクター重視とも合致するところです。

ところが何年も作品を書き続けたり、何十巻も作品が出続けていたりしていれば別ですが、フルプラゲームの30時間(?)や、小説の400ページくらいでキャラ立てするのって、わりと至難だと思うんですよ。

途中、私が緒乃さんに「ウマ娘」(現在、映画上映中)の話を投げたのも、そこです。「艦これ」も同様ですが、やっぱり史実を敷衍したバックボーンを持つ女の子キャラって、キャラ萌えの観点からすると、強力すぎるんですよ。
ちょっと調べるだけで、解像度が高くなりすぎちゃう。

重厚であり、かつ丁寧な筆致や記憶が世に残り、そんな史実のドラマやエピソードを見聞きしたら、そら共感したり、入り込んでしまう。

だってそこまで知るともう、リアルの家族とか友達とほとんど変わらないんだもん。

と同時に、そういうのと比べると、単発の創作物に出てくるキャラクターの肉付きって、あまりに薄いなぁと感じることが増えてしまったんです。

さはさりながら、nexから出る商品である以上は、「キャラクター」を押していることは明白であり、「天重」に出てくる彼ら彼女に、どこまで思い入れられるか、萌えられるか、(純粋に楽しむ、という部分を除いた)個人的な一番の見所ってのは、今のところはそこなのかな、という感じであります。

とにもかくにも、楽しみですね。

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次回作のお話については、64分30秒あたり。印象的なのは「延期するのは、お出しするクオリティに達していないから。」(今回するとは言っていない。)。

「締切りがあるおかげで、そのときの最高を仕上げられるのだ。観念して、仕上げてこその作品なのだ。」という人もいますし、締切りを守って仕上げた作品に、悔いや思いを残す人もいる。

クリエイターではない自分にすら、そういう感覚はあります。そんな短期発注で無茶言うな、それを俺の実力だと思うな、的な。

ちなみにあさってくらいが、私の職業人としてのデッドラインだろうか。既に見切りをつけられていなければ、ですが。

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「ドキュメンタリー」、「モキュメンタリー」の話がありました(流れの中なので、時間の特定は難しいですが、39分あたり。)。

それにしても緒乃さん、映画と演出の話は本当にお好きだなぁと。話したいことが頭の中に溢れてきすぎてて、たぶん、チャットのコメントとかも目に入ってない(笑)

私が一番衝撃を受けたド(モ)キュメンタリー的なものは、「ゆきゆきて、神軍(しんぐん)」。

昭和57年の作品で、あの今村昌平が企画をしています。故・今村昌平に関しては、説明不要ですね。クロサワの次に有名な日本の映画監督です。

「終戦後、悲惨を極めたニューギニアの日本軍の敗残兵たちのあいだで起こった、不可解な殺人事件。戦後40年弱。真相を追い、当時の関係者に、もはやテロリスト的に聞き込みを仕掛けるのは、前科数犯、天皇ポルノビラ事件の実行犯、今で言う『無敵の人』奥崎謙三。」

もう、私のこの雑で下手くそな粗筋でも、既に面白くないですか?フィクションでなく、ドキュメンタリーでこれですからね。

で、少しずつじわじわと関係者を追い詰めていくスリリングな展開もさることながら、明るみになるのは、絶対いまのテレビはおろか、映画館でも流せないような衝撃的事実。

ドキュメンタリーとしては邪道かもしれませんが、人間・奥崎を描く演出も良いんですよね(モキュメンタリーに含めたのは、「仕込んでるよね?」っていうのをまま感じるから。)。

元々はきっと天皇を敬愛し、心の底から日本を愛し、大日本帝国の兵隊としての職務を全うし、究極の状況を経て思想を180度転換(神軍平等兵になった)したであろう彼の心情なんかを思うと、その行為に、言葉にできない思いが込み上げてきたり。

まあ、一度観て欲しいな、と思う作品であります。もう、何から何までやばいんで。最初に観たのはいくつの頃か忘れましたが、あんな見世物小屋みたいな、見てはいけないものを見たという作品には、出会ったことがないかなぁ。

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世の中、「よく今まで生きてこられたな…」、「どうしてお陽さまの下にいられるんだろう…」って人は、少なからずいますよね(62分頃)。

ある日、同僚が逮捕されたことがありましたが、翌日には一緒に仕事をしていました。被疑事実を認め、被害者との示談も成立したので、起訴もされず、クビにもならず。今も、同僚という関係は変わりません。なので、あまり詳しくも書けないのですが。

その後はびっくりするほど普通に生活しています。普通に結婚もして。普通に昇進もして。

性的な方面のアレなんですけどね。そんなんしてても、結婚しちゃうんだ?って思いますし。というか、やはり詳しく書けないのだけど、そもそも立場上、そういうのはちょっと…

世の中は、私を含め多くの人が思っているよりは寛容です。生きようと思えば、権利を守ろうと思えば、支援を受ける手段はいくらでもあります(本来それらを必要とするであろう人こそが、そのことを知らないことが、この手の問題の一番の根幹なのですが。)。

私の場合、「越えてはいけないライン」を越えてしまった人を普通の人よりはたくさん見てきているはずです。多分。
だからこそ「普通に生きていくことが一番無難で、幸せだよね。」って、強く思っています。

我慢のならないこと、理不尽なことは多いです。それでも、それをしたら、自分がどうなるか。それより何より、自分の周り(親とか家族とか友達とか)がどうなるか。

例えば仮に私が人を殺せば、私の両親は、「人殺しの親」になります。子供がいたら、その子は「お前は人殺しの子。」

なんの罪もない、善良に生きていた人たちなのに、私がそれをしちゃったら、彼も彼女もそういう扱いになっちゃう。
その罪深さに、思いは至らないだろうか。

咄嗟の瞬間であっても、そういう「想像力」は、欠かしてはいけないものですね。
正直、物理的な喧嘩になったとしても、自分が他人においそれと遅れをとるとは思えない。

それでも、逃げてでも謝ってでも、守らなきゃいけないものがあることを、心に刻んでおかなければいけないのです。

…なんだか、ほとんど配信の感想ではなくて、申し訳ないですが、流れも大きく変わってくるであろう次回配信もまた、楽しみにしています!

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