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歴史か言語語り

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#漢詩

謎の漢詩……

何だこの漢詩! 何だこの漢詩は!?

數鬪
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画像検索で調べてるとこんな文章がいくつかヒットする。

受學始發年
存奈齬廉耐
謎粉芥索紀
凱産足艱來

韓国語の訳文がついているにはついているが、はっきり言って漢文として読むにはかなり苦しい。
これを漢詩として解釈すれば、五言絶句、仄起こり、しかし韻は

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五柳先生伝を読む

 陶淵明の著した五柳先生伝は私小説に非常に近いものがあるのではないかと思われる。
 少し前に、藤澤清造「根津権現裏」を読んだ。それ自体は架空でも、清造の貧窮した環境は主人公の身の回りの環境を反映している。そこに書かれているのはもう一つの自分だ。こうなるかもしれない自分や、自分が将来するかもしれない物を語るのが私小説の醍醐味。僕にとっては、自分のありうべき姿を想像し、書くことほど面白いことはない。 

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詩の中の俗語

 文語と口語の違いは明確ではない。徒然草第十六段に、「常に聴き『たき』は琵琶・和琴」とあるように、どれほどかしこまった文体で書こうとしても、必ずその当時の話し言葉の影響が混じってくるものなのだ。
 ラテン語にしてもそうで、教会の文書でも必ず古代ローマに使われていない文法やつづりが混じってくる。-ae-が-e-になってしまうような。misericordiae(慈悲の)とあるべき単語がmiserico

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陶詩の技巧

 最近になって陶淵明の詩の暗記がすっかり習慣として定着した趣がある。すでに彼の四言古詩はほぼ習い終えた。暗記というのは実際に用いるためにやるのだから、それを実際に使わなければ自然に内容を忘れてしまう。覚え続けるためには、ひたすらに実践で続けるしかない。ではどう用いるのかと言うと、他でもなく漢詩そのものを吟味するために用いるのだ。

 陶淵明は、スケールの大きな冒頭から目の前の狭い現実へ収束していく

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