イマバリ市

 2207年、都市同盟がシコク島に初めて建設した植民市。主にシモノセキ市出身者が人口を占めており、ヒロシマ地方においてオノミチ市と接している。

 2251年四月、ルタオ人がシコク西岸に上陸してオース一帯を掠略した。当時の市長であったタナベ・ミツユキは報復として数か月サイキ湾沿岸を占領してルタオ領の内陸深くまで侵入している。
 2270年、ルタオ人の東漸運動が活発化すると、イマバリ市民会は全員一致でフクオカ人フカミ・ナオミチにルタオ人の討伐を要請した。フカミは軍を率いてオーイタを獲得し、その後南に進むと一部地域のルタオ人がその支配下に入った。フカミはルタオの有力者を優遇し、自分の部下として多数召し抱えた。そのためオーイタは都市同盟的な秩序から次第に外れていくことになった。

 オーイタが都市同盟からの自立色を強めると、たびたびシコクへと出兵して沿岸の都市に朝貢を求めた。イマバリ市はオーイタの使節を追い払ったため、激しい戦闘がおこった。最終的に2334年五月二日、イマバリ市が都市同盟全市にシコク奪還を呼びかけたことが、十五年ほど続くシコク戦争の発端に。結局この戦争で都市同盟が敗北したためイマバリ市はオーイタに併合され、シコクにおける都市同盟領土は消滅してしまう。