たった一人で突き抜けて行け――徒然草第38段

まことの人は、智もなく、徳もなく、功もなく、名もなし。誰か知り、誰か伝へん。これ、徳を隠し、愚を守るにはあらず。もとより賢愚得失の境にをらざればなり。(徒然草第38段)

 本当に優れた人間というのは、才能のある人間ではない。名誉にあふれた人間でもない。その存在を問題にすらされないような人間なんだ。この段の話は徒然草の中でも非常に気に入っている。
 悟りを開こうと決心して、修行を積み重ねて、ようやくその境地に入ろうとしている人間が、誰かの話題に昇るはずはないんだって。
 これは多分に宗教的な文脈の話にはなるけれど、もっと一般的な話に広げることができると思う。

才能のある人間ほど目立たない

 本当に努力して、優れた知識を持ちつつある人間は、有名になんかならない。

 才能や功績のすごさで話題になる人間は、氷山の一角に過ぎない。
 好きなことで卓越した才能を示しているすごい人が十人くらいいたら、五十人くらいまだ見ぬ、すごい人がいる、と考えた方がいい。
 僕が漢詩とか漢文をやっている人は目立たない。だが、目立った活動をしないだけですごく漢籍に通暁している人がいるかもしれないんだ! でも、その人はきっとネットなんてしないだろうし、別にそれを他人に話したいとも思わないだろうね。

 人は、自分を磨かなければならない。それも、他人に賞賛を求めてる暇なんてないくらいに。
 努力することが楽しいのであって、そこから人に認めさせようとあくせくするのが何より苦しいのだ。それはもう、努力すること自体とは別の性質であり、才能なんだ。
 他人との交流とは極めて政治的な営みであり、他人の思想や過去をのぞくことに他ならない。そこに僕はとても苦手意識を感じる。同じ趣味を語り合っても、その人がどんな人間関係の中に生きているのか。他の多数の人間と、どんな派閥を作っているのか。知って、心劣り(実際のたいしたことない姿を見て、失望する)せざるを得ない。
 純粋に知の交流だけをすることはできないということをこの数年間で実感したからね。本当につまらない理由で争い合っている人間も少なくない。結局ネット上のつながりも、現実とつながっている人間の方が強いのだから、僕はどうしてもそれに合わせづらいという恨みはある。
 学んだり聴いたりして知ることは本当の知恵ではないのだ。

覚えられない人のささやかな貢献

 結局、誰かと交流するよりは自分一人で続ける方がよっぽど気楽だし、真面目にやれる。人の意見を読むのが嫌いなんじゃない。twitterやdiscordみたいに連絡先が多方向に向いているのは面倒くさい。だから一人で続けることの方が結局一番正しいのだと実感する。

 ネット上での活動は結局、他人に媚びて自分を捻曲げ、需要に応じて才能を切り売りすることだ。それは自分自身に不満をもたらすことだ。僕はそんな不自然なことを楽しみたくない。 それに、他人にどう話題にされているか、それを知るのもしゃらくさい。どうせ、自分の心をはっきり把握してくれる人間なんてどこにもいないんだぞ。
 それで人気が出た所でどうなのだ。名声があるということは別の意味で面倒なことではないか。人の聞きを喜ぶことだ。
 それを誇るということは、誇っていないと不安を感じるということではないのか。どんなに名誉を残していなくなっても、そこに必ず好き勝手言う人間が現れるものだ。
 身の後の名、残りてさらに益なし――過去の人間の業績を様々と観ると、本当に実感することだ。死んだ後のことなんて分からないんだから、心配する意味もないんだけど、やはり普通に忘れ去られた方が良い。忘れるのが怖ろしいのは、それこそ誰かから褒められたという記憶を誇っていたいからなのだ。
 そうやって記憶されずに逝って行く人の、ささやかな貢献で世の中は成り立っていくんだろう。はっきり表に出て、世の中を変えることが全てじゃないのだろうな。

すごい人はきっと沢山いる

 すごい人は誰もが知らないだけ。むしろその人たちが今後の国や社会を支えていくんだと考えてみないか。
 言うほど、学問や創作活動といった営みは問題を抱えているわけではないのかもしれない。
 僕が知ってるすごい人はごく一部に過ぎなくて、本当はそれ以上に多くのすごい人がいるんだ……と思えば、そんなに悩まずに済む。
 本当にすごい人間はネットには現れない。だが実際に活動を明らかにしている人間はネットとか知人を通してでないと知ることができないし、そこから界隈の現状を知るしかないのだ。僕はとりあえず、数人に自分のことを知ってくれればそれで充分。他人と衝突せざるを得ないような、濃い所にまで介入したいとは思わない。

 数字を古典の章段やテレビ放送の回数にからめて覚えるのって有用なのかもしれない。数字を、それが持っている性質の面白さで覚える人もいるだろうけれど、僕は文系肌の人間だから、むしろ何かの物語に頼らないと覚えられない人間なのだ。